『Yomeddine』ハンセン病患者と少年の旅、時折《手錠のまゝの脱獄》にやっすい着地点

ヨメディン(2018)
Yomeddine

監督:A・B・ショウキー
出演:Rady Gamal、Ahmed Abdelhafiz etc

評価:45点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

第71回カンヌ国際映画祭(2018)コンペティション作品コンプリートまであと2作に迫りました。一つはステファヌ・ブリゼが『ティエリー・トグルドーの憂鬱』を別視点で撮り直したような『En guerre』。もう一つはエジプトから現れた謎の映画『Yomeddine』だ。誰しもが、本作のコンペティション選出に首を傾げた。誰もA・B・ショウキーという人物を知らなかったからだ。大抵の場合、特にカンヌ国際映画祭の場合、《ある視点》部門や監督週間で注目された監督が出世してコンペティション入りを果たす。なので一見聞いたことのない監督であっても、経歴を調べると何らかカンヌで実績を積んでいたりする。しかし、彼は短編映画を数本撮っただけ。しかもそれらは有名映画祭にノミネートすらしていないのだ。そしてこの作品はニューヨーク大学ティッシュ芸術学校のプロジェクトで作られた作品なのです。形は少し違えど、日本に例えるとENBUゼミナールや芸術大学の卒業制作がそのままカンヌ国際映画祭コンペティション入りを果たしたという事件なのです。

A・B・ショウキーはオーストリアからエジプトに移住した勤勉な母親の下で育った。中東のインディーズ映画からヒッチコックまで満遍なく魅せられ、幼少期から映画の英才教育を受けて育った彼は一旦は作家になることを志すが、やがてニューヨークに渡り映画の勉強をした。そこでハンセン病療養所に関するドキュメンタリー『El Mosta’mara』を撮り、そこから『Yomeddine』のアイデアを膨らませた。

本作の主演であるRady Gamalは『El Mosta’mara』で実際に監督がインタビューした人物である。最初は、取材で最初にあった人物を主演にするのには抵抗を感じたのだが、本能で「この人だ!」と思いキャスティングしたとのこと。こうしてできあがった、インディーズらしさむき出しのほとんどドキュメンタリーに近い作品は、カンヌの中東/ アフリカ枠である『存在のない子供たち』と激突した。その結果は、どちらもフランスの映画メディアに強く非難された。『存在のない子供たち』は感動ポルノ的側面を非難された一方、こちらは映画としての飛躍が見受けられない陳腐な演出を中心に非難された。

日本では、エジプト映画ということもあり全く公開の目処が立たない本作ですが、意を決して観てみました。

『Yomeddine』あらすじ


A Coptic leper and his orphaned apprentice leave the confines of the leper colony for the first time and embark on a journey across Egypt to search for what is left of their families.
訳:コプト病のハンセン病患者と孤児の弟子が初めてハンセン病患者のコロニーの境界を去り、エジプトを旅して家族の遺物を探す旅に出る。

ハンセン病患者と少年の旅、時折暴力脱獄にやっすい着地点

意外なことに、検閲か何かに怯え《逃げ》の撮影が目立っていた『存在のない子供たち』と比べると、映画的ヴィジュアルの面白さの面で圧勝でした。ゴミの山に佇む、ハンセン病患者Beshayを遠くから撮ることで如何に社会の隅に追いやられているのかを強調することに成功している。そして、移り変わるフィールドを、ボロボロの台車を備え付けたロバでゆっくりガタガタ前に進む彼のインパクトは嫌でも脳裏に焼きつく。赤い手の模様がペタペタと付いた壁、に建物の陰を使った救いの手を差し伸べる場面など、画になるシーンが沢山あり面白い。

だが、何だろう。鼻につくのだ。そしてその正体を探っていったところ、ある作品との共通点が浮かんだ。それはミシェル・アザナヴィシウス監督の『アーティスト』だ。自分映画知ってますよとアピールするのだが、それが表面的で、臭みが出てしまっているあの感触がここにはありました。

ゾッとするような容姿のBeshayが妻を失い、自分を棄てた親を探しに冒険に出るのだが、人懐っこい少年がついてくる。これは冒険物にありがちな、お調子者キャラの登場という定石を踏んでいるのですが、どこか障がい者と子どもで高評価を得ようとするあざとさを感じてしまう。そもそも、ハンセン病患者でなくてもこの物語は成立するのでは。おじいさんと子どもの旅に翻訳できてしまうところに問題があると思う。

そして、この手の映画に必要なアクシデントを入れてくる。そこにユーモアも織り交ぜていく。『手錠のまゝの脱獄』のオマージュにミュージカルシーンも入れていくのだが、そういった描写を入れる度にどんどん《ハンセン病患者と差別》というテーマが薄まっていく。お涙頂戴的に終盤、思い出したかのように《差別による羞恥心》を描いていくのだが、そこにはもう必然性がなくなってしまっていた。また、それ以前に多くのロードムービーで描かれてきた定石を並べているだけなので、カンヌ国際映画祭コンペティション部門ノミネートという大舞台に立てるほどのユニークな切り口が無いという最大の問題をこの作品は抱えていました。

その点、『存在のない子供たち』は予想できない展開があるので軍配はこの作品に挙がりました。

正直、この映画よりもセルゲイ・ロズニッツアの『Donbass』やビー・ガンの『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』がコンペティションに入るべきで、本作は《ある視点》部門や監督週間で闘うべき作品だと思いました。

参考資料:
1.Abu Bakr Shawky’s rise from student filmmaker to Palme d’Or nominee
2.A.B. Shawky on Casting Egypt’s Foreign Oscar Contender ‘Yomeddine’ In a Leper Colony

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