【ネタバレ考察】『Diner ダイナー』砂糖の一粒までが藤原竜也に従う世界を分析してみた

Diner ダイナー(2019)

監督:蜷川実花
出演:藤原竜也、玉城ティナ、窪田正孝、本郷奏多、武田真治、斎藤工、コムアイ、小栗旬、土屋アンナ、真矢ミキ、奥田瑛二etc

評価:85点

俺は〜〜〜〜〜ゴゴノ〜〜〜〜〜〜王だ!!!!!

砂糖の一粒までが〜〜〜〜俺に〜〜〜従う!!!

こんにちは、すっかり藤原竜也語録に魅せられてしまったチェ・ブンブンです。ここ数ヶ月映画館に行く度に、藤原竜也の爆笑演技と玉城ティナのメイド姿に魅せられ、楽しみにしていた『Diner ダイナー』がいよいよ公開されました。本作は、平山夢明の同名小説を『ヘルタースケルター』、『さくらん』の鬼才・蜷川実花が映画化した作品です。あからさまに暴力、サイケデリックの洪水となっている作品にも関わらず、レイティングは小学生も安心して観られるG指定という異色さもありちょっぴり不安を感じていましたが、なんのこれしき楽しい楽しい作品でした。ってことでここではネタバレありで、藤原竜也シェフが蜷川実花の世界観で創り上げた絶品の細部を分析していきます。ネタバレ記事なので、鑑賞後にお読みください。

『Diner ダイナー』あらすじ


藤原竜也と蜷川実花監督が初タッグを組み、平山夢明の小説「ダイナー」を映画化。元殺し屋の天才シェフ、ボンベロが店主をつとめる殺し屋専用の食堂「ダイナー」。日給30万円の怪しいアルバイトに手を出したばかりに闇の組織に身売りされてしまった少女オオバカナコは、ボンベロに買われウェイトレスとして働くことに。ボンベロが「王」として君臨するダイナーには、全身傷だらけの孤高の殺し屋スキンや、子どものような姿をしたサイコキラーのキッド、不気味なスペイン語を操る筋肉自慢の荒くれ者のブロら、ひと癖もふた癖もある殺し屋たちが次々とやって来て……。ダイナーの店主ボンベロ役を藤原、物語の鍵を握る少女オオバカナコ役を玉城ティナが演じるほか、窪田正孝、斎藤工、小栗旬、土屋アンナ、奥田瑛二ら豪華キャスト陣が殺し屋役で出演。
映画.comより引用

抑圧が引き締まった官能を引き出す

まず、何を隠そう。本作はG指定の作品に留まって大正解でした。蜷川実花だったらいくらでもR-15,R-18の強烈な暴力官能世界を演出できたでしょう。興行戦略かどうか分かりませんが、G指定という抑えた暴力に留めたことで、洗練された官能が描けていました。また本作のテーマである、抑圧により染み出す快楽というものが映画の細部にわたって守られることで、観る者は極上のディナーを嗜んだような気分になります。

玉城ティナ演じるオオバカナコは、親に棄てられ、誰も信じられなくなり、孤独に生きる少女。彼女は周りと歩幅を合わせようとするが不協和音を引き起こしてしまう。それを、サラリーマンによるコンテンポラリーダンスで表現する。丁度、ポール・トーマス・アンダーソンが『ANIMA』で描いて魅せたあのぎこちない動きでもって世の窮屈さを表現する。そして、彼女がDinerにやってくる前の記憶を呼び起こす場面では、演劇的舞台装置でもって物語る。彼女は居場所を求めて彷徨う。舞台の中という居場所に身を投じており、そこの中心で感情を叫んでいるのだが、全くもって自分の居場所だと感じることができない。
そんな彼女が無理やり連れられて来るのが、才色兼備という言葉が相応しい洗練された殺し屋専用のダイナーだ。そこで藤原竜也演じるボンベロの奴隷として、生き抜くことで段々と自分の居場所を見つけて行く。しかし、このダイナーは作られた居場所であり、彼女は最後にDinerを出て、日本を離れメキシコ・グアナフアトに居場所にダイナーを作ることで、自分の存在意義を見つけるという内容になっている。

ひたすらに内向きに閉じこもり、内的迷宮から脱却する様子を、グラフィックデザイナーの横尾忠則やフードアーティストの諏訪綾子、フラワーアーティストの東信が各々才能を開花させていく現実離れした世界で描写されていく。舞台的であり、閉鎖的なんだけれども出口が見つからない奥行きもったDinerの中で、殺し屋がしのぎを削り、オオバカナコを野獣の目で「いつ仕留めようか、どのように嗜もうかと」と見つめる。

オオバカナコは酷い目に遭う。冒頭から、誘拐されてゴミ捨て場に吊るし上げられ、ボンベロには便器を舐めろと言われ、ナイフを突きつけられる。客からはスペイン語で罵声を浴びせられながらセクハラを受ける。しかし、この映画は決して人体破壊する決定的場面は映し出されない。ヤバイものが見えそうで見えないを延々と繰り返すのだ。

しかし、映画は《スキンのスフレ》でこれが単にレイティングの都合上エログロ描写を魅せていない訳ではなく、意図的であることを物語っている。心優しき殺し屋スキンは、母の残像を追い求めて、Dinerの《スキンのスフレ》を嗜むのだが、毎回ボンベロの仕込む異物によって最後まで美味を堪能することができない。そんな彼を見かねてオオバカナコは異物を取り除いて彼にスフレを提供するのだが、それを完食した彼は発狂してマシンガンを乱射してしまうのだ。

「手に入らない欲求を手にしてしまうと絶望してしまうだろうが。彼の希望を壊してしまうだろうが!」

とボンベロはオオバカナコを叱咤する。これは観客に、「エログロ全部魅せてしまったら、あなたの欲望は満たされないよ。」と提示しているのだ。『悪魔のいけにえ』が、鋭利な器具と、被害者の叫び、顔のクローズアップによって観客の想像力を刺激し、恐怖を増長させ、それが面白さに通じているのと同様、本作も観客の想像力に委ねることで、楽しさに奥深さを与えていると言えよう。

つまり、映画全体が抑圧によって構築されていることで、観る者はまるでDinerの客のように甘美なフードに癒される構成となっているのです。

もはやるろうに剣心なアクションに注目

驚いたことに、この作品にはクライマックスでガン=カタよろしくな超絶技巧なアクションが用意されています。街を裏で仕切る、殺し屋集団のミーティングディナーで、抗争が勃発し、真矢ミキ演じる無礼図とボンベロが銃と刀をスプリンクラーで満たされるDinerの中で交わす壮絶なアクションシーンが展開されるのだが、ここで藤原竜也は志々雄真実に化け、慟哭しながら業火の刃を抜くのだ。

蜷川実花は今回を、アクションも撮れることを証明して魅せた。『ジョン・ウィック』に引けを取らない、洗練されスローモーションと高速カットを切り分けたメリハリあるアクションというデザートまで用意されていました。

最後に…

俺はここの王だ!!!!!

砂糖の一粒までが俺に従う!!!

鑑賞後、ブンブンの脳裏にはこのパワーワードが木霊して、もう一回観たいとまで思うようになりました。DAOKO×MIYAVIの『千客万来』のサイケデリックな主題歌も込みで最高の映画体験でした。

もちろん、惜しい部分もあり例えばオオバカナコが最高級のお酒ディーバ・ウォッカを、自分が殺されないようにする人質として隠すエピソードが中盤、あっさり彼女が金庫に返却してしまうことで物語の機能を失ってしまう問題があったり、そもそも誰が組織のドンを殺したのか?という謎解きが全く謎解きになっておらず、犯人バレバレだったりとするのですが、そういうのがどうでもよくなるぐらい楽しかった。

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