【ネタバレ考察】『小さな恋のうた』の脚本・演出の凄さを4つのポイントで語ってみた

小さな恋のうた(2019)

監督:橋本光二郎
出演:佐野勇斗真、森永悠希、山田杏奈、眞栄田郷敦、鈴木仁、トミコクレアetc

評価:90点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

全くノーマークだったのですが、青春キラキラ映画の傑作発掘眼に長けているヒナタカさん( @HinatakaJeF )が絶賛されていたので、急遽仕事帰りに観てきました。

MONGOL800不朽の名曲『小さな恋のうた』をベースとした話以外、一切の情報をシャットアウトして観たのですが、これが凄まじい作品でした。ただ、ネタバレポイントがあまりにも多く、Filmarksではメタファーにメタファーを重ねて魅力を伝えることととなりました。なので、こちらではネタバレありで本作の脚本&演出がいかに素晴らしいかを5つのポイントで語っていきます。

『小さな恋のうた』あらすじ


沖縄出身のバンド「MONGOL800」の人気楽曲「小さな恋のうた」をモチーフに描く青春映画。「orange オレンジ」「羊と鋼の森」の橋本光二郎監督がメガホンをとり、沖縄の高校生たちが、バンド活動を通じて仲間や家族、そしてフェンスを隔てた米軍基地に暮らす同世代の少女といった大切な人たちに思いを届けようとする姿を描く。米軍基地のある沖縄の小さな町で、ある高校生バンドが人気を集めていた。自作の歌を歌いこなし、観客たちを熱狂される実力をもった彼らは、東京のレーベルにスカウトされ、プロデビューすることが決まる。しかし喜びの矢先、ある悲劇が起こり、バンドは行く先を見失ってしまう。そこに1曲のデモテープと米軍基地に住む1人の少女が現れ……。主人公の真栄城亮多役を「3D彼女 リアルガール」「ちはやふる 結び」の佐野勇斗が務めるほか、森永悠希、山田杏奈、本作が俳優デビューの眞栄田郷敦ら若手注目株が集結。
映画.comより引用

ポイント1:輝ける青春を凝縮したオープニング

まず、本作は青春キラキラ映画且つMONGOL800の名曲が看板となっているのですが、一切の怠惰の面影がありません。甘酸っぱい青春を切り取るのに、何も足さない何も引かない最小手数で観る者に感動を与えます。

ベース、ドラム、ヴォーカルが息を整え、狭い狭い部室で、爽やかさしかない世界を作り出す。その空間に漂うのは圧倒的カリスマ性と一般高校生の肖像だ。決して超絶技巧で、誰もが立ち止まるような天才性はない。しかしながら、クラスメイトが集まり、和気藹々とする中、楽しさをまるで片手でオレンジを握りつぶしたように炸裂させる様を観ると、まるで自分もあの頃、しがらみなんかなく前ばかり見ていたあの頃に戻ったような気にさせる。

そして、その勢いで東京行きの切符を手にする。沖縄の高校生にとって未知なる世界にキラキラと目を輝かせる姿を観ると、もう我々は彼らを応援せずにはいられない。そんな完璧すぎるオープニングから物語は始まるのです。これによって若手俳優たちの青二才さ、インディーズ映画の露骨な手作り感が最大の武器と化けてきます。冒頭がいかに大事かをわかった上で、そこへ全力投球一切妥協することのない球を投げつけてくるのです。

ポイント2:死に対する驚くべきツイスト

本作では、『シックス・センス』や『クライング・ゲーム』を思わせる非常に鋭いツイストが映画に強いアクセントを与え、テーマを重厚に包み込むもの化けます。東京行きの切符を手にした少年たちの前に、交通事故という悲劇が立ちふさがるのです。真栄城亮多は事故のショックで記憶を失ったことを受け入れられない、バンド仲間の譜久村慎司は彼を夜道に連れ出す。そこに、慎司の妹と米軍基地に住んでいる少女リサとの対話が歪に交差する。観客は、どういう状況なんだ?インディーズ映画ならではの脚本の粗さなのか?と疑問に思いつつも、感傷的な場面に胸が締め付けられる。すると、慎司と亮多の間にぽっかりと大きな闇というなの「フェンス」が現れ、亮多は跪き泣き出すのだ。実は、慎司は死んでいたのです。交通事故で死んだ彼を見てしまったショックで、忘却の彼方へバンドの記憶を押し込もうとしている亮多が再び記憶を取り戻し、事件を受け入れようとする場面だったのです。この絶妙なミスリードの巧みさは、単なる監督・脚本家の自己満足ではなく、MONGOL800の『小さな恋のうた』を始め多くの名曲を、その曲が持っている力強さ以上のものへと昇華し、観る者の心を鷲掴みにするものを持っています。

ポイント3:観客の一歩先を行く脚本

この映画は、上記のミスリードポイントに始まり、一見王道展開に見えて絶妙な外しを入れてきます。例えば、文化祭の場面。主人公は、友人の死を乗り越えるための一つのゴールとして、文化祭でライブをすること。慎司の彼女であるリサを呼んで自分たちの曲を聴いてもらうことを掲げている。そして、この手の映画にありがちな、先生との対立を経て、強行軍でライブを行う。そこには、等身大の高校生バンドが映し出される。ノリと勢いで場を盛り上げるあの高揚感を、過不足なく演出する。『DON’T WORRY BE HAPPY』、『小さな恋のうた』などを軽快に歌う。そこに観る者も没入していくわけだが、実はそこにはリサがいないのだ。てっきり、リサが米軍基地をこっそり抜け出して学校に来る。そこで感動を呼ぶのがクライマックスだと思った観客はえっ?と驚くことでしょう。

そしてこの映画が提示するラスト、それは米軍基地のフェンス前でライブをすること。リサをアリーナ席に立たせて亡き慎司の想いを伝えることでした。本質を突いた回答になっていたのです。単にリサが、デモ吹き荒れる中こっそり学校に潜り込んでライブを楽しんでも、そこにはアメリカ人、日本人との溝は残ったまま。フェンスは残ってしまうのです。あくまで「来てよ」という対等ではない関係がそこに残ってしまいます。来れないのなら行くという視点を加えることで、フェンスが揺さぶられ崩壊する感動を生み出すことができます。この一つクライマックスを置いた上で本質に迫る演出はお見事としか言いようがありません。

ポイント4:フェンスの役割

先ほどから「フェンス」という言葉を連呼しているが、本作のテーマはこの「フェンス」に託されていると言えます。すぐ目の前に掴めそうなものがあるのに、掴めず青春の蹉跌を踏みしめそうになるところを圧倒的手数で魅せてくれます。その「フェンス」は物理的だったり、心理的だったり姿形変えて彼らを苦しめる。例えば、前半亮多と亡き慎司が対峙する場面には、大きな空間が開いている。一歩踏み出せば抱き合えるのにそれができないことを象徴している。

もちろん、リサとバンド仲間の前に立ち塞がる米軍基地のフェンス描写もある。イヤホンを通じて国境は超えられるが、本当に手と手を取り合えるほどに近づくことはできない。また、彼の死により別のバンドの元に去った新里大輝がもう決して、亮多のところに帰ってこないことがヒシヒシと伝わってくる部室の内側、外側の間にある壁を映し出したりしている。

隙さえあれば、空間の断絶を強調していくことにより、死の重さ、容易ではない沖縄を取り巻く問題の重さが強まっていく。そうして高く高く聳え立った「フェンス」が、米軍基地内のリサの前でライブを行うことにより消えていく。そこに強いカタルシスが生まれ、観る者はハンカチ無くしてこの映画を感想することができなくなってくる。非常に「フェンス」の使い方もとい、空間の切り取り方に長けた作品だと思わずにはいられない。

最後に…

切なさと力強さが強固なものとなったMONGOL800、青春時代に戻りたくなるほど熱いバンドドラマに、鋭く差し込む政治への眼差し。そしてトミコクレア演じるリサのクラクラするほど美しい笑顔にすっかり惚れ込みました。ブンブンの心にも響きに響いた恋のうたと言えよう。

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