『ネバーランドにさよならを』マイケル・ジャクソンセクハラ告発映画から観る復讐の心理

ネバーランドにさよならを(2019)
LEAVING NEVERLAND

監督:ダン・リード
出演:マイケル・ジャクソン、ウェイド・ロブソンetc

評価:30点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

今年のサンダンス映画祭で大論争を巻き起こした作品があります。それは、『ネバーランドにさよならを(Leaving Neverland)』です。これは、マイケル・ジャクソン裁判で一度は、彼からの性的虐待を受けていないと証言していたウェイド・ロブソンが「実は彼から性的虐待を受けていました」と再証言する4時間のドキュメンタリーだ。一度証言し、マイケル・ジャクソン裁判は決着ついていたもの。それを今更覆す。しかも、数年前にウェイド・ロブソンはマイケル・ジャクソンの遺産相続を巡って裁判を起こして、負けている。それにも関わらず、ドキュメンタリー映画を撮ってマイケル・ジャクソンに泥を塗ろうとしていることに、マイケル・ジャクソンの親族やファンがブチギレ大論争を呼んでいます。HBOは日本でもスターチャンネルで放送されて話題となった『ジェニーの記憶』に引き続き、幼少期の性的虐待が人生にもたらす影響を告発したドキュメンタリーを放った訳だが、今回は『ジェニーの記憶』以上に多くの問題を抱えており、尚且つ簡単に批評してはいけない厄介な作品のようだ。日本公開は未定ですが、米国iTunesで配信されていたので観てみました。

『リービング・ネバーランド』あらすじ


At the height of his stardom, the world’s biggest pop star, Michael Jackson, began long-running relationships with two boys, aged seven and ten, and their families. They now allege that he sexually abused them.
訳:スター街道の中で、世界最大のポップスター、マイケルジャクソンは、7歳と10歳の2人の男の子とその家族との長期にわたる関係を始めました。彼らは今、彼が性的に虐待したと主張しています。
imdbより引用

情報整理

まず、この映画を語るにあたりブンブンのマイケル・ジャクソンに対する立ち位置を語っておきます。ブンブンは、ハッチポッチステーション世代なので幼少期の頃からマイケル・ジャクソンは日常にありました。物心のついた頃には、ジャクソン5に興奮していたし、『Thriller』のMVは繰り返し観ているほどのファンでした。まあファンとはいっても、『Beat It』や『BAD』など有名曲ばかり聴くミーハーだったのですが。ブンブンが中学時代、映画に嵌まり始めると、マイケル・ジャクソンの映画『ウィズ』や『ムーンウォーカー』のファンタジー世界の面白さに魅了され、また彼のダンスの起源がフレッド・アステアのミュージカルにあったところに更なる好感を抱きました。そして、彼の死後公開された『THIS IS IT』は当時劇場で鑑賞し、拍手喝采を送った記憶があります。しかし高校になってからは、マイケル・ジャクソンの裁判を知り、まるで現代の『ピノキオ』さながら恐ろしい夢に隠された闇に怯え、彼からは距離を取るようになりました。本ドキュメンタリーの主人公であるウェイド・ロブソンは、当時性的虐待の被害を否定していたことも記憶しています。

戦慄!トラウマ

町山智浩さんが既に語っているのだが、この事件はカトリック教会が組織ぐるみで子どもに性的虐待していた事件と酷似している。神として信じていた者が、実は悪だと知り、信仰心を叩き割られトラウマを増幅させていってしまう問題がここにもあります。幼少期のウェイド・ロブソンは『Thriller』のPVに魅せられ、ダンスを始めたのをきっかけにマイケル・ジャクソンに見出された。マイケル・ジャクソンはすこぶるウェイド・ロブソンを気に入り、愛されて育ったロブソンはやがてブリトニー・スピアーズの振り付けを担当するようにまでの大物になった。しかし、大人になった彼は気づくのです。マイケル・ジャクソンなくして存在しなかった自分の人生は歪で恐ろしいものだったと。

マイケル・ジャクソンは、ウェイド家に過剰な支援をしていて、オーストラリアからの移住に資金援助したりしていた。また夜な夜な電話をかけてきて長時間お話しすることも多かった。その一環で、彼はマイケル・ジャクソンの夢の世界《ネバーランド》に呼ばれるのです。ウェイドの親も一時は心配するものの、資金援助してもらっている身分であることもあり、ウェイドをマイケル・ジャクソンに預けてしまうのです。本作では、ウェイド本人の口から絞り出すように恐ろしい顛末が語られます。ベッドルームに行くと扉が閉まって、マイケル・ジャクソンが触り始めました。そしてオーラルセックスをされたと生々しく語っていく。観るものの脳裏にスローモーションで凄惨な性的虐待が再生され、観るのを止めたくなるほど強烈なことが語られていきます。当時オーラルセックスはもちろん、性的行為とはなんなのかも分からない男の子が、神様のような人物にとんでもないことをされる。神だから自分の思想を捻じ曲げてまで彼を信じていかなければならないのだが、段々とほころびが出てくる恐怖に背筋がゾッとさせられる。マイケル裁判を知ったつもりになっていても、本人の口から聞く言葉は力強いものがあります。

誘導尋問

しかしながら、この作品はドキュメンタリー映画として失敗していると感じました。というのもダン・リードの意図とウェイド・ロブソンやジェイムズ・セイフチャックの意図が食い違っているように見えるのです。ダン・リード監督は英国アカデミー賞で何度もドキュメンタリー賞を獲っている大御所ですが、あろうことか結論ありきでこの映画を撮っているのです。ドキュメンタリーは実話モノの映画とは違って、論文的視点が求められる。それがモキュメンタリーでないのであれば。特に今回の場合、事前に決着のついている裁判に対して、法律家ではない人物が描くというものなので、先行研究はもちろん、反証や考証が必要です。マイケル・ジャクソン裁判や『Leaving Neverland』の証言にある矛盾については、どれが本当なのかどうかが分からないし、マイケル・ジャクソンについてミーハーな知識しか有していないブンブンが言及し、真実を捻じ曲げてしまうのはよくないので、ここでの言及は回避するが、少なくてもダン・リードは「本当は性的虐待を受けていて苦しんでいたんだよ」という結論に持っていきたいが為に、4時間も被害者の苦痛を描き、視聴者に同情を得ようとしている魂胆が見え見えです。

ただ、プロパガンダ精神で作っているのであるのなら完全にPART1は失敗です。PART1ではあまりにも『Thriller』や『BAD』などといったマイケル・ジャクソンの映像が魅力的で、思わずマイケル・ジャクソンの音楽をじっくり聴きたくなってしまうような作りだからです。また、面白いことに被害者は、マイケルとの思い出を郷愁に浸りながら楽しそうに話すのです。これを観てブンブンは「ウェイド・ロブソンは何故このドキュメンタリーの出演にギャラを要求しなかったのか?」、「裁判で負けて、賠償金や相続はもらえないはずなのに何故マイケル・ジャクソンを敵に回してドキュメンタリーに出たのか?」といった疑問が段々とわかってきました。そして、それこそが彼らが告発する意図であり、監督の短絡的な被害者ヅラに対する同情集めとは違ったベクトルを向いているが為に、作品に不協和音をもたらしたと考えることができます。

告発の甘い蜜

近年、#MeToo運動により、世界規模で過去のセクハラを告発しあい、巨匠を業界から追放する動きが強まった。ジェームズ・ガン、ジョン・ラセター、ウディ・アレンなどが告発によって映画が撮れないレベルまで追放された(ラース・フォン・トリアーとかクエンティン・タランティーノのように上手く逃げ切る人もいるのだが)。無論、セクハラは重大な犯罪だし、犯罪なくして傑作は生まれるべきなのだが、最近、告発という大きな刀で人を処刑するのを無意識な快楽としてしまう風潮が強まってしまった。そこには悪魔の甘い蜜があります。告発者は、自分の不幸を出汁に大きな同情を得ることができる。それは承認欲求を満たすことにも繋がり、興奮をもたらします。そして、それで得た強大な力でもって、恨むべき人、嫉妬している人を処刑するのは巨人殺し的快感があるのです。告発者の周りにいる人の多くは、匿名というフィールドの中から巨人殺しに参加することで日々の鬱憤を晴らすことができる。彼らは何もリスクを取る必要がない。リスクなしに、嫉妬している人や嫌いな人を社会から抹殺できる巨大なメリットを持っているのだ。まさしく、人の血を吸って巨大化する鋭利なソードなのです。告発は。ただ、それは裏を返せば、自分にその妖刀を向けているようなもの。人は誰しも過ちを犯す。しかし、その過ちは例え謝罪してケリをつけたとしても、時代を超えて自分にブーメランのようにして返ってくる危険性があります。

ウェイド・ロブソンは、恐らくマイケル・ジャクソンから性的虐待は受けている。結局、裁判では自分の神を捨てられずに偽証してしまった。それはウェイド・ロブソンという名のアイデンティティを守る為。もし性的虐待を認めてしまったら自分が壊れてしまうと思ったから。でも、裁判後、ウェイドの心にはモヤモヤが残る。そして、仕事も上手く行かなくなり、モヤモヤが憎悪に変わっていった矢先にこの告発映画のオファーがあり乗ってしまったのだろう。ダン・リードというメフィストの甘い誘いに手を貸してしまったのだろう。ウェイドは金が目的ではない。憎悪を解放して、マイケル・ジャクソンという概念に大きな傷を入れたいのだ。

確かに、『LEAVING NEVERLAND』は知られざる真実を訴えている作品として存在意義はある。しかし、復讐心だけが宿った映画を評価するのは社会がおかしくなってしまう危険性がある。人が個々の正義と憎悪で他者を裁いてしまったら無法地帯、いつ自分が死ぬかわからない世の中になってしまう。そうならないように存在するのが司法である。そう考えると、本作は駄作である一方、現代のヴィジランティズムを考える上で非常に重要な作品と言えよう。

2019/6/7(金)よりNetflixにて配信

日本公開不可能だと言われていた本作ですが、Netflixにて6/7(金)配信が決まりました。ブンブンの文章を読むと分かる通り、この映画で割と精神ぐちゃぐちゃになりました。実際に、Twitterでは配信中止を求める動きがあるのですが、実は多くの方に観てほしいところがあります。それもマイケル・ジャクソンのファンではない卒論を控えている大学生に観てほしいところがあります。自分の思いこみと理想の答えに向かって誘導していくと、外からみて非常に歪で凄惨な代物が出来上がってしまうことがよくわかります。そして真実ないし、研究対象を著しく汚してしまう可能性があります。マイケル・ジャクソンファンは発狂すること間違いなしなので、オススメできませんが、是非挑戦してみてください。

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