『骨OSSOS』ペドロ・コスタの描く廃墟から日本の未来をみる

骨(1997)
OSSOS

監督:ペドロ・コスタ
出演:ヴァンダ・ドゥアルテ、ヌーノ・ヴァス、イネス・デ・メディロスetc

評価:70点

ポルトガルの廃墟から貧しき人々の渦巻く気持ちを捉える作家にペドロ・コスタがいる。東京造形大学の客員教授就任という異例のキャリアを持つペドロ・コスタ。そんな彼の長編3作目『骨』を観てみました。

『骨』あらすじ


A suicidal young woman gives her newborn child up to his deadbeat father in the Fontainhas slums of Lisbon.
ブンブン訳:自滅的な女性から生まれた子どもをリスボンのFontainhas地区のスラム街にいる、のらくろ者である父が取り上げる。
IMDbより引用

無関心の冷たさ

ペドロ・コスタは廃墟を彷徨う者からアイデンティティーを引き出そうとする作家だ。

そんなペドロ・コスタがOSSOS(=骨)という骨太な作品を作っていた。まさしく、《ボーン・アイデンティティー》な訳だ。

本作を観るとまるで今を日本を観ているようだ。先日発表された幸福度ランキングで日本は、「他者への寛大さ」が92位と足を引っ張り、総合順位は前回から4位落ちて156ヵ国・地域中58位となった。

それを踏まえて本作を観ていこう。ゴミを漁り生きる男が赤子と共に女の元を離れる。そして、観光街の隅で金を乞うが、人々はそこに人がいないように振る舞う。そして、病院で男は倒れるが周りの患者も看護婦もそこに何もないように振る舞うのだ。そして、僅かな水しか出ないリスボン郊外のスラム街が映し出される。貧しき者も助け合って生きる訳でなく、皆他者に無関心で自分の命を1秒でも長く存命させる為だけに彷徨うだけだ。セリフを徹底的に排除することで、自分の身は自分でしか守れず、誰も構ってくれないし、自分に興味すら抱かない冷たい孤独が強調されている。

このもはやアイデンティティーがない生まれないららららーという概念すら失われそうな廃墟から、微かなアイデンティティーを見出し生きようとする人々を捉えていくスタイルは後に『コロッサル・ユース』や『ホース・マネー』に繋がってきます。

なんだか、『麻雀放浪記2020』が東京五輪失敗によるディストピアを滑稽に描いていましたが、これを観ると全く笑えない且つ、日本の未来を観ているような気がして少し厭世的な気持ちになりました。

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