【ネタバレ考察】『運び屋』イーストウッド版『野いちご』柔よく剛を制す

運び屋(2018)
THE MULE

監督:クリント・イーストウッド
出演:クリント・イーストウッド、ブラッドリー・クーパー、ローレンス・フィッシュバーン、アンディ・ガルシアetc

評価:85点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

クリント・イーストウッドが『グラン・トリノ』以来10年ぶりに監督&主演を務めた作品『運び屋』が公開された。堅物映画誌カイエ・デュ・シネマがなんと満点をつけ、

Le film se ramifie en une multitude de tonalités qu’il module d’un trait limpide – et, vraiment, on n’avait pas vu cela depuis longtemps.
ブンブン訳:本作は澄んだ線による部品で移り変わるトーンによって枝分かれする。そして、まさしく、我々が長年見たことのないものである。

と絶賛している。日本の観客はというと、相次いで『グラン・トリノ』以来の大傑作という声が続き、キネマ旬報ベストテン入りは確実。なんならベスト1位を獲得しそうな勢いです。実はブンブン、イーストウッド作品は好きではあるが毎回ベストテンには入らない。素晴らしい映画だけど、そこで留まってしまうイメージが強い監督。今回も予告編で、そこまで惹かれなかったのですが観てみたら、これがトンデモナイ大傑作でした。

というわけでネタバレありで語っていきます。

『運び屋』あらすじ


巨匠クリント・イーストウッドが自身の監督作では10年ぶりに銀幕復帰を果たして主演を務め、87歳の老人がひとりで大量のコカインを運んでいたという実際の報道記事をもとに、長年にわたり麻薬の運び屋をしていた孤独な老人の姿を描いたドラマ。家族をないがしろに仕事一筋で生きてきたアール・ストーンだったが、いまは金もなく、孤独な90歳の老人になっていた。商売に失敗して自宅も差し押さえられて途方に暮れていたとき、車の運転さえすればいいという仕事を持ちかけられたアールは、簡単な仕事だと思って依頼を引き受けたが、実はその仕事は、メキシコの麻薬カルテルの「運び屋」だった。脚本は「グラン・トリノ」のニック・シェンク。イーストウッドは「人生の特等席」以来6年ぶり、自身の監督作では「グラン・トリノ」以来10年ぶりに俳優として出演も果たした。共演は、アールを追い込んでいく麻薬捜査官役で「アメリカン・スナイパー」のブラッドリー・クーパーのほか、ローレンス・フィッシュバーン、アンディ・ガルシアら実力派が集結。イーストウッドの実娘アリソン・イーストウッドも出演している。
映画.comより引用

実はコメディだった

予告編だと、骨太声で「人は永遠には走れない」とめちゃくちゃシリアスな作品なイメージを与えている。しかしながら、実際に観てみるとコメディだったのです。イーストウッドお爺ちゃんが金に困り麻薬の運び屋をするのだが、メキシコギャングに「オラァ爺さん、電話に出ろよな」「なめとんのか?」と強面で脅されても、飄々としている。肝心な運び屋シーンでは常に歌っていて(それもヘタクソ)、家族に棄てられたというのにいく先々で女を手にかける。見張りのチンピラに見せつけるように両手に花。美女とエッチをし始めます。また、本格的にギャング達が揉め始め銃を突きつけ一触即発な自体に陥っても、リップクリームをゆっくりゆっくり塗ってマジマジとギャングを見つめているその姿は抱腹絶倒爆笑ものとなっています。

そんなゆるゆるコメディなんだけれども、ベタでオーソドックスな犯罪ものなんだけれども、明らかに他の監督が真似できないほどストイックな作りとなっています。

下地にあるのはベルイマンの『野いちご』

本作は実在したお爺さん運び屋の事件を映画化した作品ではあるのですが、明らかにイングマール・ベルイマンの『野いちご』を意識した作りとなっています。『野いちご』とは、名誉学位を受け取るためストックホルムからルンドまでドライブする中で教授が家族を大切にしなかった過去と向き合い孤独との間で赦しを求める作品。先日公開された『天才作家の妻 40年目の真実』が、ノーベル賞を人格者のメタファーとして配置し、世間から評価される人も実はクズで、人間は誰しもクズな部分があることを表現していた。
ただ『天才作家の妻 40年目の真実』と比べると、『運び屋』は実に『野いちご』の持つテーマを再構築するのに長けていたと感じさせる。イーストウッドは映画監督としてはもはや神のような存在だが、私生活はかなりの荒くれで、彼は行く先々で女を弄び、80歳を超えてからも30歳以上年下の彼女を作っていたりするSEX MACHINEである。そんな彼が、自分の人生を反省するかのように家族に棄てられ罵声を浴びせられる(劇中で実際の娘アリソン・イーストウッドに暴言を吐かせている鬼畜っぷりを魅せています)老人を演じている。自分の人生が露骨に反映されているので、正直『野いちご』よりも強固なドラマとなっているように感じます。

しかも、イーストウッド爺さんを捕まえようと仕事一筋になっているブラッドリー・クーパー演じる警察官の物語と対比させることで、「家族を大切にしないとこうなってしまうぞ」というメッセージが強化されていく。しかもその警察官の行動が、単にクズ野郎としてではなく、仕事に熱心すぎて家族を忘れてしまう者として描かれるので非常に味わい深いものとなっている。

ブンブンも毎日取り憑かれたように休まずブログを更新しているような男なので、友人やカノジョそっちのけでブログを書き続けたら、イーストウッドのような人間になってしまう、これは悔い改めなければと思いました。今までは反面教師としてイケダハヤトを見てきたのですが、今やイーストウッド大先生を反面教師にしています。

ジェームズ・スチュワートに似ているねという最大の皮肉

そんな家族に恨まれる仕事人を演じたイーストウッドですが、劇中「ジェームズ・スチュワートに似ているね」と言われるシーンがある。これはジェームズ・スチュワートを知っていると非常に皮肉のきいたギャグとなっていることに気づきます。ジェームズ・スチュワートはイーストウッドとは違い、生涯通してスキャンダルとは無縁で、配偶者のグロリア・ハトリックに尽くした映画俳優です。酒やギャンブルなどといった金のかかる趣味は持たず、車もスーパーカーなんかには乗らなかった。実際に出演している作品も『素晴らしき哉、人生!』、『スミス都へ行く』、『我が家の楽園』などといった人情厚い作品に出演することが多く《アメリカの良心》と呼ばれていた。そんな対極にいる存在と似ていると言われるシーンを挟むことで、世間の評価と実際のクズさのギャップを強烈に皮肉っているのです。

ゆるいようで無駄がない演出

人情厚い温かみのある作品ではあるが、実は凝視すると作劇に非常にストイックだったりします。例えば、冒頭美しい花農場が映し出される。そして園芸コンクールの会場で、花のインターネット販売に対して「何がインターネットだ」と言葉を吐き捨てる。そしてバイアグラを買い求めるかのように、ゾンビのように花を持っていくマダムにニコニコし、孫の結婚式をそっちのけで園芸コンクールの授賞式に参加し、バーで花嫁を横目に全員に酒を奢る。クズ男の幸福の絶頂を描いた次の瞬間、無残に枯れ散った花農場が映し出される。そっと「インターネットに負けたんだ」と語るだけで、因果応報を表現してしまうのだ。

また、運び屋の人生と対比するように、彼を捕まえようとする警察官の捜査描写が挟まれるのだが、「捕まえた?」「いや逃した」「次はあそこに現れる」「次こそは捕まえる」といったやり取りとドライに描く。編集したというよりも、『運び屋』という映画の中にショットが落ちていたというぐらい乱暴に置かれているのだ。そしてゆるーい、イーストウッドおじさんの珍道中と交差させることで、なかなか捕まらないもどかしさを表現している。

一見すると乱暴に見えたり、無駄に見えるような描写が全て映画のクライマックスに向けて伸びる道となっており、簡単に読めてしまう結末ながらも、その終着点にたどり着いた時の興奮はただならないものとなっています。

サスペンスとしての妙

本作は、バレるかバレないかサスペンスとしても秀逸である。イーストウッド爺さんが、修羅場を迎えた際に取る行動が実に危険すぎて観る人はハラハラドキドキします。予告編にもあった、麻薬を運んでいることに気づいた瞬間、警察官に後ろから呼び止められる場面。ピーカンを盾に、上手く誤魔化そうとするのだが、警察犬が現れて焦る。イーストウッド爺さんは何故か痛み止めを塗る。どうするのかと思いきや、警察犬に駆け寄り、鼻に痛み止めを塗りまくるのだ。この意外かつ秀逸な切り抜け方にお見事!と言いたくなります。

他にも、見張りのメキシコ人が捕まりそうになった時、「お巡りさん、彼らは私の引越しを手伝っているんですよ。そうだこれを…」とワザとトラックの中身を魅せ始める。あまりの恐ろしさにドキドキするのだが、イーストウッド爺さんは飄々とモノをあげることで警察官を巻くのだ。そしてブラッドリー・クーパー演じる捜査官にも自らダイナーで話しかけてくるアグレッシブさを魅せる。サスペンスとしてもめちゃくちゃ面白いのです。

妻との最期のやり取りに注目

てっきり、本作は老人が過去を顧み、猛省することで家族に受け入れられる話だと思っていた。しかしながら、老人になるとクズな部分はそう簡単に変えられないんだ。時代に取り残されてしまうんだということをしっかりと描いた作品ともなっています。例えば、道半ばで立ち往生している黒人家族に向かって、ニグロと差別的な言葉を言ったり、メキシコ人の見張りに対して、タコス野郎と言ったり差別的だ。身体に染み付いてしまったそう言ったものも、少しは改善できる。完璧ではないけれどもということをイーストウッド爺さんは教えてくれる。

その際たる描写が終盤の妻を看取る場面。死を覚悟して、運び屋業務を中断し、妻の最期を看取りに来たイーストウッド爺さん。そして会話する中で、ようやく二人は和解する。しかし、妻の口元をよく観て欲しい。彼女は死ぬ前に、旦那のキスを求めているのです。それに全くイーストウッド爺さんは気づかないのだ。結局イーストウッド爺さんは女心を理解できずに妻をこの世から去らせてしまうのだ。その侘しさ、切なさにいたたまれなくなります。

そういった描写があるからこそ、最後に裁判で「私は有罪だ」と言い、収監される描写に胡散臭さがない。贖罪の話として実にまとまりが良いのだ。

撮影監督がトム・スターンではない!

実は本作、クリント・イーストウッド映画としては異色の作品となっています。というのも、『ブラッド・ワーク』以降彼の右腕として活躍してきた撮影監督トム・スターンが撮影をしていないのだ。丁度撮影時期に『MEG ザ・モンスター』の撮影で忙しかったのか、今回は『わたしはロランス』やジャン=マルク・バレ監督作の撮影監督を手がけたイブ・ベランジェが担当しているのです。イーストウッド作品は光のコントロールなんかせずとにかく早撮りに拘る。それでもってとてつもなく映える画を収める必要があり、長年イーストウッドの右腕を務めたトム・スターンにしかできない業だと思っていたのだが、しっかりとイーストウッド先生はイブ・ベランジェに極意を叩き込んでいました。

おわりに

クリント・イーストウッド御歳88歳の大ベテランがサクッと撮ってしまったこの『運び屋』は、『パーフェクト・ワールド』を思わせるちょっと懐かしいロードムービーの殻にベルイマンの『野いちご』的老年の後悔譚を封じ込め、圧倒的面白さで映画を盛り上げた。これはここ10年のイーストウッド映画の中でも、また一つ違う次元にいった素晴らしい作品といえることでしょう。スピルバーグといい、ゴダールといい、大林宣彦といい、今の仙人監督、年老いてもギラギラしていて凄いぞ!

ってことで、ブンブンシネマランキング2019上半期ベストテンには食い込むと思われる大傑作でした。カイエ・デュ・シネマベストテンも久しぶりにイーストウッドランクインするんじゃないかな?



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1 個のコメント

  • 大変勉強になりました。
    野いちごのくだりはさすがですね。
    ありがとうございました。
    (=^ェ^=)

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