【酷評】『バハールの涙』折角の眼帯ジャーナリストが空気と化している!!

バハールの涙(2018)
LES FEMMES DU SOLEIL

監督:エバ・ユッソン
出演:ゴルシフテ・ファラハ、ニエマニュエル・ベルコ、Erol Afsin etc

評価:40点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

今、数少ない公開館ながらも口コミで話題となっている作品があります。その名も『バハールの涙』。ISと戦うクルド人女性部隊を描いた戦争ドラマです。監督は『青い欲動』で注目されたエバ・ユッソン。出演に『チキンとプラム あるバイオリン弾き、最後の夢』や『EDEN エデン』、『パターソン』とアート映画の話題作に出演しているイラン出身の女優ゴルシフテ・ファラハ、『モン・ロワ 愛を巡るそれぞれの理由』でカンヌ国際映画祭女優賞を受賞したニエマニュエル・ベルコが抜擢された。ただ本作、カンヌで公開されるや批評家からボロクソ叩かれ、東京国際映画祭ディレクターの矢田部さんもカンヌ国際映画祭で

冒頭、物語が動き出す前から感情表現が過多で嫌な予感がしたのだけれど、そのまま分かりやすい描写が続き、音楽もB級商業映画的。演出にセンスが無く、これはなかなか厳しい。

女性監督による力強い女性映画であることで、今年の目玉と目された作品であるだけに残念だ。コンペ以外の部門の方が良かったかもしれない。コンペに入ると注目度が俄然高まるのは良いのだけれど、見る人が多いだけに出来が悪いと徹底的に潰されてしまう(他部門であればもう少し冷静な反応が期待できる)。作品にとっては不幸なことで、気の毒な気持ちにもなる…。主題の重要性は作品のクオリティーを正当化しない、というケースの典型であり、んー、映画というやつは実に難しい。

と難色示していた問題作でもあります。しかし、日本で公開されるや、賞賛の嵐だ。そんな中、親友から「あまりに酷かったので観てほしいw」と言われたこともあり新宿ピカデリーで観てきました。

『バハールの涙』あらすじ

弁護士のババールは夫と息子と幸せな生活を送っていたが、ある日クルド人自治区の町でISの襲撃を受ける。襲撃により、男性は皆殺しとなり、バハールの息子は人質としてISの手に渡ってしまう。その悲劇から数カ月後、バハールはクルド人女性武装部隊「太陽の女たち」のリーダーとして戦いの最前線にいた。そんなバハールの姿を、同じく小さな娘と離れ、戦地で取材を続ける片眼の戦場記者マチルドの目を通して映し出していく。
映画.comより引用

ジャーナリストが死んでいる!

上映前から、ブンブンの近くの席で喧嘩が勃発しており、いきなり紛争地帯!って感じが強い環境で鑑賞しました。

期待値が低かったのもあるが、割と面白かった。ISに息子を奪われたバハールが、戦闘部隊《太陽の女たち(Les femmes du soleil)》を形成し、戦う。その様子を眼帯ジャーナリストが迫るというものだ。

ドゥニ・ヴィルヌーヴの『ボーダーライン』を観ているような緊迫感があり、戦争サスペンスとしての見応えはあった。なので、カンヌの酷評は過小評価だと見た。

とはいえこの映画は、まるでオリバー・ストーン映画のように過剰で、過剰なメッセージによって《映画》としての作劇に難があります。

何と言っても、折角眼帯のジャーナリストという魅力的なキャラクターがいるのに、空気と化しているのだ。

その際たる原因は、バハールが何故戦士となったのかの回想パートが乱雑に配置されていることにある。ジャーナリストの取材によって明らかにされているのではなく、バハールが戦いながら思い出す記憶として描かれているのだ。これにより、映画からジャーナリストは不要な存在となってしまいます。では、ジャーナリストは無知な者、指を咥えて戦場を眺めるだけの存在として描いているのか?私にはそうは見えなかった。現にジャーナリストはバハールに「私は語りたいの」と、対話でもって世界に惨劇を伝えようとしているのが強調されているのだ。

しかし、映画の編集は、彼女のジャーナリストとしての側面をぶつ切りにし、中途半端にそこにいる存在としてしか役割を果たしていなかった。おまけに、その眼帯ジャーナリストの哲学とか人間性というものにフォーカスを当てないまま、「世界は真実など興味ない」「ワンクリックして終わりさ」なんて言わせてしまう。それを変えていくのがジャーナリストなのに、なんの心の弱さも描かずに言わせてしまうもんだから、「おい、今の発言、ジャーナリストとして失格だよ。」と思わずにはいられません。

また、女性は差別されている、辛いんだというメッセージを強く押し出す為のセリフがどうも似たり寄ったりで、 各挿話が、常に涙一辺倒で感動を呼ぼうとしているのだ。LES FEMMES DU SOLEIL(太陽の女たち)という原題を『バハールの涙』として打ち出した配給会社の邦題センスには舌鼓を打つのだが、女性が泣けば感動を呼べると思い込んだのか、とにかく時ある毎に女性が泣き叫びまくるのだ。その結果、同じシーンの反復に見えてしまう割と物語的に難がある作品でした。

まさしく、

L’héroïne était morte…
(ヒロインは死んでいた)

とでも言えよう。

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