『アリー/スター誕生』レディオ・ガガの次はレディー・ガガだ!!

アリー/スター誕生(2018)
A STAR IS BORN

監督:ブラッドリー・クーパー
出演:ブラッドリー・クーパー、レディー・ガガ、アンドリュー・ダイス・クレイetc

評価:40点

今年のアカデミー賞は、不作な為か、通常だったらありえない作品がトップランナーを走っている。一つは、本来外国語映画賞を土俵とする筈の全編スペイン語のアート映画『ROMA/ローマ

』。

そしてもう一つが、今回紹介する『スタア誕生

』のリメイク『アリー/スター誕生』だ。アカデミー賞の前哨戦を観察する限り、どうやら今年の作品賞は俳優のブラッドリー・クーパー初監督作である『アリー/スター誕生』になりそうだ。本作は町山智浩のラジオ紹介やFilmarksの感想から御察しの通り、最後の最後まで原作に忠実です。なので今回、本作がアカデミー賞作品賞を獲ることは、『美女と野獣(2017)

』が作品賞を獲る並みのインパクトがあります。王道、ネタもわかり切っているにも関わらず傑作。これはある意味、アメリカの映画業界が物語る力を失っているようにも見える。しかしながら、裏を返せば、陳腐とも取れる王道の話を、演出でもって批評家の心を掴んだトンデモナイ作品だと捉えることができます。またTwitter上を見る限り、レディオ・ガガの次はレディー・ガガだ!と言わんばかりに絶賛されています。予告編を観る限り、ブンブン、全く惹かれなかったのですが、果たして…

『アリー/スター誕生』あらすじ

ツアー中のロックシンガー、ジャクソン・メインに見出されたアリーは、スターの花道を駆け上がっていく。最初は、自分のコンプレックス、あまりに自分の目の前にやってくる並みの大きさに腰が抜けてしまっていた彼女だったが、次第にショービジネスの渡り方を覚えていき、天に昇る勢いでスターになっていく。一方ジャクソンは、酒とドラッグに溺れていき…

クローズアップが感情を捉えきれていない

本作は、元々クリント・イーストウッドがマドンナをヒロインとして映画化する予定だったのだが、ブラッドリー・クーパーに企画を譲って製作された作品。ブラッドリー・クーパーといえば、『アメリカン・スナイパー

』やMARVEL映画でロケットの声をやっていることで有名な俳優だ。彼が初監督にして、あまりに有名で王道な『スタア誕生』のリメイクを手がけたのだ。かつては『オズの魔法使い』でドロシーを演じたジュディ・ガーランドや、実写版サザエさんを演じた江利チエミが出演したあの『スタア誕生』リメイク群に駆け出し映画監督であるブラッドリー・クーパーは肩を並べようとしていたのだ。ただ、観てみると、「本当に初監督作なの?」と思うぐらいの重厚さがありました。なんなら、本作をクリント・イーストウッドが撮りましたと言われても疑問抱かないほどだ。渋くて、意欲的な作品となっている。

まず、オープニング。レディー・ガガ演じるアリーが仕事を終え、ライブハウスに向かうところで、“A STAR IS BORN”というタイトルが浮かび上がる。クラシカルなオープニングに、期待と不安が募る。クラシカルな演出は、下手に使うと古臭くなってしまうからだ。しかしながら、ブラッドリー・クーパーはクラシカルな要素をこの一点にだけ集中させ、あとは彼なりの演出で世界を創り出す。超絶至近距離で、カメラはブラッドリー・クーパー演じるジャクソンとアリーを映し続けるのだ。これにより、観客は強制的に、地に堕ちるジャクソンの辛酸を飲まされつつ、目がクラクラするほど輝くアリーの甘酸っぱさに酔いしれることでしょう。

ただ、ブンブン、クローズアップを多用したこの演出こそが本作最大の欠点だったと感じた。確かに、クローズアップを多用することで、酒とドラッグに溺れ周りが見えなくなる者と、スター街道をものすごい勢いで駆け上がる故周りが見えなくなる者の盲目的視点を強調させる効果がある。また、アリーが最初の大舞台に上がる場面でのクローズアップは非常に効果的に使われている。ジャクソンが、「一緒に舞台で歌おう。例え君が来なくても俺は歌うぜ」と言うと、アリーは腰が抜けて動けなくなる(この時のレディー・ガガの演技は凄まじい)、ただ周りが背中を後押しして舞台に上がる。感極まって声が壊れてしまう、泣いてしまうのを仕切りに抑えながら、魂の歌を叫ぶ。ここでクローズアップを使うことで、観客はハラハラドキドキしながらアリーの初舞台を見守ることとなります。アリーのあまりに脆い心に感銘を受け応援したくなる。この場面でのクローズアップは素晴らしい。

ただ、全編ほとんどクローズアップで展開されていたら、そりゃ1,2箇所はいい部分があって当たり前だ。寧ろなかったら大惨事だ。さて、ここで問題となってくるのは、クローズアップが機能していた部分は他にあったのか?という設問だ。確かに、ブラッドリー・クーパーもレディー・ガガも、自分の人生を映画に投影させ、魂の歌と涙を劇中で魅せつける。ただ、そこにカメラが追いついていない場面が散見されたのだ。

ライブシーンでは、下から逆光の撮影が多く、見辛い場面が多い。ジュディ・ガーランド版『スタア誕生』と比べると、本作におけるジャクソンポジションであるノーマン・メインが空気となっている。確かに、映画には映っている、アルコール中毒で独りもがき苦しんでいるのだが、風のようにシーンが流れていってしまい、成功する者に対して落ちぶれていく者というコントラストが弱まってしまっている。表情で魅せる映画だと思いきや、アリーもジャクソンも自分の感情をベラベラと喋ってしまい、どんどんクローズアップの意味がなくなってきてしまうのだ。

折角、今回の『スタア誕生』はエンタメ業界というものを掘り下げている。スターの花道を駆け上がる上で通俗、下品な作品を生みださなきゃいけない。そこを割り切って突き進み、その中で自分のアイデンティティを掴んで初めてスターになるという、普遍的なスターの葛藤を生々しく描いている。にも関わらず、それを活かしきれていない。ジャクソンの苦しみ描写が浅い分、アリーの成長に必要な養分が不足していて、そのくせベラベラと感情を語り、表情で魅せるのがウリの本作に泥を塗ってしまっている。

cette trahision et ce triomphe de la vulgarité ne sont jamais interrogés par le film. Parce qu’il a oublie, aussi, de se demander pouquoi il existe.- Jean-Philippe Tessé

ブンブン意訳:この裏切りと下品さの勝利は決して劇中で問題提起されていません。なぜならば彼(ブラッドリー・クーパー扮するジャクソン・メイン)が存在するのかに対し自問自答ことも忘れていたからです。

とカイエ・デュ・シネマ紙が本作を酷評したのも納得だ。

もちろん、ブラッドリー・クーパー初監督作にしてはまるで老監督が撮った作品のような貫禄があったし、彼はもちろん、レディー・ガガの抜群の演技には痺れた。ただ、あまりに勿体無い作品でした。

ブンブンにはジンクスがあり、ブンブンが苦手な作品が毎年アカデミー賞の作品賞を受賞します。そのジンクスに則ると、恐らく次のアカデミー賞作品賞は『アリー/スター誕生』だと思われます。なんか、今年のアカデミー賞、ラインナップをみるとかなりレベルが低い気がして不安です(外国語映画賞は毎回レベルが高いので心配ないんですけどねぇ)。

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