『ワンダー 君は太陽』原作はサブカル(スター・ウォーズネタ多め)全開だった件

『ワンダー 君は太陽』原作を読んでみた

昨日から、第90回アカデミー賞メイクアップ&ヘアスタイリング賞にノミネートされた『ワンダー 君は太陽(Wonder)』が公開している。トリーチャーコリンズ症候群の少年がごく普通の小学校に入学し、イジメに悩まされるものの、自分の居場所を見つけ出して行くという物語。予告編を観ると、『ルーム

』でも抜群の演技をしていたジェイコブ・トレンブレイの光る仕草がブンブンの涙腺を刺激。正直、展開こそは読めてしまうもののこれは面白いに違いないと思いました。実際に、試写会に行った映画友達は「めちゃくちゃ感動した。もう二回観たよ!」と高評価。

そして何といっても、本作の監督が傑作青春映画『ウォールフラワー』のスティーブン・チョボスキーだ。彼自身、元々脚本家で、『ウォールフラワー』の原作も手がけている。R・J・パラシオのこの同名小説の映画化もきっとうまくいっている筈。

そんな期待高まる中、ブンブンの耳にこんな情報が入った。

「『ワンダー 君は太陽』はスター・ウォーズ映画だ!」と。

本当かいな?と思い、原作を読んでみました。『ライフ・オブ・パイ』を読んだ高校3年生以来久しぶりに洋書を完読してみたぞ!

原作もサブカル全開だった!

実際に読んでみると、『スター・ウォーズ』だけでなく、様々な映画や小説、音楽からの引用が多いサブカル全開な内容だった。各章には、タイトルと共に引用文が備え付けられている。もちろん、サン=テグジュペリ『星の王子さま』やシェイクスピア『ハムレット』といった文学作品からの引用もあるが、『エレファントマン』やクリスティーナ・アギレラの曲『Beautiful』、さらにはデヴィッド・ボウイ『Space Oddity』などからも引用しているのだ。

この手の障がい者を扱った物語、特に《身体的障がい》を扱った物語はどうしても、重くシリアスな話になりがちだ。しかし、本作は、サブカルが主人公おギーや家族を勇気付ける働きとなっている。そしてこのギミックを取り入れることで、かつて虐められていた、あるいは現在進行形で虐められていてコンプレックスを抱いているギークやナード、所謂オタクの魂揺さぶる物語となっている。

海外の評判だと「感動ポルノ」だと一部で批判されているが、本作は決して「感動ポルノ」ではない。表面的に障がいを描いた作品ではないからだ。サブカルというギミックを使い、主人公オギーが、イジメやコンプレックスをオタクパワー、勉強でもって仲間を増やして最後に勝利する。この物語に救われる人はたくさんいる筈。私自身、オギーの障がいによる苦痛こそはわからないが、彼のサバイバルには胸を踊らされた。そして、どんな困難でも力強く努力することで勝利につながる物語に勇気付けられた。

「感動ポルノ」とは24時間テレビのように、「ここに障がい者がいます。憐れんでください。」「ここ、泣き所ですよ。」と本質に迫らずに煽るものだとブンブンは考えている。本作は、決して「障がい」を憐れむこともしないし、泣き所を煽ったりしない。トリーチャーコリンズ症候群を強調することなく、ただ周りにいるような「少し変わった子」、できるだけ《Ordinary person(普通の人)》として描いているのだ。

『スター・ウォーズ』の使い方にキレがある

本作は、サブカルの引用が多いが、表面的ではなく、R・J・パラシオの愛と拘りがあるのだ。特に強調すべきは、『スター・ウォーズ』の描写だ。例えば、オギーがハロウィンで《ボバ・フェット》のコスプレをするのだが、

「今年はボバ・フェットで行く!『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』ではなく『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』のボバ・フェットだ!」

と拘りを見せている。しかも物語前半で、オギーは《ジャンゴ・フェット》が好きと語っている。つまり、一般的には、『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』と『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』に出てくる、緑仮面のならず者を《ボバ・フェット》と同一人物として捉えているが、オギーにとっては別物(《ジャンゴ・フェット》のクローンが《ボバ・フェット》という関係性になっている)。つまりオギーが如何に『スター・ウォーズ』好きかがわかる描写になっている。

また、『スター・ウォーズ』から引用する際、必ず副題を付けた正式名称を使っている点、オギーのナードさを強調している。

これは映画オタクのブンブン、燃えない訳がない。最後の最後まで、ドープな引用が彼の真理を物語る。これは決して他人事ではない。普遍的物語だと感じた。

文体に注目

日本だと、一人称だけでも、「僕」、「私」、「俺」など無数にある。「僕」を「ぼく」や「ボク」と変えることで違ったニュアンスを伝えることができる。しかし、英語だとそれができない。ただ、本作では、「I」を小文字で書くことで、立場の変化を強調させている。

そして、まるで映画のような躍動感を演出する場面がある。

予告編でもあったオギーのイジメシーン。それに対してクラスメイトが立ち上がるのだが、そこのパートは、全てメール、Facebookの文体で描かれているのだ。沢山の投稿が積み重なることを強調することで、熱気が読者に伝わってくる。このシーンは胸が熱くなりました。

最後に…

久しぶりの洋書購読でしたが、とても面白くスラスラ読めました。英語の勉強したいなという方にオススメな小説と言えよう。ということで、明日は、映画版の感想をアップします。乞うご期待!

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