【ネタバレ解説】『万引き家族』勝てる映画が勝利したことへの危機感

完璧な《カンヌで勝てる》映画

さて、長くなりましたが是枝裕和監督作『万引き家族』の中身について語っていくとしよう。

彼の集大成『万引き家族』は、予告編の時点で「パルムドール獲る気満々だな」という印象を受けた。そして今回の是枝裕和はカンヌマスターに相応しい《勝てる映画》だった。もしAIにディープラーニングにさせて、カンヌで勝てる映画を作らせたらこれが出来るだろう。

と同時に、是枝裕和監督は本作を作るために今までのフィルモグラフィーが存在していたことがよく分かる。あの『花よりもなほ』や『空気人形』、『三度目の殺人』ですら、本作を撮るための技術開発だったのだ。例えば、顔が薄汚れ、家もボロボロだが、どこか陽気で楽しそうな暮らしの描写は『花よりもなほ』から来ている。また松岡茉優や安藤サクラの生々しい肉体描写は、『空気人形』の質感に由来する。そして言わずがな、終盤の事情徴収シーンは『三度目の殺人』をキアロスタミ寄りにパワーアップさせたものとなっている。

そして、彼が唯一苦手としたカンヌで勝てる映画のエッセンス《物語を観客に投げつけて去るエンディング》もバッチリ決めた。カンヌで勝てる映画は、A to Z、1から10まで語らない。変なところでブツッと物語を強制終了させる作品が多い。つまり、映画の外側の世界を観客が自由に想像し楽しめる作品であることが勝利の秘訣なのだ。だから、批評家評判が良かった『そして父になる』はパルムドール』を逃した。何故ならば、A to Zまで物語を語ってしまったからだ。その年のパルムドール受賞作である『アデル、ブルーは熱い色』は例に漏れず、観客に物語を投げつけて終わっていた。

是枝裕和監督が今回《物語を観客に投げつけて去るエンディング》というテクニックを披露したことで、アリーチェ・ロルヴァケルやナディーン・ラバキの女性監督×貧困映画を倒し見事栄冠に輝いた。

こう聞くと、「またブンブン、是枝裕和を叩く気だな?」と身構えるだろう。

安心してください。傑作なので。

目線の映画として素晴らしい

本作が傑作だということは冒頭のシークエンスで証明される。それは万引きの場面だ。店員の目を盗み、リリー・フランキー扮する男と少年が1つ、また1つとモノを盗む。鏡や障害物を使った緊迫感、《目線の映画》として素晴らしいフレームの使い方に舌鼓を打つ。『そして父になる』からパワーアップした目線の表現に「これは、、、まさか傑作なのでは?」と思う。

そして、都会の片隅にあるオンボロ屋にフォーカスが当たる。拾われた少女同様、まるで、物陰からこの異様な貧困を覗いているようなアングルで家族に迫るのだ。さらに、このどん底のような貧困は、どん底はどん底でも黒澤明の『どん底』のようにどこか明るい。ゴーリキイではないことが判る。

圧倒的風格を観客に叩きつける。

しかし、次第に底抜けに明るい家族の笑みが、劣等感、孤独、罪悪感を押し殺す為だということが判る。

例えば、リリー・フランキー扮する男・柴田治と息子・柴田祥太が夜中の路地で会話する場面。

柴田祥太「ねぇ、スイミーって知ってる?」
柴田治「英語は、、、わかんねぇんだ」
柴田祥太「いやいや国語の教科書に載っていたお話だよ、はは」
柴田治「俺、、、国語はもっとわかんねぇんだよ」

このシーンでのリリー・フランキーの表情に注目してほしい。必死に笑おうとしているのだが、劣等感に押しつぶされそうになりぐっと堪えている姿が見えることでしょう。


また、ここで《スイミー》という話を持ち出しているところに唸らせられる。《スイミー》は、マグロに兄弟を食べられてしまった孤独な魚スイミーが、仲間を集めて、巨大なマグロに魅せるように泳ぐことで自由を手にする物語だ。まさに本作における、境遇の違う弱い者たちが集まり、絆を育んでいくところに繋がってくるわけだ。

役者の本気

安藤サクラ、松岡茉優、樹木希林、そして2人の子役・城桧吏と佐々木みゆ。最強布陣の演技合戦がこの作品で展開される。貧困により心の何処かにある闇がチラチラと光る姿を魅せて魅せて魅せまくるのだ。

安藤サクラの抱擁

例えば安藤サクラ。佐々木みゆ扮する虐待されていた少女ゆりが「ぶたない?ぶたない?」「お母さんは私のこと好きだよ」と言うのに心を痛める。そして、虐待する親により植えつけられたトラウマを取り去ろうとする。

ぎゅっと彼女を抱擁し、、、

「本当に、、、好きだったらねぇ、、、ぶつんじゃなくて、、、こうぎゅーーーーっっと抱きしめるものなんだよ」と言う。

そして、彼女の服をさっと炎の中に投げやり成仏する。この自然体かつ魂の抱擁シーンで泣けぬ者はいないだろう。心にジーンとくるシーンだ。

さらに安藤サクラ扮する柴田信代のクリーニング屋解雇シーン。人件費削減により、時給の高い彼女と同僚は社長に呼び出され、「互いに話し合って、どっちが辞めるか決めてくれ」と言われる(あまりにエグく凄惨なシーンだ)。そして、雲ひとつないような晴天の中、二人はいがみ合う。そして、同僚から《ゆりを誘拐している》という弱みを突かれて辞めざる得なくなった時のくしゃっとした表情。この哀しさに胸が締め付けられる。

松岡茉優扮する風俗嬢が象徴するもの


本作には松岡茉優が一家の一人として出演している。彼女は、つい最近まで、超絶《心のおしゃべりさん》(『勝手にふるえてろ』)を演じていたり、不思議な女王(『ちはやふる 結び』)を演じていたあの人だ。もはや言われなきゃ分からないレベル、新境地の演技を魅せている。彼女はお婆ちゃんっ子で、樹木希林扮するお婆ちゃんに猫のように絡みつく。その一方で、風俗で金を稼いでいる。彼女が醸し出す圧倒的風俗の女感、フェロモンをプンプン漂わせた雰囲気が凄まじい。確かに『ちはやふる 結び』でもフェロモンは漂っていたが、明らかに今回のフェロモンはどす黒いピンクだ。

そして、良い演技は役者が上手いだけでは引き出せない。監督の演出力が必要だと言われるが、まさしく松岡茉優の映し方に監督の本気が見えた。鏡ごしに、胸や淫部を見せつける彼女。鏡の向こう側、お客さんの顔は全く見えないのだが、時々、お客さんが見せるホワイトボードがクッキリと映る。さらに、常連客と延長でトークルームに連れていく場面。常連客は、吃りで全く話せず、その苦痛を癒しに来ていたことが分かる。苦しくなって、その常連客はウッカリ松岡茉優の太ももに、涙のようなヨダレのようなものを垂らしてしまい、さっと拭こうとするのを「いいのよ」と止めようとするところに彼女の優しさが垣間見える。一家の中で一番自己中心的だと思われていた彼女にも、他者を思いやる優しさがあったことが分かる場面だ。

オンボロ屋の温かさと風俗店のの生々しさを交差させる。松岡茉優は二つの世界を懸命に生きる役を演じることで、家の内と外、裏表の関係をくっきりと強調させるとともに、心の表と裏を象徴させるシーンとなっている。

さらに、是枝監督の松岡茉優演じる柴田亜紀というキャラクターを使ったユニークな演出に注目して欲しい。そのシーンとはお婆ちゃんがゆすりに行く家のにあった。その家の娘の名前が《さやか》なのだ。柴田亜紀の風俗名と同じだ。この場面をさりげなく入れることで、貧富の格差というのをより一層強調させている。お婆ちゃんがゆすりに行く家のこの《さやか》は、留学に行く直前だと分かる。そして彼女の容姿は、貧しい方の《さやか》とそっくりなのだ。故に、ひょっとしたら彼女は普通に学校に通い、海外へ留学していたかもしれない。良い家庭に生まれ育っていたらという《if》を観客に投げつけている。このシーンでは直接松岡茉優は登場しないが、うっすら亡霊のように見える彼女の面影により、観客は、特に恵まれた家庭環境にある人は胸を締め付けられる。

こんなの泣けてくるでしょう。しかも、いつもの是枝裕和監督なら妥協して綺麗事で終わってしまうところが、生々しく汚い部分を一歩踏み出して描いているのだ。そこでも役者は抜群の演技を魅せつける。

柄本明扮する駄菓子屋のオッチャンに注目

個人的に、意外に惹き込まれたのは柄本明扮する駄菓子屋のオッチャン。柴田祥太とゆりは、駄菓子屋で頻繁に盗みを繰り返している。完璧な手つきで、盗みを実行する。駄菓子屋のオッチャンは、気づいていないようにしているのだが、明らかに彼らの悪行に気づいているという表情をしているのだ。このほとんどセリフがない柄本明のオーラだけで心情を演出する超絶技巧に痺れた。そして遂に、柴田祥太に対して「あの子にはさせちゃダメだぞ」と語った時、涙がボロボロと出て来ました。ここの非常に重い《情》の投げかけによって、柴田祥太が罪意識に悩まされる終盤が強調されることとなる。

→NEXT:『万引き家族』本編感想&解説2:惜しい部分について

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