【リービゼミ レポート】中上健次「岬」論

複雑な人間関係

中上健次の経歴をみればわかる通り、非常に複雑な家族構成となっている。そして、その家族構成を露骨に物語に反映させたのが「岬」と言えよう。突如、刃物を持って人々を恐怖の底に陥れる安雄はどこか中上健次の異父兄木下行平を思わせるところがある。故に、初読ではなかなか理解しがたい。特に中上健次の経歴を知らない状況で読むとよくわからなかったりする。

現に守安敏司著「中上健次論」によると芥川賞選考委員の評価は下記のとおりだった。

・吉行淳之介 
中上健次の「岬」は、人間関係が複雑をきわめているので、二度読んだ。

・丹波文雄  
今度の作品にも、欠点はある。人間関係が多すぎて判りにくいこと。

・井上靖   
この作家もまた、どんな材料でもこなせる力を持っていると思う。ただこの作品に於いては、人間関係をのみこむのに多少難渋した。

・永井龍男 
「岬」登場人物の親戚関係が錯雑していて、それを呑み込むまで骨が折れた。

・瀧井孝作 
中上健次氏の「岬」は、紀州新宮あたりの土方一家の話らしいが、人物がゴチャゴチャして、描写も何もない、わけのわからんものと私は見た。
 
・中村光男 
力まかせに書いたところと、妙に技巧を弄したところがまじりあって、読者の頭を混乱させ、読むのに苦痛をさえ感じさせます。

・安岡章太郎 
「岬」(中上健次)。恐ろしく読み難い。
(「中上健次論」解放出版社発行、守安敏司著、2003年7月20日p79 10行目~p80 5行目「『岬』の人間関係」より引用)

そこで、人間関係を整理する。

 (「中上健次論」解放出版社発行、守安敏司著、2003年7月20日 P81より引用)
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中上健次の家系図と見比べると、実に「岬」の登場人物とリンクしているかがわかる。中上健次が異父兄・木下行平に抱く敵対心を、秋幸と安雄の関係に反映させているのでは と推測できる。父の法事で一族が路地に集まり、秋幸は「路地」を恨み、逃げだしたい気持ちにかられる。

「おれの顔は、あの男の顔だった。世の中で一番みにくくて、不細工で、邪悪なものがいっぱいある顔だ。彼は思った。その男が、遠くからいつもみている。いつもおれの姿を追っている。」(p197 9~11行目)

「足早に、彼は、歩いた。幾種類もの兄弟、幾種類もの父や母に、自分がとりかこまれているのに、自分のような気持ちの人間が、たった一人だということが、嘘のような気がした。」(p197 15~17行目)

「彼は、『弥生』の前に立った。入ろうか、それともこのまま引き返そうかと思った。胸が鳴った。誰かが、背後から彼をみている気がした。その眼を石で潰してやる、そう思った時、彼の手はドアをあけていた。」(p263 5~7行目)

秋幸は何度も「誰かに見られている」感覚に襲われ、路地の家系に生まれたことに憎しみを募らせていく。しかしながら、凶暴で雨で土木の工程が狂うと狂暴になる安雄と自分が時々重なり、悶々とする。

「今日から、おれの体は獣のにおいがする。安雄のように、わきのにおいがする。酔漢なのだろうか、誰かが遠くで、どなり叫んでいるのが彼にきこえた。苦しくてたまらないように、眼を閉じたまま、女は、声をあげた。女のまぶたに、涙のように、汗の玉がくっついていた。いま、あの男の血があふれる、と彼は思った。」(p266 13~16行目)

しかしながら、血族には逆らうことが出来ず、「路地」の人間という劣等感を抱きながら物語は終わる。また守安敏司の解説によると「義姉・恵美の精神不調は、自死した兄を蘇らせる。また、恵美の自殺未遂は、秋幸に兄の自死を想起させる。秋幸にとって兄は母と自分を殺しに来る存在である。安雄の古市殺害も、幼い頃、母と秋幸を酒に酔っては二人を殺そうとした兄を蘇らせる。兄の蘇りは、秋幸に実父を不可避に想起させる。兄が母と自分を殺しに来るのは、義父の元に秋幸だけを連れて兄や姉を捨てたからである。結果としての義父、文昭、母との生活も、秋幸に実父を想起させる。注2」とのこと。
つまり、「岬」は一貫して血族に逆らおうとするが、すべては血族に回帰することの哀しさを描いた、まさに中上健次のコンプレックスが込められた作品と言えよう。

また、中上健次は他の小説の中で「血」と「抗い」を凝縮した人間関係でまるで神話のように、描いている。例えば、「千年の愉楽」では、オリュウノオバという路地唯一の産婆を中心に血族の者が引き起こす血と暴力の物語が紡がれていく。また、「蛇淫」では母と父を殺すものの、社会から相手にもされない男が描かれる。新宮市が同和政策で人目から遠ざけるようにして創り上げられた被差別部落。他から見ることの出来ない部落の血を小説でもって中上健次は突きつけていると言えよう。

3.「路地」の扱い

「木がゆれていた。ゆっくりと葉をふるわせていた。余計なものをそぎ落したい。夢精のたびに、そう思った。人夫たちの声の他に、音はなかった。振り返るとそこから、市の全体がみわたせた。(略)こんな狭いところで、わらい、喜び、呻き、ののしり、蔑む。憎まれている人間も、また、平然としている。(略)この土地が、山々と川に閉ざされ、海にも閉ざされていて、そこで人間が、虫のように、犬のように生きている。」(p187 9行目~p188 4行目)

 路地と町とは距離的にさほど遠くはないが、完全に隔離された空間であることを描写している。そして作中には血族・土木関係者以外は登場せず、路地という狭い空間、150ページ未満の短いページの中に大勢の人物を描写することで、町から見捨てられた人々の人間性を強烈に描き出している。

「光子は、よいしょ、と胡坐を組む。桃色のフリルのついたパンティが彼に見える。」
(p174 1行目~2行目)

「くちゃくちゃ飯を噛みながら、安雄はやっと立ち上がり、地下足袋をはく。」
(p184 1行目)

そして、上記の描写から「路地」の人の汚い描写がドキュメンタリーのように事細かく描かれている。

「弦叔父は、市有地にバラック小屋を建てたが、人の噂になり、市役所から苦情が来た。弦叔父は、がんばった。一指たりとも役人には触れさせぬ、と、このあいだ会った時は、彼に、力説していた。ところが一日のうちに、バラックは壊された。市の有力者から内々で金を取ったから壊すことに同意したと、人々は言っていた。」
(文藝春秋版 p184 15~19行目)

路地の外にバラック小屋を建てることすら許されていなかった。噂になるや否や、全力でもってバラック小屋を壊しにかかるところから市が同和政策に注力していることが伺える。

4.神秘的土木工事が人を狂わす

「彼は、夜の、冷えた土のにおいを想った。」(p173 2行目)
「細い粒の雨が、顔面にかかった。わからなかった。突然、何故、そういうことがおこったのか。親方の兄、光子の兄の古市が、光子の亭主の安雄に刺された。」(p201 2~3行目)

「いざこれからという時、雨がふってきた。ついてなかった。一日延ばすことにした。仕事を切り上げた。安雄には、一体、それからなにがあったのだろう。安雄は刺す。古市の体から血が流れ出る。また刺す。古市の嫁と、女の子が、声をあげている。」(p204 6~8行目 )

「雨の日、安雄が古市を刺してから、仕事がめちゃくちゃになっていた。今日中に、コンクリを打ってしまわなくては、次の段取りが立たなくなる。」(p209 11~13行目)

「文昭と言い争いになったのは、この持ち場のことだった。コンクリを打つ時の要にあたる場所だった。柔らかくも固くもなく、コンクリをつくった。親方は、よく、天下一品だとそのコンクリをほめた。だが、今日はまるっきり勝手が違っていた。コンクリを打ち終わったのは、五時をまわってしまっていた。最後まで、いつもの調子を取りもどすことができなかった。」(p212 5~9行目)

「川向こうにあるパルプ工場のにおいがした。川から離れたこの新地に、そのにおいがすると、今日の夜にも雨になる。この土地の天気は、変わりやすい。雨は禍々しかった。」
(p263 3~5行目)

この作品は雨により、ライフワークである土木ができずにフラストレーションが溜まり、殺人まで起きてしまう様子を描いた作品である。徹底的に土木工事の様子を描写し、そこに「雨」という不吉な描写を入れることで、言葉で形容しがたい人の発狂する心情を描写していると言える。現に、物語に幾とどなく雨の描写を挿入し、その直後に安雄が傷害事件を引き起こしていることから安易に雨=不吉の方程式を想像できるのだが丁寧にも終盤に、「雨は禍々しかった」と描写していることがそれを証明している。

5.まとめ

 全国水平社が1922年以降結成されてきてから数十年経った時期に、ここまで被差別部落について事細かく綴った小説家は稀な存在である。

渡辺巳三郎著「近代文学と被差別部落」によると、「一般に全国水平社創立後は、部落問題の文芸作品は質が変わるとともに、量がぐっと減ってゆく。部落解放運動が大きな力を持って組織的に闘争を展開するまでは、たとえ作者が部落民ではなく外部から同情的立場で書いたとしても、現実の差別の苦しさと解放の願いを文筆で表現することが、たたかいの手段のひとつとしても必要であった。注3」とのこと。

彼によると、明治以降、部落の教育は劣悪を極めており、政府の体制により教師は部落の負担で雇い、正規教育を受ける機会を閉ざしていた。たとえ、町の学校に通ったとしても教員・生徒どちらからにもよる露骨な差別・いじめが横行しており、そもそも作家が生まれにくい環境だったとのこと。

 中上健次が生まれ育ったのは、新宮市が南海地震によって被災し、仮設住宅が建てられる中で市が同和政策を推し進めた時期であった。被差別部落の拡大により、江戸時代以上に人目に部落が見えやすい環境化で、部落内外での差別意識も可視化できるレベルにまで肥大化していたと考えられる。そのような環境で、中上健次は力強く生き、中学時代にサドや大江健三郎に触れ、柄谷行人から勧められたウィリアム・フォークナーも貪欲に読み漁り、そして作品に昇華させていった為類まれなる存在と言えよう。そして「岬」は、大江健三郎の「芽むしり仔撃ち」や「飼育」の影響を強く受けており、それらの作品で濃密に描かれている隔離された空間における陰ひなたに生きる人々を中上健次自身の話と結びつけて見事アレンジしたと言える。

 特に、「岬」と「千年の愉楽」は密集し濃くなった血の抗いをある種神話的に魅せることで普遍化を図った作品と言える。70年代大阪のドヤ街やブロンクスに置き換えても通用する内容、しかし独自的観点が存在するからこそ今でも読み継がれる小説家となったのではないだろうか。

6.注

1.「世界遺産大事典(上)」NPO法人世界遺産アカデミー発行、世界遺産検定事務局著、2012年3月30日、p24「登録基準」より引用
2.「中上健次論」解放出版社発行、守安敏司著、2003年7月20日、「『岬』の人間関係」p83 1行目~5行目より引用
3.「近代文学と被差別部落」渡辺巳三郎著、明石書店発行、1993年1月10日、「序章 明治・大正期の部落問題の文学」p21 15行目~17行目

7.参考資料

1.「群像日本の作家 中上健次」小学館発行、柄谷行人他著、1996年12月20日
2.「世界遺産大事典(上)」NPO法人世界遺産アカデミー発行、世界遺産検定事務局著、2012年3月30日
3.「岬」文春文庫発行、中上健次著、1978年12月25日
4.「坂口安吾と中上健次」太田出版発行、柄谷行人著、1996年1月31日
5.「芥川賞全集」文芸春愁発行、三木卓他著、1982年11月25日
6.「中上健次論」解放出版社発行、守安敏司著、2003年7月20日
7.「火まつり」文芸春愁発行、中上健次著、1987年4月30日
8.「芥川賞のすべてのようなもの

」選評の概要、第74回芥川賞、
 (2015年10月26日閲覧)
9. 「近代文学と被差別部落」渡辺巳三郎著、明石書店発行、1993年1月10日
10. 「和歌山県新宮市における童話地区の変容と中上健次

」、若松司・水内俊雄著、大阪市立大学 人権問題研究発行、2001年
 (2017年1月7日最終閲覧)
11.「岬」文藝春秋発行、中上健次著、1976年2月25日発行

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