ドライブ・マイ・カー

2021映画

【ネタバレ考察】『ドライブ・マイ・カー』5つのポイントから見る濱口竜介監督の深淵なる世界

本作は村上春樹「ドライブ・マイ・カー」の映画化であるが、映画の始まりは肉体を交える度に物語る女を描いた「シェヘラザード」である。この引用に私はしびれた。「ドライブ・マイ・カー」は幾ら戦略的に描かれているとはいえ、2013年時点で「男らしさ/女らしさ」を語る手法に古臭さを感じた。村上春樹の女とはこうあるべき論が批判的に描かれているように見えて、彼の本心なんじゃないかと思うところがあった。

映画では、そういった原作にある「男らしさ/女らしさ」の話を巧みに解釈し、2020年代に相応しい普遍的な物語へと昇華している。

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【ネタバレなし】『ドライブ・マイ・カー』濱口竜介の新バベルの塔

第74回カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞(日本映画初と報道されがちですが、厳密にはアレクサンドル・ソクーロフ『モレク神』がいるので日本初ではない)した濱口竜介監督。昨年の『スパイの妻 劇場版』で第77回ヴェネチア国際映画祭で黒沢清が監督賞(脚本参加)を受賞したのを筆頭に、『偶然と想像』で第71回ベルリン国際映画祭銀熊賞(審査員グランプリ)、そしてカンヌを制覇。三大映画祭を実質ストレート制覇し、大暴れしています。そんな彼の『ドライブ・マイ・カー』の試写会にフォロワーさんからお誘いいただきお邪魔しました。

社会派映画でない原作ものはカンヌ国際映画祭ではかなり不利となる。イ・チャンドンが村上春樹の「納屋を焼く」を映画化した『バーニング 劇場版』が批評家評判高かったにもかかわらず無冠に終わった雪辱を果たすように脚本賞を仕留めた訳ですが、これがトンデモナイ傑作でありました。

試写会に臨むにあたって、原作が収録されている短編集「女のいない男たち」と関連作品であるチェーホフの「ワーニャ伯父さん」を読了。後者はモスフィルムのyoutubeチャンネルで配信されているアンドレイ・コンチャロフスキーが映画化した作品を観た。劇中に登場する「ゴドーを待ちながら」はMUBIで配信されている映画版『The Churning of Kalki』を観て万全の体制で観ました。

これが驚き、驚き、驚きの連続であり、原作の解体/再構築が凄まじく、これぞ映画の翻訳だと思いました。

当記事は2021年8月20日公開に併せてネタバレなしで感想を書いていきます。ただ、2点だけ感想を書く上で語らなければいけない部分があるので、正直私の記事は日本公開まで読むのは待った方がいいかもしれません。少なくても、「ワーニャ伯父さん」の人物関係だけは押さえて観て欲しいと助言します。

それでは感想書いていきます。

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【カンヌ国際映画祭特集】「ドライブ・マイ・カー(原作)」人は誰しも演技する

本作を読んでいる時、「いつ書かれた作品だ?」と背表紙を見て絶望した。そこには「2013年」と書いてあったからだ。2010年代はスマートフォンとSNSの台頭で老若男女世界中の情報が洪水のように我々を呑み込んでいった。これにより、世界中の社会問題も明るみに出て、抑圧される女性像も世界中に伝播し、少しずつ「男らしさ」「女らしさ」の呪縛から解放する動きが活発となっていった。村上春樹は「海辺のカフカ」で、図書館のトイレを通じて公共とジェンダーの関係について論じていた。「ドライブ・マイ・カー 」も恐らくは、意図的に女性蔑視を描いているのだと思う。だが、その癖が強すぎるもとい少し古くて拒絶反応が出てしまった。