赤い砂漠(1964)
Il deserto rosso
評価:75点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
ミケランジェロ・アントニオーニは刺さる/刺さらないが明確に分かれる監督だ。代表作の『欲望』や、『ドライブ・マイ・カー』で明らかに引用の痕跡が見受けられる階段のショットが特徴的な『愛と殺意』は捉えどころのない作品で困惑した。一方で『太陽はひとりぼっち』と『砂丘』はサイコーに面白い作品に感じる。
今回、シアター・イメージフォーラムにて開催されているミケランジェロ・アントニオーニ特集で『赤い砂漠』を再観した。本作は高校時代の時に『欲望』と併せて観たのだが、あまりにもよくわからな過ぎてアントニオーニアレルギーを発症した曰くつきの作品である。
しかし、近年『仮面/ペルソナ』や『GERRY ジェリー』を軸とする心象世界映画が得意ジャンルとなっており、さらにはリミナルスペースの概念が一般化しつつある中で『赤い砂漠』は刺さるのではと思った。その予感は的中した。体感時間こそ、夜勤明けで観たこともあり永遠に感じるほどの苦行であったものの、その感覚は本作にとって重要でありジュリアーナの心理に没入するものであった。
『赤い砂漠』あらすじ
本作はとある工業都市にて、交通事故によるショックから立ち直れないジュリアーナの心理を追った作品である。映画には文字通りの砂漠は登場しないものの、人生の停滞を象徴する機能不全さが彼女の周囲を取り巻く。心理的不安の具体的な事象は明確に描かれず、観客は異様な空間の前で肉体関係を結ぼうとも癒えぬ虚無を提示し続けるジュリアーナと向き合うこととなる。
ぽっかり空いた穴に機能不全がいっぱい
ここで、まず注目すべきは船だろう。巨大な船が執拗にフレームの中へ映り込む。部屋で対話している場面でも窓の外に巨大な船が到着する様が映り込むのだ。船は移動手段である。ある場所へ向かう装置と言い換えることができる。しかし、『赤い砂漠』における船は、ジュリアーナを連れていくことはしない。彼女が船に乗り込んでも、その空間は廃墟のようになっている上に、船員とは言葉が通じず病んだ彼女を救うことはしない。また、工場は「何かを作る場所」であるにもかかわらず、映画の中では何も具体的なものを生産していない。個性を失った巨大な空間として彼女の眼前に現れ、有害なガスをまき散らすだけである。さらには、小屋にある赤い部屋はその目的が曖昧なまま男女が入り乱れる猥雑な空間となっているのだが、壁が外されていき完全に部屋としての存在意義を失ってしまう。これらはジュリアーナが人生に抱く機能不全な様を象徴している。
では、彼女に必要なのは他者から差し伸べられる手なのかといったら本作はそれでも救えない状況を辛辣に描く。夫が彼女に寄り添い肉体関係を結ぶのだが、彼女はそれでも心が癒えないのだ。これは一度、鬱になった者はその後の人生において内なる不安を受容しながら、折り合いをつける必要があることを示唆しているように思える。船も工場も、空間そのものの機能を果たすことはない。社会とはそういうものであると突き付けるアントニオーニのドライさは、唯一無二の荒野といえよう。










