Travolta et Moi(1994)
監督:パトリシア・マズィ
出演:レズリー・アズライ、Hélène Eichers、Hélène Hameloot etc
評価:95点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
現在、カイエ・デュ・シネマがデジタル書籍として公式ストアから購入できる。数十年前のものも購入でき、しかも文字起こしされたものも用意されているので、Googleの自動翻訳にかけることでフランス語が得意でなくても容易に情報収集することができる。その中で1994年のカイエ・デュ・シネマベストの背景となる面白い事件を知った。まず、1994年のカイエ・デュ・シネマベストをご覧いただきたい。
1.親愛なる日記(ナンニ・モレッティ)
2.パリ、18区、夜。(クレール・ドゥニ)
3.カリートの道(ブライアン・デ・パルマ)
4.野性の葦(アンドレ・テシネ)
5.ナイトメア・ビフォア・クリスマス(ヘンリー・セリック)
6.Travolta et Moi(パトリシア・マズィ)
7.ジャンヌ 薔薇の十字架/愛と自由の天使(ジャック・リヴェット)
8.愛の地獄(クロード・シャブロル)
9.U.S. Go Home(クレール・ドゥニ)
10.C死者とのちょっとした取引(パスカル・フェラン)
10.エム・バタフライ(デヴィッド・クローネンバーグ)
このうち『野性の葦』『Travolta et Moi』『U.S. Go Home』の3本は、アルテ制作のテレビ映画シリーズ《Tous les garçons et les filles de leur âge(同年代の少年少女のすべて)》の企画で制作された作品となっている。本企画は映画プロデューサーであるシャンタル・プポーが、1960~90年代までの任意の時代のポップ音楽を取り込んだ1時間程度の低予算青春映画を新気鋭の監督に撮らせひとつのシリーズにするといった企画であった。この企画のラインナップが以下の通りである。
アンドレ・テシネ『かしの木と葦』▷劇場編集版タイトル『野性の葦』
クレール・ドゥニ『U.S. Go Home』
シャンタル・アケルマン『ブリュッセル、60年代後半の少女のポートレート』
オリヴィエ・アサイヤス『白いページ』▷劇場編集版タイトル『冷たい水』
ロランス・フェレイラ・バルボザ『Paix et Amour』
パトリシア・マズィ『Travolta et Moi』
エミリー・ドゥルーズ『L’Incruste』
セドリック・カーン『Bonheur』▷劇場編集版タイトル『幸せ過ぎて』
オリヴィエ・ダアン『Frères』▷ベルリン国際映画祭上映時タイトル『Frères : La Roulette rouge』
今からするとあまりにも豪華なメンバーであろう。何気にジル・ドゥルーズの娘であるエミリー・ドゥルーズの『L’Incruste』があるのが興味深い。本シリーズは1994年6月から7月にかけて劇場編集版として『野性の葦』『冷たい水』『幸せ過ぎて』の3本が公開された。そして秋から本放送が始まった。カイエ・デュ・シネマはこの企画に熱中し数回に分けて特集した。『野性の葦』と『Travolta et Moi』に関しては特にページを割いて紹介していた。『野性の葦』に関しては「死ぬまでに見たい映画1001本」に掲載されているのだが、文章だけ読んでもなんでこの作品が掲載に値するかわかりづらい。しかし、伝説的フランスのテレビ映画シリーズを代表とする一本であると考えることで映画史を語る上で重要なことに気付かされるのだ。
今回、実際に映画を観てみたのだが、確かにこれは強烈な作品であった。
『Travolta et Moi』あらすじ
In the late 1970s, a teenage French girl is obsessed with the then popular American movie heartthrob, John Travolta.
訳:1970年代後半、10代のフランス人少女が、当時人気のあったアメリカの映画スター、ジョン・トラボルタに夢中になっていた。
※IMDbより引用
悲報:ジョン・トラヴォルタガチ恋さん、パン屋を爆破しGET WILD退職
1970年代後半、思春期のクリスティーナは『サタデー・ナイト・フィーバー』のジョン・トラヴォルタにガチ恋している。バスの中でディスコに踊り狂うトラヴォルタの姿を妄想している。友だちが「ねぇ、私の話きいてよ」と声かけられても浮ついた気持ちでいる。そんな彼女に、ニコラが賭けでナンパしてくる。ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」をチラつかせてくる嫌味なチャラ男なのだが、クリスティーナの心は奪われていく。そんな彼女はスケートリンクでのデートを心待ちにするが、家族からパン屋の切り盛りを任されてしまう。
人は時折、フィクションに自分の現状を重ね合わせる。本作は『サタデー・ナイト・フィーバー』における物語の構図とクリスティーナの現状を絶妙に位相をずらして描くことによって、『サタデー・ナイト・フィーバー』を見事なまでに脱構築してみせている。『サタデー・ナイト・フィーバー』は、家族との関係が微妙に悪く、未来を感じないペンキ屋でのバイトから逃避するようにディスコの酩酊に身を投じる男トニーを描いた内容である。トニーは大人の複雑な心がわからない。ペンキ屋で「お前、もっといいところで働けるよ」と言われる。それを盗み聞きした店長が給料を上げるとトニーにいう。すぐさま喜ぶ彼に店長は「そんなんでいいのか?ちょっとしか上がらないんだぞ!」と切れる。だが、その真意が理解できず「上がるだけいいじゃん」と語る彼に呆れて倍近くまで金を上げるのだ。単に表面的なポジティブさだけを捉え、未来を見据えていない様、目先の興奮にしか興味なくイキっているトニーがやがてあることをきっかけに「良いけど悪い」感覚と出会うまでが描かれている。
クリスティーナはそんな物語の表層だけを味わっているように思える。カッコよく踊るトニー、ビージーズの音楽にだけ夢中になっている。だが、彼女の人生もトニーに近いものがある。映画の大半はパン屋での労働で占められる。親に押し付けられた仕事。次から次へと客がやってきて、単調で目的もなくただただダルい仕事に嫌気が差している。フィクショナルな恍惚はニコラからのデートによって近いものとなるが、仕事によって遠ざけられそうになる。推し変しつつある感情、退屈と快楽との狭間で引き裂かれた彼女はパン屋を爆破しGET WILD退職。スケートリンクへと向かうのだ。
ここで興味深い演出が2つある。まずひとつはスケートリンクで流れる音楽だ。ビージーズの音楽は息を潜め、ローリング・ストーンズやジャクソンズといった楽曲に取って代わる。推しが変わる、移り気な心を象徴した音楽の使い方となっている。
次にスケートリンクでの群れの不気味な運動である。恍惚の渦中にいながらも蚊帳の外にいるような空間を強調するために、ヤンチョー・ミクローシュ映画さながらのマスゲームが展開されている。カイエ・デュ・シネマでのパトリシア・マズィのインタビューを読むと『迎春閣之風波』などのカンフー映画を参考にしたと語っていて面白い応用に感じた。
本作は日本だったら芥川賞を受賞しそうなカルチャーを扱った純文学的内容ではあるが、パトリシア・マズィ監督は見事に映画的作品へと押し上げていった。
ちなみに、マズィ自体はディスコ文化には興味なく、『サタデー・ナイト・フィーバー』を観たのも公開してから数年経ってからとのこと。ただ、『サタデー・ナイト・フィーバー』の異様な空気感がずっと心に残っていて、本企画が舞い込んできた際に題材として選んだとのこと。










