Father Mother Sister Brother(2026)
監督:ジム・ジャームッシュ
出演:ケイト・ブランシェット、アダム・ドライバー、インドゥヤ・ムーア、メイエム・ビアリックetc
評価:80点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
ジム・ジャームッシュ監督がついに三大映画祭の栄冠に輝く。第82回ヴェネツィア国際映画祭にて『ヒンド・ラジャブの声』や『スマッシング・マシーン』『しあわせな選択』『ブゴニア』を倒し金獅子賞を受賞した『Father Mother Sister Brother』がMUBIで配信されたので鑑賞した。
『Father Mother Sister Brother』あらすじ
Estranged siblings reunite after years apart, forced to confront unresolved tensions and reevaluate their strained relationships with their emotionally distant parents
訳:疎遠になっていた兄弟が何年も離れていた後に再会し、未解決の緊張に直面し、感情的に距離を置いていた両親との緊張した関係を再評価することを余儀なくされた。
家族の肖像アナスタイロシス
ジム・ジャームッシュの作品は大きく2つの領域に分類できる。ひとつめは『デッドマン』『ゴースト・ドッグ』『デッド・ドント・ダイ』といった映画的荒唐無稽さを主軸とした作品。もうひとつは『ストレンジャー・ザン・パラダイス』『ナイト・オン・ザ・プラネット』『コーヒー&シガレッツ』といった日常系である。本作は後者に分類される。後者のジャームッシュは多くの映画監督が真似しようとして失敗に終わっている。わたしも大学時代にジャームッシュかぶれの映画を作って屍を築いた。要は、閉じた空間の中でダラダラと会話する。その中で生まれるオフビートな笑い、カッコいいショットに映画監督志望の者は痺れ「俺でもできるかもしれない」と錯覚するのだ。これは、ベルイマンを真似ようとして対話の中の哲学とショットの強さのバランスに欠き失敗するケースに近い。ジャームッシュのバランス感覚は彼にしか出せない味なのだ。
閑話休題、『Father Mother Sister Brother』は3つの短編からなるオムニバスである。ジャームッシュのオムニバス映画の型通り、いくつかの共通したモチーフを接着剤とし、映画になりにくい我々の日常の一コマを掬い上げている。今回のモチーフは、車、スケボー、ロレックス、グラスやカップを囲んだ空間、そして家である。映画はどちらも閉じた個人的空間である家と車を心理の場として用いつつ、心理の距離として使い分けている。たとえば、《Father》ではジェフとエミリーが腹を割って話すような場として車が用いられている。一方で父の家は、リラックスできる空間でありながら、父が何かを隠しているかもしれない。どうやったらその真相にたどり着けるかといった空気の読み合いによる珍妙な緊迫感が生まれている。親密なように思えて、心理的距離があるように思える。車の中でのドライな会話の方が心理的距離感があるように思えて、絶妙に家の中の方が遠い感覚を捉えている。ここで多くの監督はウディ・アレンの『夫たち、妻たち』のようにシニカルに、シリアスに会話を繋げていくだろう。だがジャームッシュは、トム・ウェイツ演じる父が突然、斧を取り出し「チョップチョップ!」と、絶妙に狂人ではない、誇張抜きのリアリズムの中、奇行を取ることで笑いに変換する。この笑いが、クライマックスで提示される父の裏側の提示に結びついてくる。このような脚本の選択するのは難しいものがある。なぜならば、チグハグな映画になってしまうからだ。だが、ジャームッシュは飄々とそれをやってのけてしまう。
この人間の裏表の関係は次の《Mother》へと引き継がれる。コミュニティに新しく現れた「インフルエンサー」が誰なのかの探り合いが始まる。ここで、映画の共通項であるスケボーとカップを囲んだ空間との関係性が効果的に作用する。車の中から見えるスケボーの男たち。彼らは匿名的な存在である。スケボーをしている属性の裏側の人生は見えてこない。だが、家族がカップを囲み親密な対話をしたとて、狭く私的空間である車の中であっても他者は結局他者なわけで見えない側面がある。そのマスクされた領域の断片から推察し対話を通じたグラデーションある親密さの中で人間は生きていることが示されるのである。
最後のエピソード《Sister Brother》では、両親の死をきっかけに再会するシスターとブラザーが、もはやだれも住んでいないパリのアパートで秘密を知る内容となっている。家はタイムカプセルのように不在の断片が揺蕩う。その断片を拾い繋ぎ合わせることでバラバラとなった残された者たちの心も再び修復される。まさしく、人生におけるアナスタイロシスな側面をバキバキにキマッた鏡像のようなイメージで構成している。特に、シスターブラザーが部屋を挟んでシンクロするように窓を開ける実体的鏡像と、鏡を用いた仮想的鏡像の対比でもって表現している点に巧さを抱いた。
通常運転のジャームッシュで、これが金獅子かと物足りなさを覚えつつも遅効的に魅力が染み出してくる作品であった。










