悪い奴ほど手が白い(1967)
A CIASCUNO IL SUO
監督:エリオ・ペトリ
出演:ジャン・マリア・ヴォロンテ、イレーネ・パパス、ガブリエル・フェルゼッティetc
評価:60点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
映画批評家・大寺眞輔氏による新文芸坐シネマテーク「エリオ・ペトリ特集」2週目『悪い奴ほど手が白い』に行ってきた。前週の『労働者階級は天国に入る』と比べるとコスタ=ガヴラスに近いポリティカルサスペンスといった趣が強く、込み入ったミステリーだったため、イマイチピンと来なかったのだが、大寺眞輔氏の解説で出てきたキーワードによって一気に視野が広がった。こうした知見は英語含むインターネット領域はもちろん、文献でもほとんどアクセスすることができず、対人イベントがいかに重要かがわかる。
『悪い奴ほど手が白い』あらすじ
In Sicily, a leftist professor investigates the “honor killings” of two friends, uncovering a tangled web involving politicians, the Mafia, the Church, and the widow of one of the victims.
訳:シチリア島では、左翼の教授が二人の友人の「名誉殺人」を調査し、政治家、マフィア、教会、そして犠牲者の一人の未亡人が絡む複雑な絡み合いを暴き出す。
クローズアップしすぎた盲目さ
シチリアの町で薬剤師マンノと医師のロシオがバードハンティング中に射殺される。この殺人事件を巡る陰謀に教師のパオロは巻き込まれていく。
大寺氏は、本作の重要なキーワードとして「盲目」を挙げている。主人公のパオロには高校教師というインテリの象徴としての役割が付与されている。彼は犯人と思われる人物からのコラージュメッセージだったり、細かい要素に注視していくが、女性関係がヘタクソすぎて黒幕と繋がっている女の正体に気づけなかったりする。映画は執拗なクローズアップや、部屋に何気なく置いてあるメルヴィル「白鯨」を通じて、細かく見る中での盲目さを捉えていく。この解説を聞くと、重要なアイテムを渡すおじさんが盲目であることに意味がある。つまり、主人公の鏡像としての役割を担っているのだ。主人公は盲目なおじさんからアイテムを受け取る。陰謀に迫った気になるが、岡目八目、全体が見えておらず盲目である自分に盲目である。見えているが見えてない様を表現するために、あの場面で盲目のおじさんを登場させる必要があったといえよう。
ちなみに、この年のカンヌ国際映画祭はかなりの激戦区であり、脚本賞を『殺人ゲーム』と同時受賞にさせたことに審査員の苦悩がうかがえる。









