超かぐや姫!(2026)
監督:山下清悟
出演:夏吉ゆうこ、永瀬アンナ、早見沙織、入野自由、釘宮理恵、内田雄馬etc
評価:80点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
先日、YouTubeのコメントで『超かぐや姫!』の存在を知った。Netflix映画はだいたいがつまらないのでドキュメンタリー以外避けているのだが、調べてみると私の専門分野である仮想世界関連の作品ということで観てみた。142分と長尺な中、ここ10年ぐらいの仮想世界関係、インターネット文化を扱った映画にはないスペクタクル的高揚感で押し切るパワープレイな映画であった。確かに映画としては物語性に難があり、映画館映えするように思えて配信で観ることを前提としたような内容ではあったが、メディア論として興味深い一本のように感じた。
『超かぐや姫!』あらすじ
日本最古の物語「竹取物語」のかぐや姫と、現代エンタテインメントである音楽ライブの要素を融合し、豪華ボカロPたちの楽曲が物語を彩るオリジナルの音楽アニメーション。
バイトと学業の両立で多忙な日々を送る17歳の女子高生・酒寄彩葉にとって、インターネット上の仮想空間「ツクヨミ」の管理人であり大人気ライバー(配信者)でもある月見ヤチヨの配信を見ることは、日々の癒やしだった。ある日の帰り道、彩葉は七色に光り輝くゲーミング電柱の中から現れた、かわいらしい赤ちゃんと出会う。放っておけず連れ帰るが、赤ちゃんは瞬く間に彩葉と同い年ほどの少女へと成長する。まるでかぐや姫のようなその少女・かぐやのお願いで、彩葉は彼女のツクヨミでのライバー活動を手伝うことになる。彩葉がプロデューサーとして音楽を作り、かぐやが歌うことで2人は少しずつ打ち解けていく。しかし、そんな彼女たちのもとに、かぐやを月へと連れ戻そうとする不穏な影が忍び寄っていた。
「呪術廻戦」(第1期)や「チェンソーマン」「うる星やつら」などのオープニング映像演出で知られるアニメーションクリエイター・山下清悟が長編初監督を務め、ryo(supercell)、kz(livetune)、40mP、HoneyWorks、Aqu3ra、yuigotら名だたるボカロPたちが楽曲を提供。「ペンギン・ハイウェイ」「泣きたい私は猫をかぶる」のスタジオコロリドと、山下監督率いるスタジオクロマトが共同でアニメーション制作を担当した。Netflixで2026年1月22日から配信。
煌めくバーチャル空間に全ベットして
ここ10年、仮想世界を扱った作品の質感が変容したように思える。2020年代コロナ禍でメタバースやVTuberが社会的に認知されるようなってから、物語も『マトリックス』のような現実離れしたSFというよりかは、現実と地繋がりな内容へと変容してきた。一方で、多くの作品はインターネット空間と結びつく仮想空間はスラムのような場所であり闇が広がっている場として捉え、インターネットの闇を暴く内容へ傾倒しがちである。無理矢理、社会問題へとコミットした結果、『レディ・プレイヤー1』の説教臭い結末。『竜とそばかすの姫』における無理がある現実パート、『迷宮のしおり』の謎展開とどこか引っかかるものがある映画が量産された。実験映画やドキュメンタリーの場合、マシニマを始めとし仮想空間をどのように映像作品として捉えるかが模索され、全編VRChatで描いた『バーチャルで出会った僕ら』や失業した劇団員がゲーム「グランド・セフト・オートV」の中でシェイクスピアの「ハムレット」を上演しようとする『Grand Theft Hamlet』が作られたが、映画になり切れなさが存在していた。
そんな中、爆誕した『超かぐや姫!』はインターネットの闇を一切排除し、『劇場版プロジェクトセカイ 壊れたセカイと歌えないミク』のような強引に世界滅亡と結びつけた映画的クライマックスを配置することなく、ヴァーチャル活動者のクリエイターとしての高揚感を高純度にまで抽出した作品となっている。そのため、一見荒唐無稽でツッコミどころが多いように思える本作でありながら、実際にVTuberとして活動していたり仮想世界コミュニティを知っている人からすると、活動心理レベルでリアルな実体を位相ずらして描いた作品に感じる。最近、カンタン・デュピュー『The Piano Accident』、アマリア・ウルマン『Magic Farm』とインターネット活動、インフルエンサーを表層的に小バカにした映画に怒りを抱いただけに、『電車男』時代のような未来ある煌めくインターネット像を捉えた作品がついに現れたことに涙している。
本作は、バイトと学業を両立させながら、仮想空間「ツクヨミ」で推しのライバー月見ヤチヨの配信を観ることが趣味な女子高生・酒寄彩葉がひょんなことからゲーミングカラーに光る電柱からかぐや姫を拾うことをきっかけに、ライバーとなっていく話である。
本作は配信活動によって健康や学業、家庭経済に悪影響を及ぼす側面は最小限に抑える特徴がある。彩葉の机にはモンスター、レッドブル、ドデカミンといったエナジードリンクが山積みとなっている。かぐやとの配信活動を通じて勉強の時間が削られたり、トップを目指そうとするあまり過労気味で倒れたりする場面はあるが、映画が進むにつれ「自分のやりたいを満足いくまで貫く」物語となっていき、これらの問題は本筋から外され透明化されていく。他の映画であれば、真っ先にこの問題に切り込み説教臭い物語となってしまうのだが、仮想空間で活動している人の多くは、人生の何よりも配信や創作活動を優先する生態系を忠実に再現している。また、現実社会との繋がりが希薄となっているのも特徴である。わたしの会社にはボカロPやYouTuberがいるのだが、共通して「円安、戦争などでいつ滅亡するかわからない、未来は絶望的だからこそ《今》を全力で生きる。創作や配信はそ《今》を生きることそのもの」といった意識を持っているように思える。そのため、よく毎日のように8時間以上配信していたり、体調が悪くなり周囲が止めようとも活動を続けようとするのは、未来に一切期待せず今の快楽に全ベットしているからなのだ。
『超かぐや姫!』は、今そこにあるスペクタクルのために全力でゲームやコラボ配信のためのイベントに身を投じていくのである。そして、本作は今を仮想空間で生きる高揚感を表現するための手数が多く、かつ当事者性の高いものとなっている。たとえば、配信画面は実際にVTuberがOBS上で構成する画面を再現している。現実とOBSとでの差異を表現するために、Live2DでVTuber用のモデルを実装したり、ライブの場面ではホロライブなどのバーチャルライブを彷彿とさせる空間になっていたりする。さらに、「ツクヨミ」の空間はVRChatワールドの質感を有しており、そこで食事を共にする行為をメタ的に言及する場面があったりする。彩葉とかぐやは、VRChat的空間、VTuber配信、FPSゲーム、音ゲーなどといった空間をシームレスに飛び回る。空間の質感は異なれど、個の本質は変わらず移行していくライバー活動の本質を表している。近年、実写映画でも『山田くんとLv999の恋をする』や『ロマンティック・キラー』『恋愛裁判』のように女性がゲームに投じ、配信者として活動する映画は増えてきているが、このように自由に空間を移動できるにまでいたっていない。故に本作は2020年代、仮想空間をリアルに描いた作品としてのひとつの到達点となっているといえよう。
確かに、こうした文化に触れていない人にとっては、息をする暇も与えずに次々と世界が切り替わっていき、何と闘っているのか、目的は何かを見失ってしまうような作品かもしれない。映画のクライマックスもスペクタクルにはなっているものの小ぢんまりとした内容となっており、主人公の成長も感じにくい。だが、仮想世界で活動する者への人生賛歌として私は涙を流しながら評価したい。
P.S.楽曲提供者に「恋愛裁判」の40mPがいて、絶妙に現在、劇場で公開中の『恋愛裁判』とシンクロしていて笑った。










