『メランコリア』フィクションで世界を滅ぼすことは救いだ

メランコリア(2011)
Melancholia

監督:ラース・フォン・トリアー
出演:キルスティン・ダンスト、キーファー・サザーランド、シャルロット・ゲンズブールetc

評価:85点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

先日、デンマーク映画研究者とラース・フォン・トリアーの話をした時に、彼女から「私、ラース・フォン・トリアー苦手なんだけれど『ハウス・ジャック・ビルト』は良かったんだよね、女性主人公の話が多い中、珍しく男性主人公だったからかな」と話をうかがった。この発言には重要なものがあると思う。村上春樹作品におけるミソジニー性が議論の的になっている中、映画だとラース・フォン・トリアーをその点から再考する必要があると感じている。ラース・フォン・トリアーの場合、自分の内面における葛藤を女性を介して描くことが多い。一見すると、悲惨な運命を辿る女性、社会的抑圧を受ける女性に寄り添っているように思えて、実は監督の仮想的な他者として異性を配置しているだけのように思える。『メランコリア』が鬱病を患った監督がセラピーを受けることにより着想を得た話なので、本作は女性というよりも監督自身に寄り添った内容となっている。また、ラース・フォン・トリアーの作品は暴力的なものが多く、『ドッグヴィルの告白』におけるパワハラともいえる行動の数々から、ミソジニーの側面を感じる。つまり、自分の話を女性に転嫁し、サンドバックにしている点が問題と言える。彼女が『ハウス・ジャック・ビルト』を評価していたのは、主人公を男性にし、ひたすら自問自答する。ラース・フォン・トリアーが自分と向き合ってストレートな映画を作ったからなのではないだろうか。

先日、『メランコリア』を再観した。ミソジニーの問題は存在するのだが、個人的に映画のメカニズムは評価できると感じた。『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』と比較するとまた面白い側面が出てくる作品であり、批判のポイント含めて注目の作品である。

『メランコリア』あらすじ

「ダンサー・イン・ザ・ダーク」「アンチクライスト」の鬼才ラース・フォン・トリアーが、巨大惑星の接近で終末を迎えつつある地球を舞台に、人々の孤独と絶望、魂の救済をワーグナー作曲の「トリスタンとイゾルデ」の壮大なメロディにのせて描き出していくドラマ。姉夫婦の豪華な邸宅で盛大な結婚パーティを開くジャスティンは、皆から祝福され幸福感に満たされる一方、どこかでむなしさも感じていた。そんなとき、巨大な惑星「メランコリア」が地球に向けて近づいていることが判明。それは同時に地球滅亡の知らせでもあったが、それを聞いたジャスティンの心はなぜか軽やかになっていく。主人公ジャスティン役のキルステン・ダンストが2011年・第62回カンヌ国際映画祭で女優賞を受賞した。

映画.comより引用

フィクションで世界を滅ぼすことは救いだ

結婚披露宴が開かれる。主役であるジャスティンは、皆から祝福されているはずなのに居心地の悪さを抱き、どうにかして式を破壊しようと、途中で抜け出したりセックスをしたりする。やがて、式は崩壊するのだが、それ以上に大きな終末、惑星メランコリアの落下が迫っていた。絶望に陥る人々だったがジャスティンは心穏やかにその時を待っていた。

本作は絶望的な話ではあるのだが、救いの映画である。我々はクソみたいな仕事、どうしようもない社会に対し、時折「滅びてしまえ」と思うことだろう。すべてが終わってしまえば気が楽になるからだ。しかし、現実は間延びした虚無が続くだけであり、自殺もそう簡単にできない。ラース・フォン・トリアーは『ダンサー・イン・ザ・ダーク』同様、絶望的な境遇にいる者が想像しうる外的要因によって完全なる終わりを迎える。虚構であれば世界を仮想的に破壊することが可能であり、そのカタルシスが我々に希望を与えるのである。

『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』の場合、確かにフィクショナルな惨劇は発生するのだが、それはアーサーが想像できないものかつ、大衆の「アーサー」に対する注目への渇望を叶えるものではない。だから『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』は絶望的であり、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』や『メランコリア』は希望的な作品と言えよう。

また、社会における茶番のメタファーとして結婚披露宴が使われているのも興味深い。会社では役割を与えられ、ある目的のために指定された業務をこなす。結婚披露宴は「結婚した」事実はあるのに、形式によってそれを確認する作業が遂行され、そこへ訪れる人々は役割を機械的に演じる。ラース・フォン・トリアー作品は、他者がいるようでいない、他が一方的に振る舞うか、主人公が内省しているかであり親密な対話がなかったりする。会社における人々の無機質さを結婚披露宴で表現しているように感じた。

そして、その役割から外れた者は絶望するのだが、その破壊を望む者は破壊の到来に希望を見出す構図となっている。鬱病になったことある人ならピンとくる心理的振る舞いを異様な解像度で映画化した作品であり、個人的には彼の作品の中でトップクラスに評価できると思う。
※映画.comより画像引用

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