『ビフォア・ミッドナイト』萎びた教養

ビフォア・ミッドナイト(2013)
Before Midnight

監督:リチャード・リンクレイター
出演:イーサン・ホーク、ジュリー・デルピー、シーマス・デイヴィー=フィッツパトリックetc

評価:65点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

『ヒットマン』を観て、リチャード・リンクレイター作品に興味持ったので『ビフォア・ミッドナイト』を観た。これまた興味深い作品であった。

『ビフォア・ミッドナイト』あらすじ

リチャード・リンクレイター監督、イーサン・ホーク&ジュリー・デルピー主演の人気ラブロマンスシリーズ第3作。列車の中で出会ったアメリカ人のジェシーとフランス人のセリーヌが、夜明けまでの時間を過ごした「ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)」(1995)、同作から9年後の2人を描いた「ビフォア・サンセット」(2004)に続き、前作から9年を経た2人の現在を描く。双子の娘に恵まれ、パリで一緒に暮らすジェシーとセリーヌ。2人は友人に招かれてバカンスのためギリシャの海辺の町へやってくるが、ジェシーは元妻とシカゴで暮らす10代の息子が気がかりで、セリーヌは環境運動家としての仕事に不安を感じており、それぞれ頭を悩ませていた。そんな時、ジェシーがアメリカへの引っ越しを提案したことから、2人の会話は夫婦喧嘩になってしまい……。

映画.comより引用

萎びた教養

『ヒットマン』を観て、リチャード・リンクレイター作品からアメリカ映画を考えたくなる。アメリカ映画には、与えられた役割によってアイデンティティを確立させていくものがあり、ヒーロー映画なんかを観ると、そのヒーローを受け入れ、続編へと繋がる型が主軸なのではと思う。『ヒットマン』も偽の殺し屋を演じる中で、そこにアイデンティティが生まれて来る過程を描いていた。これは『スクール・オブ・ロック』や『スキャナー・ダークリー』でも観られる光景であり、実はアメリカ映画らしいアメリカ映画を撮り続けている監督がリチャード・リンクレイターだと思っている。

ビフォア三部作は、その観点から観ると興味深い。「何者」でもない旅行者が、列車内での夫婦喧嘩をきっかけにジュリー・デルピー演じる女と出会い、束の間の情事を送り、奇跡的な再会の高まりを経て最終章を迎える。ここではデビュー作でのトリガーとなっている夫婦喧嘩が円環構造として機能しており、「夫婦」としてのアイデンティティを受け入れた者たちのヒリついた葛藤が描かれる。一般的に、アイデンティティを受け入れるアメリカ映画はポジティブな質感を持つ。しかし、本作はかつて教養とやらで親密な会話が展開されていたものがもはやマンスプレイニングのような役割しか果たさなくなった醜さを前面に押し出し、ネガティブな方向へと舵を切る。その中でも人生を歩まねばならない状況を描いているのだ。ある意味、アメリカ映画の型を継承しながら対岸へと物語を運ぶ批評的作品。最近観た中だと、『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』と共通するものを抱えている作品であった。