インディ・ジョーンズと運命のダイヤル(2023)
Indiana Jones and the Dial of Destiny
監督:ジェームズ・マンゴールド
出演:ハリソン・フォード、マッツ・ミケルセン、ジョン・リス=デイヴィス
評価:85点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
インド行きの飛行機で観た。公開当時、予告編に惹かれていたものの、評判があまりにも悪くてスルーしたのだが、観てみたら想像以上の傑作で、ヒッチコック的冒険活劇を緻密に編み込みつつ、前作における萎びた茶番をアップデートし、豪快な茶番へと進化させていた。そして、この茶番はマンゴールド監督が「アメリカ映画の限界」を描いているように思えた。以下、順番に語っていく。
『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』あらすじ
ハリソン・フォード演じる考古学者インディ・ジョーンズの冒険を描くアドベンチャー映画の金字塔「インディ・ジョーンズ」シリーズの第5作。前作から15年ぶりの新作となり、過去4作でメガホンをとったスティーブン・スピルバーグはジョージ・ルーカスとともに製作総指揮を務め、「LOGAN ローガン」「フォードvsフェラーリ」のジェームズ・マンゴールド監督にメガホンが託された。
考古学者で冒険家のインディ・ジョーンズの前にヘレナという女性が現れ、インディが若き日に発見した伝説の秘宝「運命のダイヤル」の話を持ち掛ける。それは人類の歴史を変える力を持つとされる究極の秘宝であり、その「運命のダイヤル」を巡ってインディは、因縁の宿敵である元ナチスの科学者フォラーを相手に、全世界を股にかけた争奪戦を繰り広げることとなる。
宿敵フォラー役を「ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密」「アナザーラウンド」など国際的に活躍するデンマークの名優マッツ・ミケルセン、インディとともに冒険を繰り広げるヘレナ役をドラマ「Fleabag フリーバッグ」「キリング・イヴ Killing Eve」のクリエイターとしても知られるフィービー・ウォーラー=ブリッジが務める。そのほか、「レイダース 失われたアーク《聖櫃》」「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」にも登場したサラー役のジョン・リス=デイビスがカムバック。スペインの名優アントニオ・バンデラスも出演する。シリーズおなじみのテーマ曲を手がけた巨匠ジョン・ウィリアムズが引き続き音楽を担当。
遅効性の落下とアメリカ映画の限界
まず、本作は映画の軸ともいえる個の集合と遅効性の落下を魅力的に描くところから始まる。インディアナ・ジョーンズ、仲間、そしてマッツ・ミケルセン演じる敵役が、ナチスによる混沌の中、それぞれが偽りの仮面を被り宝の争奪戦を行う。彼らは、バラバラに行動しながらも物語を運ぶ装置である列車へと導かれていく。その過程でインディアナは、ナチスに捕まり絞首となる。絶体絶命の中、爆弾が落ちてくる。ここに注目である。爆弾はすぐには爆発しない。重みで床が軋み、そして階下に落下し、そこで爆発するのだ。反動で抜ける床。インディアナは、落下死との宙吊りに晒されながら難を逃れる。すぐさま落下の結果が訪れない「遅効性」をマンゴールド監督は見出し、その後も落下する飛行機におけるアクション、ダンジョン攻略における時間差で開く床などに反映していくのだ。
そして、映画は組み立て式のダイヤルを巡り、インディアナが大学での殺人事件の容疑者にされ、冤罪を晴らすために追う/追われるの関係が生まれるまさしくヒッチコック『三十九夜』たる修羅場活劇へと発展していく。
そこには面白いアクションの宝が眠る。たとえば、組織から逃げるためにパレードへと紛れる場面。敵が空に銃を発砲する。パレードの群れは一斉にしゃがみ込むのだが、幾多の修羅場を潜り抜けてきたインディアナは銃声ごときで狼狽することはない。その特性が仇となって発見されてしまうのだ。
さて、本作は極めてアメリカ映画的だ。「アメリカ映画」とはなんだろうか?それは、ひょんなことから役割を与えられ、それを受容することで新しい自分を手に入れ、自分の務めを果たす映画のことだろう。アメリカがヨーロッパから自由を求めて来た人の国家であり、ヒーロー映画など新しい自分と出会い責務を果たす映画が多いことから、私にとってのアメリカ映画の定義のひとつとなっている。
閑話休題、本作はリチャード・リンクレイター『ヒットマン』に近いアメリカ映画といえる。平凡な大学教授が、ひょんなことから冒険家となる。修羅場を潜り抜ける中で、自分がやるべきこと。つまり、誤ってたどり着いた古代でアルキメデスと対話することを選ぼうとするのだ。しかし、面白いことに本作はアメリカ映画における新しい自己を否定する着地をする。
古代に残ろうとするインディアナをヒロインがビンタし、力づくで現代へと連れ戻すのである。「あなたにはこの時代にいてもらわないといけないの」
ハリソン・フォードは『スター・ウォーズ』で雑な撤退をしていた。本作はそれを回避しつつも、老体に新しい自己を与えることを拒絶する。2020年代のアメリカ映画が、MCUを中心に行き詰まっていることを象徴した茶番になっていたのである。確かに物議を醸すが、個人的にはマンゴールド監督の皮肉、悪くない。
※映画.comより画像引用