アリスとテレスのまぼろし工場(2023)
監督:岡田麿里
出演:榎木淳弥、上田麗奈、久野美咲、瀬戸康史etc
評価:80点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
公開前からやたらと話題になっていた『アリスとテレスのまぼろし工場』を観てきた。これは驚かされた。アリストテレスの形而上学理論「エネルゲイア」を援用し、イングマール・ベルイマンもびっくりな人間の内なる感情、複雑な恋愛観を描こうとしていたのだ。正直、分からない部分も多い。だが、そういう映画を最近観たい欲望があり、個人的に楽しかった。今回は、エネルゲイアの理論をもとに本作の構造とアニメ演出の凄さについて語っていく。何も知らずに観て欲しいのでネタバレありの記事とした。
『アリスとテレスのまぼろし工場』あらすじ
「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」などの脚本家として知られ、「さよならの朝に約束の花をかざろう」で監督デビューを果たした岡田麿里の監督第2作で、「呪術廻戦」のアニメーション制作会社・MAPPAとタッグを組んだオリジナル劇場アニメ。
製鉄所の爆発事故によって全ての出口を閉ざされ、時まで止まってしまった町。いつか元に戻れるように「何も変えてはいけない」というルールができた。変化を禁じられた住民たちは、鬱屈とした日々を過ごしている。中学3年生の菊入正宗は、謎めいた同級生・佐上睦実に導かれて足を踏み入れた製鉄所の第五高炉で、野生の狼のような少女・五実と出会う。
「呪術廻戦」の榎木淳弥が主人公・正宗、「私に天使が舞い降りた!」の上田麗奈が同級生・睦実、「リコリス・リコイル」の久野美咲が謎の少女・五実の声を担当。製作陣にも副監督の平松禎史、キャラクターデザイン・総作画監督の石井百合子、美術監督の東地和生ら、「さよならの朝に約束の花をかざろう」のメインスタッフが再結集。「空の青さを知る人よ」の横山克が音楽を手がける。
エネルゲイアは内なる闇を打破する
てっきり、アリスとテレスが主人公の映画だと思っていたら全く出てこず困惑した人も少なくないだろう。これはギリシャ哲学者アリストテレスを「と」で分離したものとなっており、「まぼろし工場」を軸にふたつの世界へ分離している。高度な理論が実装された題名といえる。アリストテレスは様々な理論を打ち出していることで知られているが、劇中ではっきりと提示されているものに「エネルゲイア」というものがある。これはアリストテレスの形而上学で語られている理論だ。よくある例え話として木の椅子がある。椅子自体は「木」である。しかし、職人が手を加えて人が座れるように変化させることで「椅子」となる。この時、「椅子」である状態をエネルゲイア(=現実態)と呼ばれる。一方で、椅子になる可能性を秘めた状態としての「木」をデュナミス(=可能態)と呼ぶ。
これを踏まえて映画を観ていく。工場の事故により、村は閉ざされてしまう。変化を求めると天がひび割れ竜のような煙が人々を消し去ってしまう。なので、村人たちは新しいことを考えないように、いつも通りの暮らしを続けようとしている。そんな生活に虚無を抱く菊入正宗は魔性の女・佐上睦実に惹かれる。それがクラスメイトをかき乱したり、工場にいる言葉もおぼつかない野生児との邂逅を引き起こす。やがて彼の行動が村の崩壊へと繋がっていることに気付かされていく。
映画のギミックとして、本作は事故をきっかけに過去に囚われたまま大人になってしまった菊入正宗の心象世界として村が存在したことが判明するのだ。過去を引き摺るものは、過去のイメージに自己を押し込めて前へと進めない。だが時間だけが進んでしまう。そういった停滞を打破していく物語をアニメ的アプローチで描いている。天が割れる、煙の竜が現れる。その異様な光景は恐怖を想起させる。現実において変化は恐怖を引き起こすものである。だが、その変化を乗り越えることが過去のトラウマを乗り越えることとなる。工場にいる少女を押し込めようとする運動、魔性の女・佐上睦実が引き起こす恐怖、大人たちが現状維持をしようと子どもたちを押し込めようとする様子は、菊入正宗が前へと進むことを拒む役割を果たしている。しかし、少女の恐怖よりも本能に従い危険を犯していく運動や、電車という前へ進むメタファーが、彼の微かに残された運動、特に創作意欲をベースとして大胆な行動を起こしていく。つまり未来を変えることができるデュナミスとしての菊入正宗が、実際に未来を変えエネルゲイアとして新しい人生を築こうとする話なのだ。なので、『インサイド・ヘッド』のような話として観るとしっくりくるだろう。
とはいっても、物語の整合性としてみると、終盤の視点や急展開は未だ飲み込めないものがある。でもそれはそれで良い。社会や心理的世界は混沌としているものだし、トラウマは事実を曲解させるものだから。何よりも、人間が生きた証としての廃工場像や虚実を繋ぐ割れた世界のヴィジュアルがアニメならではの説得力を持っていたのが素晴らしかった。これをCGでやったらチープすぎて興醒めしてしまうだろうし、『ドクター・ストレンジ』のようなポータルにしか思えなかったであろう。
※映画.comより画像引用