『父と暮せば』罪悪感と内なる対話

父と暮せば(2004)

監督:黒木和雄
出演:宮沢りえ、原田芳雄、浅野忠信etc

評価:60点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

8月なので原爆関連の映画を観てみようと『父と暮せば』を観た。本作は山田洋次『母と暮せば』の元ネタでもあり、あちらは二宮和也の怪演が魅力的な作品であった。

『父と暮せば』あらすじ

原爆投下から3年後の広島を舞台に、生き残った負い目を抱える娘と、彼女の前に幽霊となって現れた父の交流を描いた人間ドラマ。井上ひさしの同名戯曲を基に、「美しい夏キリシマ」の黒木和雄監督がメガホンをとった。昭和23年、広島。3年前の原爆で父・竹造を亡くした美津江は、自分だけが生き残ったことに負い目を感じながら生きていた。勤務先の図書館で知り合った青年・木下と惹かれ合いながらも、幸せになることへの罪悪感から一歩を踏み出すことができない。そんな美津江の前に幽霊となって姿を現した竹造は、ふたりの恋を成就させるため、どうにか娘の心を開かせようとするが……。宮沢りえと原田芳雄が主演を務め、浅野忠信が共演。

映画.comより引用

罪悪感と内なる対話

先日観た『ドイツ・青ざめた母』もそうだが、戦後の人間心理に「生き延びてしまった罪悪感」が存在する。戦争だけでなく、辛い過去を思い出す度に前へ進むことに対する躊躇が生まれるものだが、戦争となるとその反動も大きい。そして今はSNSやWebのブログサービスで内なる自己を吐露することができる。知り合いには読まれたくないが誰かには読んでほしい。コメントはいらないけれど、ほしくもある。そういった複雑な自問自答を外部化することができる。しかし、SNSのない時代においてそれは難しく、フィクションの中では、少し客観的に事象を捉える存在として「他者」の幻影が必要となってくる。本作の場合、父の亡霊がその役割を担っており、前へ進めなくなった彼女を後押しするような役割を担っている。

本作は戯曲の映画化ゆえ、全体的に演劇的なオーバーアクションとなっている。演劇の場合はオーバーアクションによって観客の脳裏に舞台装置以外の情景を想起させる役割があると思うのだが、映画は世界の中にカメラを置くわけなので、オーバーアクトではなく空間で情景を作った方が映画的といえるのだが、本作は演劇的に頼りすぎている気がしてそこまで乗れなかった。しかし、時折、絵画のように洗練された構図。たとえば、灯籠のようなオブジェクトを使って空間を分離させるといった演出には惹かれるものがあった。

※映画.comより画像引用

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