『インビジブル・シャーク/Invisible Shark』見えないものを共有すること

インビジブル・シャーク(2023)
Invisible Shark

監督:コーディー・クラーク
出演:Noa Lindberg、Livvy Shaffery、コーディー・クラークetc

評価:90点


おはようございます、チェ・ブンブンです。

2022年、サメ映画界隈を騒然とさせた「サメの出ないサメ映画」こと『ノー・シャーク』。本作は一般的なサメ映画を期待して観ると、フランスのバカンス映画のような哲学チックな作品であった。その語りがあまりに面白く年間ベストに入れた。さて、そんなコーディー・クラーク監督がクラウドファンディングで資金調達を行い第二弾を作った。それが『インビジブル・シャーク』である。お察しの通り今回も「サメの出ないサメ映画」である。このクラウドファンディングに出資していたため、試写リンクをもらった。実際に観てみると、前作以上に形而上レベルが上がっていたのだった。

『インビジブル・シャーク』あらすじ

A young woman struggles through life after an unbelievable encounter with an invisible shark.
訳:目に見えないサメとの信じられないような出会いをきっかけに、若い女性が人生に苦悩していく。

IMDbより引用

見えないものを共有すること

浜辺で男女が話していると、突然「インビジブル・シャークだ!」と叫びながら消滅していく。それを見ていた女が近くにいる人に「あの人、インビジブル・シャークに食われたんだけれども」と語るのだが、その存在を信じてもらえず目が醒める。これは夢だったのだ。「インビジブル・シャーク」について、地面にへばりついたガムのように頭のどこかで考えてしまう女。そんな彼女の前に、幼稚な黒人男性が現れる。彼は「インビジブル・シャーク」を信じていたのだ。世話役の男は「インビジブル・シャーク」を信じておらず、深いそうに二人の対話を見つめている。二人はなぜだか親密な関係になっていくのだ。

本作は「見えないサメ」を通じて信仰とは何かを読み解こうとしている。例えば、神は存在しないが、神が存在することを他者と共有することにより親密な関係性が生まれることがある。それはもっと広義な意味で捉えれば、虚構を共有することと繋がる。本作では「見えないサメ」といった概念を通じて、神と信仰の関係性を掘り下げているように見える。視覚的表現として、YouTuberが使いそうなチープな音と共に安っぽく消える人体像が提示される。

これは他者と概念を共有することがいかに難しいかを暗示しているように思える。「見えないサメ」は馬鹿げている概念だろう。だから夢でも現実でもなかなか信じてもらえない。拒絶が生まれる。しかし、それを受容して共に考えることで人生が豊かになっていく。時として信仰や虚構を信じることは馬鹿らしく思えてくるが、それを信じることの重要さを謳っているのだ。辛く、厳しい今の時代の片隅に咲く癒しとして私はこの映画を支持したいと思う。

※IMDbより画像引用