【 #死ぬまでに観たい映画1001本 】『野郎どもと女たち』サイコロ博打ミュージカル

野郎どもと女たち(1955)
GUYS AND DOLLS

監督:ジョセフ・L・マンキウィッツ
出演:マーロン・ブランド、フランク・シナトラ、ジーン・シモンズ、ヴィヴィアン・ブレイン、スタビー・ケイ、ヴェダ・アン・ボルグetc

評価:75点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

「死ぬまでに観たい映画1001本」掲載のミュージカル映画『野郎どもと女たち』を観た。本作はジョセフ・L・マンキウィッツ×マーロン・ブランドの異色ミュージカルとして知られているのだが、ミュージカル映画史にとっても重要な作品なのではと思う程にユニークな作品であった。

『野郎どもと女たち』あらすじ

タイムス・スクエア近くの街頭で、サラ・ブラウン(ジーン・シモンズ)という救世軍の女軍曹が、魂を救うにはわが許に来たれと熱弁を振っていた。その頃、お調子屋のジョンスン(スタッビー・ケイ)と南街のベニイ(ジョニー・シルヴァ)の2人は、お馬のハリー(シェルドン・レオナード)に出逢った。ハリーは、ネイザン・デトロイド(フランク・シナトラ)の賽ころ博奕の賭場を探していると言ったが、ネイザンは場所を変えて警察の目を逃れていた。ジョンスンとベニイの2人は理髪屋でネイザンを探しているブラニガン警部(ロバート・キース)に出逢ったが、警部は今にネイザンの賭場を押えてやると言った。ネイザンは近頃シケていた。場所を貸してやろうというジョイは、前金1000ドル出せば車庫を貸すと言う。お蔭で、14年も婚約している恋人アデレイド(ヴィヴィアン・ブレイン)にプレゼントすらできない。彼は、町に大博奕打ちのスカイ・マスタスン(マーロン・ブランド)が来ていると知り、彼に1000ドルの賭をしないかと云うが仲々乗らない。この時街を救世軍の楽隊が通った。ネイザンは先頭のサラを指して、彼女をハバナへ連れて行けるかどうか1000ドルの賭をしようと言い、スカイは承知した。

映画.comより引用

サイコロ博打ミュージカル

横移動で、総天然色を活かした豪華絢爛、煌びやかな世界を映す。ふたりのファッションの色を下半身と上半身で入れ替えた状態での舞いはミュージカル映画ならではの目のご褒美である。一見平面的な画に見えて、地下鉄の奥行き、通りの奥行き、建物の出っぱりをキュビズムのように強調していく立体的な空間の中でダンサーが踊り狂う。このさりげない豊かな空間配置に惹き込まれる。ようやく歌が始まったと思いきや、内容が競馬でどの馬が勝つかといった内容。映画はそのまま、サイコロ博打で稼いでいる男の物語へと流れ込む。煌びやかなミュージカルと、ダークなフィルムノワールのマリアージュという異色さに驚かされる。本来であれば水と油なはず。しかもサイコロ賭博なんてどうやってダンスで表現するのだろうか?と思ったら、SF映画ばりに組まれたセットの中、10人ぐらいの男がサイコロ賭博に励む様子をダンスという運動に変換している。これが面白い。ちゃんと真逆のジャンルが共存しているのである。

本作をミュージカル映画の文脈で解釈してみると、興味深い説が浮かび上がる。1930年代、世界恐慌で陰惨とした現実から逃避する娯楽としてミュージカル映画が量産された。バズビー・バークレーの豪華絢爛で凄まじいスペクタクルは、多くの人々の心を癒した。本作が作られたのは1955年。第二次世界大戦が終わり、兵士が故郷に帰還するも、PTSDに陥ったり、社会復帰できない人が続出した時代だ。そんな者たちの現実逃避として本作があったのではないか?戦争はある種社会システムから外れた運動を強いられる。社会システムに順応できなくなった者にとって、サイコロ博打で一攫千金を狙おうとする様を、かつて現実逃避の娯楽としてあったミュージカル映画で包まれていたら癒しの作品に見えるのではないだろうか?

このように考えると、ミュージカル映画史にとって重要な作品な気がしてきた。

※MUBIより画像引用

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