リダウト(2019)
Redoubt
監督:マシュー・バーニー
評価:65点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
東京都写真美術館で開催しているマシュー・バーニー特集にて上映された『リダウト』を観てきた。『クレマスター3』を観た際の独特な難解さがパワーアップしていました。
『リダウト』あらすじ
人里離れたアイダホの雪山で、銅板にエッチングする男。彼は動物を追っているのか、それとも何者かに追われているのか?古代ローマ神話「ディアナとアクタイオン」における狩猟の女神が、自ら銃を持ち同じ雪山で獲物を探しているが…。
本能の拡張としての道具
今回もほとんどセリフなしで進行する。アイダホの雪山を舞台に、動物を狙撃するパートと家で銅板にエッジングするパートに分かれている。老夫婦のパートを軸に、雪山で木をロープを使って登る者、フラフープを複雑に身体に絡ませる者が登場する。一見すると、よくわからない表象が続くので困惑するのだが、辛抱強く観ていると、後半、狼が家を襲撃する場面で腑に落ちる。これは人間の本能を描いた話である。人間の運動を観ていると共通している点がある。それは「道具」を使うことである。老夫婦は、銅板に傷をつけ、電気を使うことでアートを作り上げる。フラフープ使いは、自らに無数の輪を潜らせることで独特の身体構図を生み出そうとしている。木を登る者も動物を狙撃する者も、その行動は全て生きるための行動ではない。欲望を満たすための行動となっている。人間は針、ロープ、銃といった道具を使って欲望を満たしていく。つまり、「本能の拡張」として道具があるのだ。その犠牲になっていく狼は終盤、老夫婦の家を襲撃する。これは人間の拡張された本能に対して自然がしっぺ返しをするメタファーとなっているだろう。銃が何故か沸騰していて銃口が歪んでいく超自然的描写からも読み取れる。
『クレマスター3』で資本主義のシステムによる奴隷となった人間像を描いたマシュー・バーニーは本作では「本能の拡張」の目線から人間を批判した。この監督は想像以上に社会派監督なのかも知れません。
※MUBIより画像引用