理不尽ゲーム(2014)
Бывшийсын
作者:サーシャ・フィリペンコ
訳:奈倉有里
出版社:集英社(2021発行)
おはようございます、チェ・ブンブンです。
Twitterで話題となっていたベラルーシのディストピア小説「理不尽ゲーム」を読みました。コロナ禍になって日本はルーマニアのような東欧の閉塞感の空気を帯びてきたなと感じるこのところ、ベラルーシは欧州最後の独裁国家と言われるらしくルカシェンコ体制から逃れるように東京五輪後亡命する選手がいるほど過酷な国なんだとか。「理不尽ゲーム」はそんなベラルーシ社会を取り巻く閉塞感をディストピア小説として書いた代物だ。こうした作品が日本に翻訳されて入ってくるとは嬉しい限り。早速読んでみました。
「理不尽ゲーム」あらすじ
欧州最後の独裁国家ベラルーシ。その内実を、小説の力で暴く。
群集事故によって昏睡状態に陥った高校生ツィスク。老いた祖母だけがその回復を信じ、病室で永遠のような時を過ごす一方、隣の大国に依存していた国家は、民が慕ったはずの大統領の手によって、少しずつ病んでいく。
10年後の2009年、奇跡的に目覚めたツィスクが見たものは、ひとりの大統領にすべてを掌握された祖国、そして理不尽な状況に疑問をもつことも許されぬ人々の姿だった。
時間制限付きのWi-Fi。嘘を吐く国営放送。生活の困窮による、女性の愛人ビジネス。荒唐無稽な大統領令と「理不尽ゲーム」。ジャーナリストの不審死。5年ごとの大統領選では、現職が異常な高得票率で再選される……。
緊迫の続く、現在のベラルーシの姿へとつながる物語。
ベラルーシの理不尽あるある早く言いたい
留年が存在せず、素行や成績が悪ければ退学となってしまう音楽学校。そんな息苦しさにフランツィスクの心は抑圧されている。そんな彼は地下鉄で待ち合わせをするのだが、突然大粒の雹が降り注ぐ。人々は狭い地下鉄にどっと集まりパニックとなる。人がすし詰めとなって、それは死の山を築きあげる。息もできず、人海の洪水に飲まれたツィスクは昏睡状態となってしまう。1999年にミンスクの地下鉄ネミガ駅で発生した群衆事故からインスパイア受けた暴力的で衝撃的な描写によりツィスクと社会との間に長い長い空白が生まれる。絶望的な状態に医者も諦めてしまう中、祖母だけが彼に寄り添い、停止した時間の空間を作り上げる。そして奇跡的に、10年後目を覚ましたツィスクが見たものはハリボテの世界だった。
街には高級車があるが、それはベラルーシの価値が著しく低下したことにより、現れた表面的な豊さだ。大統領選ではなぜか、高確率で現職が再選されてしまう。人々の間では「理不尽ゲーム」と呼ばれるベラルーシの理不尽あるあるを語り合うのがブームとなっている。例えば、ドイツの企業家がこの国で高品質なソーセージ屋を作った。国営工場の長は、それを打開する為に案を考える。その結果「ドイツのソーセージ屋はこの国の規格を上回っている。つまり規格外だから違法だ。」という論理で追い出すことに成功した。高品質を論理的に規格外=違法に結びつける理不尽さがまかり通っているのだ。人々は政権批判を大々的に行うことができない。下手すると不自然な「自殺」として闇に葬り去られてしまうからだ。だから人々は、慎ましく現実を受け入れ、時折陰惨とした小噺で憂さを晴らす。
どうでしょうか?今の日本に近いものがあるでしょう。どんなにTwitterで異議を唱えても、国のアンケートフォームに問題提起しても採用されず、凋落していく日本は「日本スゴい番組」というハリボテで見栄をはり、人々の間では冷笑が広がっていく。
正直、本作はベラルーシの事象を並べているだけで、10年間の隔たりや、ロシア語とベラルーシ語の混合の物語に対する影響(奈倉有里の翻訳での工夫は面白い)が弱いなとは思ったが、今の日本で読まれるべきディストピア小説であることに変わりはないだろう。映画化してほしいなと思う。
※集英社ページより画像引用