漁村の片隅で(2020)
The Fisherman’s Diary
監督:エナ・ジョンスコット
出演:カン・クィントゥス、フェイス・フィデルキャッソン・チネポー、ラムジー・ノア、ンダモ・ダマリスetc
評価:65点
#ダダーン
皆さん、カメルーンをご存知だろうか?アフリカ西南部にある国で、ニシローランドゴリラの生息地で有名な世界遺産ジャー動物保護区がある場所だ。なんと、Netflixではそんなカメルーンの映画が観られるのです。タイトルは『漁村の片隅で』。カメルーンの貧しい漁村で暮らす女の子が父親の監視を回避しつつ学校に勉強をするエクストリーム登校映画だ。こんな作品が観られるのはNetflixだけ。
(Netflixは折角、独占配信のユニークな作品、ナイジェリアのナリウッド映画なんか多数配信しているのに、宣伝もせず、検索ノウハウがないと辿り着けない仕様になっているのはどうかしていると思います。)
『漁村の片隅で』あらすじ
ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイに触発され、自分も学校教育を受けたいと思うようになった少女。だが、父親や村人たちから大反対されてしまう。
カメルーンのフィッシャーマンはなぜ娘から勉強を取り上げるのか?
1987年に発行された「ブラック・アフリカの映画」によると、カメルーン映画史はセネガルやナイジェリアと比べて花を咲かすことに難航したようだ。そもそも427もの言語があり、テレビもなければ人口も少ない国だったことからも映画産業発展難易度の高さが伺える。とはいっても、他国に追随する形でニュース映画を製作する延長に映画産業が発展していく軌跡を歩んでいる。フランスの映画学校(IDHEC)に留学していたジャン=ポール・ンガサが『フランスで予期せぬ出来事(1962)』を撮影し、帰国後に長編映画『国家誕生(1970)』を製作する。1976年に映画産業開発基金(FDIC)が設立される。1970年代に何人かの監督が映画製作に力入れたが、ヨーロッパでの評価を得ることができなかったようだ。
この本はそこで終わっている。あれから約半世紀が経った。今やインターネットの発達で、wikipediaを開けば簡単に過去の映画祭の受賞作はもちろん、選出作品を確認することができるし、インターネットの広大な宇宙を漁れば、アフリカの映画を観ることもできる。だが、そんな時代でも全くカメルーン映画の話は耳にしない。耳にするとしたらクレール・ドゥニ『ホワイト・マテリアル』ぐらいだろうか。
しかしながら、本作を観た時に感じたのは、この手のワールドシネマにありがちな「低予算で、素朴ながら頑張って作りました」オーラに頼ることなく、Netflix映画の看板を背負える編集、画が作れていたことにある。カメルーンは第27回ワガドゥグ全アフリカ映画祭(FESPACO)の長編フィクション部門に『Bendskins』が選出されており、2020年最重要映画国は実はカメルーンなのではと思ったりする。
さて、話はカメルーンのとある漁村だ。貧しい漁夫は娘と共に、魚を獲り、売り捌く。娘は重要な働き手だ。学校には行かせてもらえません。そんな彼女が学校の先生にのところへ行く。「小さいじゃないの」と睨まれながら小銭が渡される。この時のおぼつかない少女の手つきと、先生の高圧的な視線が観る者の心に突き刺さる。
母が死ぬ。父は、借金取りに脅される。そんな壮絶な環境で、彼女はマララ・ユスフザイに影響され「学校に通いたい」と思うようになる。しかしながら、父親はもちろん、村人が全力で彼女から「勉強」を取り上げようとする。
正直、映画のクオリティとしてはそこまで良くない。2時間半かけて描くようなないようではないと思ったし、やけに明るい音楽が本作の空気感と対立を引き起こしている。また、数学の重要さを主軸に置こうとしているが、マララ・ユスフザイの要素に引っ張られて迷走した着地をしてしまっている。
しかしながら、この映画はコンプレックスから来る大人の抑圧や、ITが発達していない地域にある邪悪な正論を捉えている点で必観と言える。前者は、父親に目を向けることで見えてくる。父親がなぜ、娘から勉強を奪うのか?それは日常を送る上でいつも、誰かから怒られヘコヘコして生きているからだ。借金取りに追い詰められ、逆ギレしても返り討ちに遭いかける。生き辛い人生を歩くことで精一杯だ。人間、追い詰められると、自己肯定感が低いと他者を許せなくなってくる。彼にとって娘は、唯一自分の言うことを聞いてくれる存在だ。それは妻が亡くなりより一層強まる。だから、娘が賢くなることで、自分に従わなくなるのではといった不安、彼女が勉強できることにより勉強ができない自分が露呈することに対する不快感を自分で消化できないので彼女に強くあたるのです。女性が人前で読書をしているだけで怒る男がいることと近い心理と言えよう。そのコンプレックスの塊が、男の表情から伺える。丁寧に、自己肯定感をへし折られていく生活描写を積み上げているので説得力があります。
また後者は、とあるセリフに注目すると見えてくる。彼女から勉強を奪おうとする大人がこう言う。
「勉強がすると怠け者になるぞ」
IT社会になる前は、人海戦術マンパワーがものいう時代だった。しかし、ITが身近なものとなり、エンジニアの「楽をするために勉強する」概念が浸透してきた時代にこのフレーズが発せられると、鋭い社会批判となる。
お金や精神的余裕、システム化のノウハウを知らないとついつい力技で仕事をしようとする。「一生懸命頑張る」が生産性につながると信じたいのだ。だが、実はそれは嘘で、システム化し肉体労働する時間をクリエイティブな時間に費やすことこそが人間が目指すべき道だ。それは非常にドライで、効率化は精神論を否定する。その否定された時のダメージが大きいこともあり、精神論で生きる者はそれに抗う者に言葉の呪いをかけるのです。
本作を観ると、最近よく聞く「毒親」のメカニズムへの理解が進みました。
Netflixにあるので、是非挑戦してみてください。
※IMDbより画像引用