【特集ザカリアス・クヌク】『氷海の伝説/ᐊᑕᓈᕐᔪᐊᑦ』急襲受けたら裸で走れ、地の果てまで

氷海の伝説(2001)
原題:ᐊᑕᓈᕐᔪᐊᑦ
英題:Atanarjuat: The Fast Runner 

監督:ザカリアス・クヌク
出演:ナタール・ウンガラーック、シルヴィア・イヴァル、ピーター・ヘンリー・アグナティアック、ルーシー・トゥルガグユクetc

評価:85点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

昨年、私は米国iTunesで謎の言語で書かれたタイトルに惹き込まれた。『ᒪᓕᒡᓗᑎᑦ(英題:Searchers)』はなんとイヌイット語の作品であるだけではなく、ジョン・フォードの不朽の名作『捜索者』のリメイク作品だったのです。酷寒の地域の作品故か、人間の膠着した動き、そこから突然動き出すアクションが独特であり私の好奇心を刺激した作品であった。だが、私としたことかブログに書き忘れて1年が経ってしまった。ふと最近、『ᒪᓕᒡᓗᑎᑦ』を再観してブログに書こうかと思って米国iTunesを開いたら、本作の監督であるザカリアス・クヌク監督作品が結構観られることが判明した。しかも、彼が第54回カンヌ国際映画祭でカメラ・ドールを受賞した作品は『氷海の伝説』という邦題で岩波ホールにて上映された過去が明らかとなったではありませんか。しかもAmazonではパンフレットが売られている。というわけで、この夏はザカリアス・クヌク特集を組むことにしました。今回は彼の代表作『氷海の伝説』について語っていこうと思います。

『氷海の伝説』あらすじ

北アメリカ大陸の北端に住むイヌイットたちが、先祖代々語り継いできた『足の速い人』の物語を、古老の話をもとに脚本化。イヌイットのスタッフ、キャストによってイヌイット語で作られた。監督は、自身もイヌイット族という本作がデビュー作のザカリアス・クヌク。2001年のカンヌ映画祭カメラドール(新人監督賞)を受賞。

映画.comより引用

急襲受けたら裸で走れ、地の果てまで

ザカリアス・クヌク監督が築きあげたイヌイット映画史は、どこかかつてアフリカがヨーロッパからオリエンタリズムの眼差しとしての映画に対抗して「アフリカ人の、アフリカ人による、アフリカ人のための映画」掲げて一致団結した歴史に通じるドラマがある。

ザカリアス・クヌク監督は1957年に生まれた。幼少期は狩猟民族として、移動生活の日々を送っていたが、カナダ政府の指導によって町に集められ英語教育が始まる(この話は、2019年に『ᓄ ᐊ ᐱ ᐅ ᒑ ᒼ ᑑ ᑉ ᐅ ᓪ ᓗ ᕆ ᓚ ᐅ ᖅ ᑕ ᖓ(英題:One Day in the Life of Noah Piugattuk)』で映画化された)。イヌイットはカナダ市民としてのアイデンティティを無意識に植えられる。そんな中、ジョン・ウェインの西部劇(岩波ホールから出ているパンフレットでは具体的な作品名は言及されていないが恐らく『捜索者』)で先住民が騎兵隊に虐殺されている様子を観て、「先住民」としてのイヌイットを自覚するようになる。イヌイットの文化は、カナダ政府によって管理された居住区によって段々と失われていく。自分たちのアイデンティティが失われていくことに危機感を抱いた監督は、1990年にイヌイットの、イヌイットによる、イヌイットのための映画会社「イグルーク・イスマ・プロダクション(Igloolik Isuma Productions)」を設立する。『氷海の伝説』はイグルーク・イスマ・プロダクション初の長編映画であり、いきなりカンヌ国際映画祭でカメラ・ドールを受賞する快挙を成し遂げる。その後はイヌイット文化に関するドキュメンタリー映画や先述の通り『捜索者』のリメイク作品を発表する。2019年には、1961年にNoah Piugattukがカナダ政府のエージェントから現在の生活様式を捨てるように説得された、イヌイット文化崩壊のきっかけとなった事件の映画化『One Day in the Life of Noah Piugattuk』を発表した。本作はイタリア・ヴェネツィアで映画だけでなく、展示を含めたインスタレーションとして発表され、先住民迫害の真実と文化のアーカイブを訴えた。

さて、本作はイヌイットの口承文学である「アタナグユアトの伝説」をアーカイブする目的がある。8人の長老からのインタビューを基に練り上げた物語は、ギリシャ神話を彷彿とさせる。クマグラック(Apayata Kotierk )の息子であるサウリ(Eugene Ipkarnak)は、自分よりもトゥリマックを贔屓していることに怒り、父を殺害しトゥリマック(Felix Alaralak)を追放する。やがて、サウリとトゥリマックには息子が生まれ、ヒロイン・アートゥワ(シルヴィア・イヴァル)を巡って息子たちが決闘することとなる話だ。トゥリマックの息子にして、本作の主人公であるアタナグユアト(ナタール・ウンガラーック)を中心に物語が進行するのだが、一見するとドキュメンタリー映画のように見える。主演のナタール・ウンガラーック以外、本作が俳優デビュー作な為か、演技と素の境界線が曖昧だ。故に、突然アニメのようなわざとらしい描写が映り込み、ドキッとする。例えば、アタナグユアトが「かまくら」の中で男どもと作業をしていると、アートゥワが恥ずかしそうに現れる。恋の距離感が生まれると、男仲間が「おい、やるじゃん」と肩を叩く。この小っ恥ずかしいわざとらしさが唐突に挿入されるのだ。

しかし、映画的ダイナミックさもある。突起すべきは、アタナグユアトのテントが急襲される場面。ボコボコにテント越しに攻撃を受ける中、アタナグユアトは飛び出し、360度白銀の荒野をひたすら裸で走る。彼の至近距離をカメラが追う、そして追手が足を止めればすぐに追いつかれる絶妙な距離感を捉えていく。この追跡劇には、即興的な転倒が組み込まれ、リアルな死と隣り合わせの死闘が展開される。死と隣り合わせにもかかわらず、後光が差し込んでおり視覚的対位法となっている。

そこへ映画的ハッタリまで紛れ込む。アタナグユアトはとある家族に助けられる。そこへ急襲した男たちがやってくる。男の一人が家族を尋問する。『イングロリアス・バスターズ』のクリストフ・ヴァルツのように。そして、彼は草の山に向かって排尿する。実は、その草の山にアタナグユアトが隠れていたのだ。よくよく考えると、あの空間でアタナグユアトが草の山に隠れる余裕はなかったはずだ。隠れようとすれば、急襲グループに目撃されてしまう。だが、映画の嘘を信じ込ませるパワフルさが『氷海の伝説』にはあった。

このパワフルさを踏まえると『Searchers』はパワー不足に感じた。ザカリアス・クヌク監督が『極北のナヌーク』から続く、列強の眼差しへの力強い抵抗の一歩である『氷海の伝説』の偉大さにひれ伏したのであった。