『ラ・フロール 花(第3部)』100%勇気 もうやりきるしかないさ

ラ・フロール 花(第3部)
LA FLOR PART3(2018)

監督:Mariano Llinás
出演:Elisa Carricajo、バレリア・コレア、パイラー・ガンボア、ローラ・パレーズ、エステバン・ラモチェetc

評価:10点(第4部:0点、第5部:0点、第6部:50点)

おはようございます、チェ・ブンブンです。

アルゼンチンから生まれた14時間の化け物映画『LA FLOR』PART2です。PART3です。PART3では、最後の花弁にあたる第4部、『ピクニック』の白黒サイレントリメイクで4つの話を纏める第五部、そして総てを終わらせる存在の第6部から構成されています。第4部が3時間以上あって過酷なのですが、想像以上のレベルでした。

※イメージフォーラム・フェスティバル2021でまさかの上映決定!

『LA FLOR』あらすじ

A film in six episodes, connected by the same four actresses, full of various subplots that play with narrative and different cinematic genres , everything structured in an unusual way.
訳:同じ4人の女優によって結ばれた6つのエピソードで構成された本作は、物語性と異なる映画的なジャンルで遊ぶ様々なサブプロットに満ちており、すべてが異常な方法で構成されています。
IMDbより引用

100%勇気 もうやりきるしかないさ

第4部:映画についての映画

スランプに陥った男の映画製作を描いた話。要するに『8 1/2』や『バートン・フィンク』のような俺様スランプ、俺様映画史映画だ。この手の映画は監督の映画愛が凝縮されており面白いのが相場と決まっているのだが、本作は退屈な拷問であった。道に木を止めて撮影するクルーと監督の自問自答が交互に映され、紫の花をつけた木をホームビデオに取りながら、「ああじゃない、こうじゃない」と唸る様子を30分近くも魅せられるのだ。流石は14時間の尺があるだけあって時間の使い方が凄まじい。そして本作が、映画で花を咲かすという理論に頭でっかちとなってしまっているのをメタ認知し始め、この物語では蜘蛛の身体を物語に例えてちっちゃかめっちゃか苦悩しているのだ。それでペドロ・アルモドバルの最近の映画のような印象的なヴィジュアルからデカダンスを染み込ませる演出を盛り込んでいく。そんなMariano Llinásの自慰は、10年近くかかった虚無の轍を観客にまで押し付けてただただ苦痛だし、そもそも4つの花弁を纏める物語はこれではないのかと疑問が湧きます。確かに後述するが、全体を通して考えると、第5部にこの物語があっても不細工になってしまうのだが、それにしてもこれじゃあ、茎とか、花弁の軸が花弁になってしまっているキメラですよ。

第5部:『ピクニック』のモノクロサイレントリメイク

皆さんご存知の通りミシェル・アザナヴィシウス監督の『アーティスト』は、クラシック映画のパッチワークをすれば映画ファンを騙せるでしょと軽薄な意志で作られた駄作なのだが、その道をMariano Llinásも歩んでいました。ジャン・ルノワール『ピクニック』を白黒サイレント映画としてリメイクしたものなのだが、サイレント映画が少ない今にサイレント映画を撮ればウケるのでは?という底の浅さが際立つ。トーキーになってから映画は崩れたと言われる程に、サイレント映画はヴィジュアルのメディアである映画の根幹を支えており、カットの繋ぎや空間演出をストイックにこだわらなければならない。それはセリフがなくても、字幕に頼らなくても物語が分かるべきなのだ。しかし、本作は『ピクニック』知っているでしょ?とあぐらをかき、カットの繋ぎで躍動感を魅せることはしない。しかも、飛行機雲でハートマークを描くシーンがあるのだが、潰れてしまっている。これでOKしてしまったのが許せません。理論で頭でっかちになる映画を作るなら、せめてこういうところ拘ってほしい。木々の後ろを白飛びさせ、人を強調する演出で満足しないでほしいと思う。

第6部:歴史劇

最終章もサイレントなのだが、中間字幕がついており、朧げに映る女性の逃避行が淡々と映し出される。100年前の映像を掘り起こしたかのようなノスタルジーがそこにある。Mariano Llinásは長い長いジャンル映画の脱構築を通じて、ようやくガイ・マディンの理論に行き着いたらしい。サイレント映画時代こそが究極の映画だという理論にそって、太鼓昔の映画を発掘し、そこへ現代の世界を近づけることで異次元の映画を生み出す技法をMariano Llinásも見出していたのだ。確かに、このエピソードは総てを終わらすものとして説得力があり、映画全体を支える存在としての風格があった。

『LA FLOR』総括

実は、本当の勝負は6章終わってからにある。なんと本作のエンドロールは36分もあり、上下逆さになった世界で、撮影班がバラし作業しているのを延々と映しているのだ。なのでインディーズバンドのライブかよと音楽も5曲ぐらいやっていて大草原不可避だ。最後の最後まで困惑します。

結局『LA FLOR』はなんだったのだろうか?

私はMariano Llinásの意識の流れだと思う。アメリカのB級映画のオマージュから入った本作は、やがてサイレント映画の魅力に気づき、最後には異次元の映画のあり方を見いだす。そのプロセスが14時間近くかけて描かれていたのではと思う。なので、明らかに第五部に相応しいと思われた第4部も本作を線として捉えると、その位置で正しいこととなる。ただ、あまりにダサくて退屈な本作を賞賛する気にはならない。コウペンちゃんにでも会って「完成させてエライ!」と言われてくればと思う。

とはいっても「上映時間30日の映画を作って、2020年12月31日に上映し、終わったら燃やすよ」とイキっておきながら、C’est finiとだけ書いて謝罪もなしに終わらせた『Ambiancé』のAnders Weberg監督よりかはエライとは思う。

というわけで私の2021年はワースト候補から始まりました。

※MUBIより画像引用

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