【ネタバレ考察】『LETO レト』成熟したカリスマが植えた未来のカリスマ
おはようございます、チェ・ブンブンです。2018年にカンヌ国際映画祭で上映され話題となり、巷ではキノフィルムズさんが配給権を買ったらしいという噂が立ってから早2年。幻に思えた大傑作音楽青春映画『LETO レト』が遂に日本公開されました。ヒューマントラストシネマでは、新しい音響システム《オデッサ》で臨場感溢れる体験ができるらしい。キノフィルムズもコロナ禍の切り札として本作を公開するらしく、予告編やパンフレット(800円)の力の入れようが段違いとなっている。それもそのはず、この作品は映像的面白さに満ち溢れていて、観る人の心をガッツリ掴む作品だ。ブンブンも2019年の年間ベストで9位に入れた作品。そして家には輸入盤ブルーレイがあり既に数回観ているのだが、それでも「映画館で観たい!」という気持ちが強い作品でした。
東京ではコロナ感染者が増えて自粛ムードが漂うものの、これはキノフィルムズさんに感謝の気持ちを込めてヒューマントラストシネマ渋谷で観てきました。そして泣きました!何が凄いって、あれだけ膨大な字幕と権利関係が難しそうな音楽の歌詞問題を的確に解決し、ほとんどの曲には和訳がつく良心設計となっていたのです。これにより、見落としていた音楽とドラマの関係性が浮き上がり、より一層成熟したカリスマが、未来のカリスマに襷を授ける話としての感動が強く心に刺さりました。と同時に、昨年書いたネタバレ考察記事では書ききれなかった部分があるので、改めて記事にしようと思います。
1.成熟したカリスマが植えた未来のカリスマ
本作は、松山ケンイチに似ているユ・テオ演じるヴィクトル・ツォイがキノーの看板背負って舞台に立つまでの物語についつい目がいってしまうのですが、実は真の主人公はマイク・ナウメンコ(ローマン・ビールィク)である。冒頭、バックヤードからカメラはステージへと入っていく。すると、風を切るように髪をなびかせ、マイク・ナウメンコが
Ты — дрянь!
あんたはクズだ!
Лишь это слово способно обидеть
この言葉だけがあんたをムカつかせるんだぜ。
Ты — дрянь!
あんたはクズだ!
と煽りに煽りを入れて会場を盛り上げる。このシークエンスで彼はどれだけのカリスマ性を持っているのか説得力を持たせることができる。ズーパーク(Зоопарк)のヴォーカルとしてアングラ界隈でバイブスを上げまくっている彼の前に「あなたのことが好きです」と名も無きバンドコンビ、ヴィクトルとレオニードが現れる。マイクと妻のナタリアは、ちょっと生意気なヴィクトルに何かを感じ、曲のアドバイスをするのだ。そこからヴィクトルとマイクの間で揺れ動くナタリアによる恋のシーソーゲームが始まるのだが、この王道ながらも甘酸っぱい関係性の紡ぎ方が美しい。
マイクはすっかり成熟しきっていてすっかり音楽が守りに入ってしまっている。バンド仲間であり本作の狂言回しにあたるパンク(アレクサンダー・ゴルチリン)に「あんたの音楽は全然ロックじゃない!妻と上手くいってロックとしての破壊性がなくなっているのでは?」と煽られている。それをヒールにかわしつつも、自分の成熟しきっていて堕ちゆく才能に焦りを感じている。一方、ナタリアは生意気でロックなヴィクトルにかつてのマイクを重ね合わせ恋を抱く。そして、枯れていくマイクから少しずつ離れていく。それを象徴的に表現している箇所が、ヴィクトルがT・レックスの「20th Century Boy」を聴く場面からのシークエンス。彼が相棒のレオニードとこの曲を聴きながら勉強している姿をナタリアは微笑ましく見つめる。そしてマイクが寝る際に「T・レックスかルー・リードどっちが聴きたい?」と尋ねるのだが、彼女は前者を選ぶ。そして「ルー・リードじゃないのか?」と彼は尋ねると、「実はT・レックスの方が好きだったの。そしてヴィクトルとキスをしたいの。」と告白する。ルー・リードを微妙だと反発したヴィクトルの精神が彼女を虜にしたことが分かるのだ。そしてダメ押しとして、孤独になった彼が雨の中公衆電話の横で佇んでいるとルー・リードの「Perfect Day」が彼を包み始めるのだ。皮肉にも「完璧な日」が崩れ去った日なのに、自分の人生は「完璧だった」と言い聞かせるように地を這うようにして帰路を目指す。非常に切ない場面と言えよう。
この静かにどん底に堕ちるマイク・ナウメンコが物語として重要な働きをもたらす。つまり、かつてのカリスマが未来のカリスマに道をサッと譲る話なのだ。その去り方に注目してほしい。彼は遂に自分の成熟を見つめ直し、自分の使命は名も無きヴィクトルとレオニードをスターにすることだ。彼らは多分気づかないだろう。かつて生意気だった自分のように反発するだろう。それでも良いと、自分が「Zvezda Rock-n-Rolla」でバイブス上げすぎて、スベってしまっている「Bezdelnik」の演奏を即興で助けたり、レコードジャケットを作るよう仲間に急かしたりと二人の裏側で彼らの花道を作ってあげるのだ。
そして最後に、ナタリアにこう語る。
「俺は結局警備員程度の稼ぎしかなかった。」と。
アンダーグラウンドで豪華絢爛に界隈を盛り上げていたが、それは結局井の中の蛙で自分はすっかり枯れてしまったことをナタリアに認めるのだ。そして、ステージで輝くキノーの看板を背負った新たなスーパースターを見届けて去って行く。その去って行くマイクに投げかける曲が「Derevo」だ。
Я знаю – моё дерево скоро оставит меня.
俺の木はすぐに私から離れていってしまうんだ。
Но, пока оно есть, я всегда рядом с ним.
でも、木がそこにある限り、私はこいつと人生を共にします。
Мне с ним радостно, мне с ним больно.
彼と一緒に過ごせば嬉しいし、彼と一緒に過ごせば傷ついたりする。
まさしくキノーとナウメンコ夫妻の関係を象徴する曲が別れの曲のように画面の中を感傷的に木霊するのです。
なんて粋な物語なんでしょう。最初観た時は、強烈な映像遊びに惹きこまれ、中々物語の真にたどり着けなかったのですがようやく、本作に眠る切ない継承の物語を掴んだ気がして涙しました。
2.アングラバンドと映画の関係
私の持っている『 #LETOレト 』解説書ではガッツリ『ASSA』との関係性が言及されているっぽいので、そこは盛り込まないとな。 pic.twitter.com/S6E0yhGsU8
— che bunbun@映画の伝道師 (@routemopsy) July 25, 2020
フランスの輸入ブルーレイには100ページにも及ぶ『LETO レト』解説書がついており、そこにはパンフレットにも記述されていない話が掲載されている。例えば、1980年代当時のアングラ音楽と映画の関係性を解説した項目がある。1984年にセルゲイ・ソロヴィヨフ監督がモスクワ映画機関(VGIK)のカザフスタンヌーヴェルヴァーグ集団に入り、ラシド・ヌグマノフ(『僕の無事を祈ってくれ』)やダルジャン・オミルバエフ(『Student』)と共に映画の勉強をする。彼らはアンダーグラウンド映画に対する興味を抱き、ラシド・ヌグマノフは1986年に30分程の短編映画『YAHHA』を撮る。当時、コンサートを撮影することは禁止されており、当時ブラックリスト入りしていたキノーを撮ることは困難を極めました。実際に撮影監督が逮捕されるアクシデントに見舞われながらも完成させた本作は、マイク・ナウメンコも出演していることもあり『LETO レト』の原点とも言える作品となっている。
※『アッサ』は観たのですが、評書くのが面倒だったのでKnights of Odessaの記事「セルゲイ・ソロヴィヨフ『Assa』ロックのエネルギーを世に送り出した”LETO”の原点」を参照してください。
ヴィクトル・ツォイは残念ながら1990年に弱冠28歳にして交通事故で亡くなってしまいますが、音楽界隈だけでなく映画人を虜にしたスーパーヒーローだったことが伺えます。ヒールで生意気顔なのにどこか惹かれてしまう彼を好演したユ・テオの魅力が伝わる裏話でした。
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