【死ぬまでに観たい映画1001本】『マイ・プライベート・アイダホ』狂ったように救われたがっている

マイ・プライベート・アイダホ(1991)
MY OWN PRIVATE IDAHO

監督:ガス・ヴァン・サント
出演:リヴァー・フェニックス、キアヌ・リーブス、ジェームズ・ルッソetc

評価:85点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

『死ぬまでに観たい映画1001本』に掲載されているガス・ヴァン・サント映画『マイ・プライベート・アイダホ』を観てみました。今まで、何故か観ず嫌いしていた作品ですが、何故こんな素敵な作品を逃していたんだと思うくらいに素敵な作品でした。

『マイ・プライベート・アイダホ』あらすじ


リバー・フェニックスとキアヌ・リーブスの共演で話題を呼んだ青春ロードムービー。路上に立ち、男性に体を売って暮らしている青年マイク。緊張すると突然意識を失ってしまう奇病を持つ彼は、自分を捨てた行方不明の母親を捜すため、市長の息子で、同じく男娼のスコットとともに故郷アイダホへと向かう。同性愛、近親相姦、ドラッグといったショッキングな内容を、詩的な映像を駆使して描いたガス・バン・サント監督初期の傑作。2014年、フェニックスの遺作「ダーク・ブラッド」(12)公開にあわせ、フェニックス出演作の特集上映でデジタル上映。
映画.comより引用

狂ったように救われたがっている


「ぼくにとってかけがえのない人間とは、なによりも狂ったやつら、狂ったように生き、狂ったようにしゃべり、狂ったように救われたがっている、なんでも欲しがるやつら、あくびはぜったいしない、ありふれたことは言わない、燃えて燃えて燃えて、あざやかな黄色の乱玉の花火のごとく、爆発するとクモのように星々のあいだで広がり、真ん中でポッと青く光って、みんなに「ああ!」と溜め息をつかせる、そんなやつらなのさ。」

-ジャック・ケルアック(『オン・ザ・ロード』)

ケルアックは社会に押し込められた大人になることを拒絶し、旅を続けた。しかし、やがて子どもができたりして、永遠だと思っていた青春の終わりを感じる。その意識の流れを紙に焼き付けた訳だが、ガス・ヴァン・サントはフィルムに焼き付けた。ウィリアム・シェイクスピアの『ヘンリー四世 第1部』『ヘンリー四世 第2部』『ヘンリー五世』を基にし、『オーソン・ウェルズのフォルスタッフ』をも引用するインテリゲンチャと裏腹に男娼、ホームレスの無軌道な旅を描く姿にケルアックの精神を感じる本作は、表面だけの切なさに傾倒することなく、若者の心理を様々なギミックを用いて描く監督最高傑作であろう。

冒頭、アイダホの果てしなく続く黄色の線を見つめながら、リヴァー・フェニックス演じるマイクは《孤独》が持つ寂しさと自由さを全身に浴びる。そのまま失神してしまう。彼はナルコレプシーという難病の持ち主だ。そして孤児である。家が破壊される悪夢、母の膝の上で平安を保つ夢との狭間で彼は苦しめられながら、男娼として生き、母の愛を求めて土地を彷徨っているのだ。グザヴィエ・ドランに直接影響与えているともいえる、渇望とそれに伴う破壊願望を耽美的映像の中紡いでいく。

そんな彼は、同じく男娼であるスコット(キアヌ・リーブス)と行き当たりばったりな生活を送り、ホームレスと廃屋を拠点に自由を謳歌するのだ。

しかし、永遠に続くと思われた青春は段々と終わりに近づいていく。それはスコットが我に返り、貴族としての道を歩むことで気づかされていく。流浪の道は、社会とは相容れない関係にある。愛する友がもはや戻れない世界に消えてしまい、愛を失った中でマイクは生き続けるしかないのだ。

ナルコレプシーという病は、本作において都合のいい時に発動する道具となっている。『ジョーカー』のような危うさを持ちながらも、大人社会を直視したくない若者のある種の現実逃避として鋭い機能を果たしていると思う。そしてその機能に頼り切らず、線にならず土地と土地とのエピソードをドライに点として描いたり、ホームレスに未来のマイクを重ね合わせたりすることで『ジョーカー』以上に弱者の妄想の切なさが紡がれていたと言えよう。

これはケルアックの精神を宿した最高のロードムービーである。

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