【ネタバレ考察】『DAU. ナターシャ』現実世界に爆誕した《脳内ソヴィエト連邦》

DAU. ナターシャ(2020)
DAU. Natasha

監督:イリヤ・フルジャノフスキー、Jekaterina Oertel
出演:Natalia Berezhnaya、Olga Shkabarnya、Alexandr Bozhik etc

評価:99点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

第70回ベルリン国際映画祭は例年の評判の悪さから良い意味でも悪い意味でも脱却を遂げた。カンヌ国際映画祭を意識したような、映画祭映画のスター監督、華となる映画が集結した本祭の中で、コンペティション部門ラインナップ発表の段階から話題騒然となっていた作品がある。それは『DAU. Natasha』と『DAU. Degeneratsiya』だ。これは両作ともイリヤ・フルジャノフスキーの《DAU》プロジェクトの映画版で、現代アートファンの間で昨年から話題となっていた作品である。

《DAU》プロジェクトの詳細に関しては、RUSSIA BEYONDの『パリとロンドンで行われる「ダウ」を観る必要はあるのか、そしてなぜ恐れる必要がないのか』やIndieTokyoの『キャスト総数1万、オーディション回数39万。日本人がまだ知らない欧州最大級の映画プロジェクト ―『ダウ』(1)』、『女性への性的暴行を撮影。社会に喧嘩を売る超巨大映画プロジェクト -『ダウ』(2)』を参照していただきたいのだが、一言でいえば現実世界に爆誕した《脳内ニューヨーク》。1930~1960年代ソ連の完全再現と、その世界に没入することで得られる何かを追い求めた10年以上に及ぶ狂気のプロジェクトなのだ。

そして、完全再現されたソ連で撮られた即興的映像は14本の映画となり、その内『DAU. Natasha』と『DAU. Degeneratsiya』がベルリンに出品され、前者は芸術貢献賞を受賞した。批評家からも絶賛される一方で、パワハラ/セクハラ等倫理的問題が関係し、非難もされた問題作となった。

それ故、日本公開は困難、ましてやいつ収束するのか分からぬコロナ禍に突入してしまったため、もやはこの映画を観るのは不可能だと思っていたのだが、奇跡が起きました。なんと《DAU》プロジェクトは特設VODを出現させ、アカウントを登録し、3ドル支払えば日本からも《DAU》の世界に没入できるというシステムを世に放ったのだ。随時更新される新作、それも『DAU. Degeneratsiya』のように6時間近い作品もあるというまさに引き篭もりにぴったりな作品が世に解き放たれたのです。

というわけで、定時にとっとと会社から退社を決め込み、《DAU》の世界に飛び込んでみました。

※書いていたらネタバレ記事になってしまいました。読む方は要注意。

『DAU. ナターシャ』あらすじ


Natasha runs the canteen at a secret 1950s Soviet research institute. This is the beating heart of the DAU universe, everyone drops in here: the institute’s employees, scientists and visiting foreign guests. Natasha’s world is a small one, split between the demands of the canteen during the day and alcohol fuelled nights with her younger colleague Olga, during which the two confide their hopes of romance and for a different future. At a party one evening Natasha becomes close to a visiting French scientist Luc Bige and the two sleep together. The following day her life takes a dramatic turn when she is summoned to an interrogation by the KGB’s General Vladimir Azhippo who questions the nature of her relationship with the foreign guest.
訳:ナターシャは秘密の1950年代のソビエト研究所で食堂を運営しています。これはDAU宇宙の鼓動であり、研究所の従業員、科学者、外国人ゲストの訪問など、誰もがここに立ち寄ります。ナターシャの世界は小さなもので、日中の食堂の運営と、若い同僚のオルガとのアルコール燃料を囲った夜の間で分けられ、その間に2人はロマンスと異なる将来への希望を打ち明けます。ある晩のパーティーで、ナターシャはフランスを訪れた科学者のリュックビゲと親しくなり、2人は一緒に眠ります。翌日、KGBのウラジミールアジッポ将軍が尋問を受け、外国人ゲストとの関係の本質を問いかけると、彼女の人生は劇的に変わります。
DAU公式サイトより引用

アグレッシブなジャンヌ・ディエルマン

シャンタル・アケルマンは『ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン』の中で、退屈に日々を過ごす主婦の日常をじっくりと見つめることで、閉塞感という壁から滲み出る悲愴を抽出した。ジャンヌ・ディエルマンが《静》だとしたら、『DAU. Natasha』は《動》の映画でした。画面に映し出されるアグレッシブ過ぎるジャンヌ・ディエルマンことNatashaと彼女の分身的存在であるOlgaの激しさが、閉塞感という壁に亀裂をもたらし、そこから歪でドス黒い感情が染み出し、それが監視社会ソヴィエト連邦の闇と結託し、背筋が凍る恐怖、あの時代の恐怖の再現に成功しているといえよう。

カフェで働くNatashaとOlgaは日中、次から次へとやってくるお客さんの世話をしている。昼間から祭りモードな団体さんから、絡み始めるおじいさん、赤ちゃん客までてんやわんやしながら接客をしている。長い労働時間が終わると、二人は余り物の食事やお酒を嗜みながら、他愛もない会話をする。Natashaは家族持ちだというのに未だBlinov教授を愛しており、「彼が私に惚れ込むよう頑張るんだわ」と豪語している。そして酒を飲まされる、若い同僚Olgaは「うぇ、不味い」と言いながら吐いている。

そうこうしているうちに、二人は取っ組み合いの喧嘩を始める。どうやらNatashaは他者に依存しがちな性格で、出て行こうとするOlgaを引き止めようとして喧嘩に発展しているらしい。次第に喧嘩は激しさを増し、「このクソババウシめ!」、「リトルビッチめ!」と罵り戦争に発展する。しかし、次の日には何事もなかったかのように仕事をする。

↑ソ連流の呑み方ブリュダーシャフト(брудершафт)

一方、近くの研究所では人体実験が行われており、そこにフランスからLuc先生がやってくる。そして研究の合間に、彼女たちのカフェで宴を始めるのだ。歓迎会と称したパーティーの世話に明け暮れる二人だったが、いつしかこのドンチャン騒ぎに混ざることとなる。英語が少し話せるOlgaは、研究仲間と一緒にLucと異文化交流を始める。あれはロシア語でなんて言うんだ?的な会話から始まり、ソ連流の呑み方ブリュダーシャフト(брудершафт)をLucに伝授したりと大騒ぎ。彼もノリノリで、両手に華と言わんばかりにNatashaとOlgaを抱えて満面の笑みを浮かべるのだ。そして家族持ちのBlinov教授への執着が激しいくらい肉食なNatashaはOlgaに英語通訳してもらいながら、「フランス語教えて頂戴な。」と魅惑の言葉で関係を縮めていき、言葉と言葉の関係から肉体と肉体の関係へと成功の華道を進んでいく。

ただ、儚い彼女の常時は巨大な喪失感と恐ろしい罰でもってどん底に堕ちていく。

彼と別れた後日、情事の香りが漂うカフェでの仕事を終えた彼女は喪失感を埋めるようにOlgaに酒を飲ませまくり、狂わせた後にひとりぼっちとなってしまう。そしてその孤独に耐えられず暴れまわっているうちに、情報局に連行され横暴な役人Vladimir Azhippoの長時間に渡る拷問を受ける羽目になるのだ。

恐らくDV男であっただろうBlinov教授同様に、強烈な罵倒・暴力と、取り調べにはカツ丼だろうというノリで食事やら酒やらタバコを提供する気持ち悪い暴力のバランスで、彼女は彼にコントロールされていくのだ。

本作は恐らく、DV男から受けていたであろう暴力と監視社会による閉塞感がもたらす他者依存による負の連鎖を多層的に描いた傑作だ。ほとんど登場しないBlinov教授の影は、彼女がOlgaに対する仕打ちとVladimir Azhippoからなされる仕打ちによって加害者目線/被害者目線双方で再現されていく。そして中盤、長時間に渡る歪で幸福な宴会の場面が、より一層これらの暴力の居心地の悪さを強調している。

確かに、Natasha役のNatalia BerezhnayaもOlga役のOlga Shkabarnyaももはやイジメに近い演技を強いられていた。特にOlga Shkabarnyaのウォッカとビールを延々と飲まされて吐きながら狂っていく様子は目を覆うものがある。しかしながら、皮肉にも映画としてもレベルはとてつもなく高かった。単なるコンセプトゴリ押しで芸術貢献賞を獲った作品ではなかったのだ。

さて、『DAU. Degeneratsiya』はどんな仕上がりになっているのか楽しみだ。

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