【追悼】『鉄道員(ぽっぽや)』失われた《志村けん》を求めて※ネタバレ注意

鉄道員(ぽっぽや)(1999)

監督:降旗康男
出演:高倉健、大竹しのぶ、広末涼子、吉岡秀隆、安藤政信、志村けん、奈良岡朋子、田中好子、小林稔侍etc

評価:75点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

『コズモポリス』におけるロバート・パティンソンのように、テレビやスマホといった壁の向こうで起こっている混沌があまりにも現実離れしていて痛みすら忘れ、外出自粛が出ているにもかかわらず不用意に遊びに行く人が多いこの日本で、遂に我に返る悲劇が起こってしまった。山田洋次最新作で初主演を飾る予定だった、あの志村けん。お茶の間のスタアコメディアンであった志村けんが新型コロナウイルスによって亡くなってしまったのだ。志村けんと言えば、平成世代で言えば『志村けんのバカ殿様』や『志村どうぶつ園』、昭和世代で言えば『8時だョ!全員集合』でお茶の間に笑顔を届けてきた人物だ。ビートたけしやタモリといった大御所コメディアンと違うところは、常に《近所のおじさん》を演じ続けてきたことだろう。どんなに有名になろうとも、庶民と同じ目線に立っていた人物であった。故に、彼が新型コロナウイルスで亡くなるとSNSでは、壮絶な悲しみが日本を覆い尽くしました。そして、ようやくあまりにも非現実的で、現実が虚構を遥かに上回ってしまった世界がホンモノであることに気づき始めたのです。さて我が名はチェ・ブンブン、映画ブロガーである。彼の出演している映画を調べるのは必然のことである。彼の出演作品はほとんどがドリフターズ映画なのだが、意外にも降旗康男監督の代表作『鉄道員(ぽっぽや)』に出演していました。

降旗康男はコメディアンやアイドルを起用し面白い演技のアンサンブル生み出す監督です。

例えば、『夜叉』では高倉健とビートたけしが木村大作が大雪の中捉える中死闘を繰り広げることで、ビートたけしからアクション俳優としての才能を見出そうとした。また、『あなたへ』では『任侠ヘルパー』でジャニーズ界の高倉健を目指していた草彅剛と高倉健を共存させることで、彼の哲学を継承させようと試みていた。『鉄道員(ぽっぽや)』は中学時代に観た以来なので、今となっては高倉健の哀愁漂う顔しか覚えていない。それだけに今こそ再観の時だと思って観賞しました。

尚、若干ネタバレしてます。

『鉄道員(ぽっぽや)』あらすじ


北海道の雪深い町の駅舎を舞台に、鉄道員として生きたひとりの男の姿を綴ったドラマ。監督は「現代任侠伝」の降旗康男。浅田次郎による第二十七回直木賞受賞の同名小説を、「植村直巳物語」の岩間芳樹と降旗監督が共同脚色。撮影を「おもちゃ」の木村大作が担当している。主演は「四十七人の刺客」の高倉健。その他、「学校III」の小林稔侍と大竹しのぶ、「20世紀ノスタルジア」の広末涼子らが出演している。
映画.comより引用

失われた《志村けん》を求めて

プルーストは『失われた時を求めて』の中で《L’idée qu’on mourra est plus cruelle que mourir, mais moins que l’idée qu’un autre est mort.(人が死ぬという考えは死ぬよりも残酷だ、だが誰かが死んだには劣る。)》と持論を語っている。mourir(=死ぬ)という漠然としたものに、主語を与えると、例え未来のことでも死に恐怖が宿る。しかしながら、既に死んでしまった事実はさらに怖く残酷であることをプルーストは述べているのです。

さて、私は10年以上前に観て、朧げな記憶の中で失われた《志村けん》を求めて『鉄道員(ぽっぽや)』を観たわけだが、これは高倉健演じる鉄道員が仲間や鉄道と共に歩んできた人生を振り返るまさしく失われた時を求める話であった。かつて、炭鉱として栄えた幌舞も今や、乗客が全く訪れぬ寂れた町となってしまった。遂に廃線が決まり、彼の鉄道人生も幕閉じようとしている。同僚は、新しい就職先としてリゾートホテルを紹介するのだが、どうも気乗りがしない鉄道員。妻にも先立たれ、全ての思い出が幌舞に眠ってしまっているのを掘り起こすように彼は回想に身を投じていく。

その走馬灯のような回想の中に志村けんが現れる。彼が演じる男は、出稼ぎでやってきた余所者だ。貧しい余所者はストライキを破ったことによって仲間から虐められてしまう。もみくちゃにされながら、彼は抵抗する。そこにはお茶の間で魅せるあの戯けたオーラは存在せず、コメディアンという皮を脱いで、生きようとする一人の男を全うしていた。

そして、鉄道員の前には、少女が現れ始める。そしてその少女との対話が、彼の回想を加速させていくのだ。

鉄道に、土地に自分の人生を授けてきた男が迎える土地の終焉、それは心地良い走馬灯と共に残酷な無意識なる死への願望を押し広げ、天へと誘う。あまりに感傷的で幻想的な挿話の数々は、あまりにも残酷である。まさしく、《L’idée qu’on mourra est plus cruelle que mourir, mais moins que l’idée qu’un autre est mort.(人が死ぬという考えは死ぬよりも残酷だ、だが誰かが死んだには劣る。)》な作品と言えよう。

そして、高倉健が亡くなり、昨年降旗康男監督も亡くなった。そして昨日、志村けんが亡くなった今この作品を観ることはあまりにも残酷だ。中学時代観た時にはよく分からなかったのだが、今観るとスーッと涙が滴るそんな作品でした。

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