【東京フィルメックス2019】『牛』イラン映画史最重要作!

牛(1969)
原題:Gaav
英題:The Cow

監督:ダリウシュ・メールジュイ

評価:75点

『死ぬまでに観たい映画1001本』鑑賞難易度Sランクに君臨するイラン映画を東京フィルメックスがデジタル修復を施し持ってきてくれました。昨年の『盗馬賊』に引き続きありがたい限りである。

今となっては、傑作量産国として世界中のシネフィルが注目するイランですが、かつては未開の地でありました。アンドレ・バザンが本作に辿り着き、ヴェネチア国際映画祭で上映したことから、イランで密かに始まっていたニューウェーブの存在が明らかとなり注目されていった。つまり、イラン映画を語る上で最も重要な作品であります。上映前に、本作製作時にスタッフとして働いていたアミール・ナデリ監督による解説が入り、本作はイランにおける『羅生門』だと教えてくれました。(WARNING:アミール・ナデリ監督はビッグマウスで知られている人物なので信憑性に怪しいところがあります。あくまでイランにとって重要な作品である程度に信用してください。)

『牛』あらすじ


イラン映画史の金字塔と言われるメールジュイの代表作をデジタル修復版で上映。可愛がっていた牛を失い、錯乱して自らが牛だと思い込んでしまう男が引き起こす騒動を描く風刺コメディ。主演はイラン映画界を代表する名優エザトラー・エンテザミ。
※東京フィルメックスサイトより引用

そして牛になる

さて、そんな本作ですが、発展途上国映画が国際的に注目される映画にありがちな村社会ものです。冒頭、知的障がい者の村人がイジメられるところから始まります。紐で縛り、火をかざしたりと強烈なイジメ描写が展開される。その話と並行するように、牛を愛して生きてきたマシュト・ハッサンの物語が描かれます。ハッサンは出張で、村を留守にしています。その間に、愛する牛がなくなってしまうのです。村人たちはどうしよう、どうしようとなやんだ挙句、井戸に埋めて、牛は失踪したことにします。厄介なのは、例の障がい者。彼はすぐに口を割ってしまうであろう。なので、彼を村のすみっコぐらしに仕立て上げようとする。

そうこうしているうちにハッサンが帰還する。そして口裏を合わせ、村人たちの嘘が始まるのだが、これがドンドンおかしなところに行ってしまい、遂にはバレてしまう。そしてハッサンは発狂し、牛になりきって暮らし始める。

イランの荒涼とした村の中で、小さな嘘が収集つかなくなり、混沌としていく様子を時にドキュメンタリー的に、時にドタバタコメディとして描く。荒削りながらも印象的な登場人物の顔、顔、顔のアップ、壮絶なアクションの連続に引き込まれました。そしてこれは驚いたことだが、今回のデジタル修復版は、とてつもなく綺麗です。以前、どこかで本作の断片を見かけた時、とても汚く見辛かったのを覚えているだけにここまで修復されていることに感動を覚えました。

そして本作がなければ、アッバス・キアロスタミ的リアリズムが生まれていなかったと思うと歴史の重みを感じずにはいられません。マニアックなクラシック映画にも拘らずお客さんも多かったので個人的に満足でした。

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