クリード炎の宿敵(2018)
Creed II
監督:スティーヴン・ケープル・Jr
出演:マイケル・B・ジョーダン、シルヴェスター・スタローン、テッサ・トンプソン、ドルフ・ラングレンetc
評価:80点
公開前から、映画ファンの間で盛り上がっていた『クリード』最新作、『クリード炎の宿敵』が公開された。実は、ブンブン『ロッキー』こそは好きだが、真剣にこのシリーズを追っておらず、精々『ロッキーⅡ』、『ロッキー ザ・ファイナル』、『クリード チャンプを継ぐ男
』くらいしか観ていなかった。しかも新章前作に当たる『クリード』はそこまでハマらなかった。本作は、町山さんの解説によると『ロッキーⅣ』MUST WATCHな作品の模様。だが、ブンブンはその『ロッキーⅣ』を無視して観に行きました。そこまで期待していなかったのですが、改めてスタローンは脚本家として一流だと分かる一本でした。
※『ロッキー』シリーズ全体のネタバレにもなっています。要注意。
『クリード炎の宿敵』あらすじ
遂にチャンピオンとなったクリードこと、アドニス・“ドニー”・ジョンソン。彼は、ビアンカとも結ばれ赤ちゃんも授かる。名声と富を得て悠々自適な生活を送っていた。しかし、そんな彼の元にロシアから挑戦状が叩きつけられる。挑戦者のヴィクター・ドラゴは、あのクリードの父アポロをリング上で殴り殺したイワン・ドラゴの息子だったのだ。アポロを止められず、彼を帰らぬ人にしてしまった未練があるロッキーはクリードを止めようとするのだが、彼はドラゴの挑戦を受ける…スタローンは勝ち組の闘いを魅力的に描いた
スポ根映画、特にボクシング映画は負け犬や陰日向にいる者が地の底から這い上がる物語が大半である。現実のスポーツ観戦では、勝ち組強者の闘いを人々はワクワクしながら楽しむのに対し、映画は負け犬のサクセスストーリーを楽しむのだ。さて、そんなボクシング映画に置いて本作は異色だ。なんたって《勝ち組の闘い》を描いているのだから。そもそも『ロッキー』シリーズって1作目や『クリード』を観ると分かる通り、「負けたって己に勝てば、それは勝ちなんだ」という哲学を教えてくれるシリーズ。ひたすらに負け犬の地を這うような生き様を描いてきたシリーズではありませんか。それが、完全に名声も富も手に入れた男、完全に勝ち組の男のサクセスストーリーとなっているのだ。
しかも、この作品冒頭10分観たら、結末まで全て想像できるのだ。というのもそもそも本作は『ロッキーⅣ』を踏まえての話だ。父を殺されたクリードが、その張本人の息子と闘う。どう考えても、物語として、「一度敗北するものの、二度目で勝つ」という流れを崩せないのだ。崩したらラジー賞まっしぐらの駄作になってしまう。勝ち組の物語、それも予定調和。『ロッキー』シリーズを観る人なんか、ブンブンも含め、なんも取り柄もない男が拳を信じて特訓して成長していくドラマを観たいはず。明らかにプロットミスな本作に見えたのだが、シルヴェスター・スタローンは凄まじい脚本でもって本作を魅力的に描いて魅せた。
いきなり、前作でお預けとなった、クリードがチャンプになる様子が描かれる。多数のカメラがクリードを捉える。それを「もういいだろ」と追い出すロッキー。束の間の静寂。カメラは、支度をしている従業員の背中にフォーカスを当てる。そこには「CREED」と描かれている。その横でクリードは呼吸を整えている。そして、ロッキーの声が聞こえてくる。
「いいか、チャンピオンの階段は3つしかない。一歩一歩登るんだ。今回の階段はとてつもなくデカイぞ!」
てっきり、フォーカスが当たっている青ジャンパーの男がロッキーかと思っていたら、にじり寄るように奥の鏡から彼の姿が浮かび上がるのだ。非常にアーティスティックで胸熱な演出に、心が奪われる。
しかし、そこで思わぬツイストが入るのだ。
クリードはいとも簡単にチャンピオンになってしまうのだ。ボクシング素人のブンブンですら、クリードのフォームは未熟で腰が入っていないことが分かる。前作のクライマックス、死闘の末破れたあのクリードの雄姿はそこにはありませんでした。そして、チャンプになったクリードの人間味あふれる生活が描かれる。リングの上では漢だが、私生活では、ロッキーにデレデレ。ビアンカに告白する際にも、彼に「師匠は、エイドリアンにどう告白したのですか?」と相談し、あっけない返事に狼狽する始末。いざ、ビアンカを前にすると頬を赤くし、酒をガンガン飲み、観ている観客が心配したくなるほどへなちょこだ。まあ、なんとかビアンカと結婚するクリード。引っ越しもし、赤ちゃんも授かる。いけいけドンドンだ。ただ、名声と富を手に入れたクリードには、もはやあの頃の熱く赤い炎はありません。すっかり鎮火しています。
スタローンは青い炎を描いた
さて、本題に入ろう。『クリード炎の宿敵』最大の功績は《青い炎》を描いたことにあります。『ロッキー』シリーズを思い出してほしい、色彩がシリーズを追うごとに赤から青に変わっていくことに気づくでしょう。ボクシング映画というと熱血炎のイメージが強いのだが、ここ最近は熱血とは対極にある炎を描いてきたように見える。そして本作では、ボクシング映画にしては珍しい《水》を象徴的に使う場面が多いのだ。
名声とともに孤独と退廃に溺れていくクリードの心境を、プールの底でもがくシーンで強調させています。そして、スランプに苦しむクリードは、己の問題を乗り越えさらに強くなる姿を重厚に描写していく。高校化学を思い出してほしい。炎は赤よりも青の方が熱い。赤い炎は酸素が不足しており完全燃焼していない。それに対して青い炎は、酸素をしっかり取り込み完全燃焼しているのだ。多くのボクシング映画は、ゴツゴツした原石を鍛錬させていくことで荒削りながら強い拳が作られていく過程を描いている。だから赤い炎のイメージが観る者の脳裏に焼きつくのだ。それに対し、スタローンは赤い炎を作り上げた先を描いている。水をかけられ鎮火しそうになった炎。それに対し、さらに磨きをかけることで完全な拳=青い炎を作り上げていく。その目線を見つけたからこそ、ベタで王道ながらも魂揺さぶる物語となっているのだ。
1作目との対比が素晴らしい
『ロッキー』シリーズの1本故、シリーズ全作観ていないと楽しめないのかと言われると、ハッキリ否と答えたい。スタローンは、一見さんでも十分ついていけるように、しっかり背景を劇中で語っています。なので精々、過去作観ていたらもっと楽しめるよ程度の敷居の低さなのだ。ただ、シリーズを観ているとグッとくる場面もある。
特に驚かされたのは、クリードが、ヴィクター・ドラゴとの初戦で敗北する場面。クリードは敗北したのだが、ヴィクターの不正で名目上の勝利を獲得するのだ。『ロッキー』1作目や『クリード』1作目を思い出してほしい。あれは名目上では負けているのだが、己の中では勝利している様が描かれていた。それの対比をここでやってのけているのだ。この対比により、胸糞の悪さが増幅されます。
チャラチャラしていたクリードの辛酸が客席にまで降りかかってくるのだ。その辛酸があるから、クリードの特訓シーンが心に刺さる。ましてや、相手はロッキーやクリードのように、地の底から己の拳を信じて特訓、特訓、特訓を重ねてきた人物なのだから。自分の分身として映るヴィクターから、敗北の未来しか見えない。その未来を覆すために、質の高い特訓でもって炎の純度をあげてくる様子に涙が出てきました。
ドラゴ親子も魅力的だ
実は『ロッキーⅣ』ってかなり歪な映画でした。『クリード炎の宿敵』があるからこそ再評価されているが、ドラゴはもはやロボットだし、何故かPepperのようなロボットが主要キャラクターとして出てくるし、作劇としては結構変な感じがしました。それに対して、本作ではドラゴサイドに人間味溢れるドラマを与えていた。ロッキーに負けて、すっかりロシア(当時はソ連)から追放されてしまった父ドラゴが、息子を徹底的に鍛え上げる。ロッキーに対する復讐。そして息子には悲劇的人生を歩んでほしくない想いから。それに応え、ロシアの団体にすら嫌悪を抱くようになった息子の意地が物語を盛り上げます。だから、観客は、終盤に行くにつれて、クリードを応援すればいいのか、ドラゴを応援すればいいのか分からなくなっていくのだ。そして、ドラゴがクリードに倒された後の世界で、細々と父と特訓する親子の姿にまた涙腺が潤みました。
『クリード炎の宿敵』は思わぬ傑作でした。2019年初映画館映画に相応しい作品と言えよう。
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