ブラックミラー:バンダースナッチ(2018)
Black Mirror: Bandersnatch
監督:デヴィッド・スレイド
出演:フィン・ホワイトヘッド、ウィル・ポールター、クレイグ・パーキンソンetc
もくじ
評価:10,000,000,000点採点不能
仕事納めから帰り、Netflixを開いたら今日から公開なのだろうか?新しい映画が入っていました。『ブラックミラー:バンダースナッチ』だ。巷では少し話題になっていたドラマシリーズ『ブラックミラー』の映画版である。ブンブンはドラマシリーズやアニメシリーズは飽き性故に苦手だ。ただ、映画版が出ると結構観たりします。映画仲間がオススメしていたドラマシリーズだけに、映画版だけでも触れておこうと思い観たのですが…これがトンデモなかった。
』に1位を与えようと思っていたのだが、それが強烈に揺れ動かされた。何たって、ゴダールを始め映画史始まって100年以上、映画界は《映画》という領域を越えようとして表現が発達していったのだが今まで全くその領域の壁を破壊できていなかったことに気付かされたのだ。映画の概念を破壊しているようで、映画に囚われていた。宇宙の彼方まで突き進み、宇宙の端を越えた本作を観て初めてその事実に気付かされたのだ。映画でもない。ドラマシリーズでもない。ゲームでもない。未定義の世界。これを映画として評価していいのだろうかという疑問はあれど、間違いなく映画史上最重要作品の一本であることは間違いない。これからこの作品について詳しく語っていく。尚、未見の方は、こんなページ閉じてすぐにNetflixで宇宙の彼方を確認してきてください。本記事はネタバレになっていますので。
『ブラックミラー:バンダースナッチ』あらすじ
プログラマーの青年ステファンは、大好きな小説を基にゲームを作っている。ゲーム会社社長と出会ったことから本格的にゲームを作り始めるのだが、幻覚が現実と虚構の境目を曖昧にし、テレビ越しに観ている我々観客の生きる世界まで蝕んでいく…映画史上初(?)観客に死が襲いかかる作品
本作はいきなり、チュートリアルから始まる。
「これは視聴者がストーリーを選ぶ作品です」
何も知らなかったブンブンはその時点で驚きだ。観客がストーリーを選び、それに応じて物語が変化するという新しいスタイルの映画案は数年前から存在していたが、結局幻の企画として終わったものだと思い込んでいたからだ。自分の目の前には、まさしく未来の映画がこんにちわしているのだ。
そして本編が始まる。朝食の場面、「シュガーパフ」か「フロフティーズ」かの選択を迫られる。ここは「シュガーパフ」だ。
次にゲーム会社に向かうバスの中で聴くカセットテープの選択を迫られる。ここでは「ナウ・ザット・ワット・アイ・コール・ミュージック2」を選択する。いずれも制限時間があり10秒以内に選択しないといけない。ブンブン職業柄、「選択しなかったらどう遷移するのか?」が気になる。
次の場面では、ゲーム会社社長が一緒にゲームを作ろうと言ってきて、その話に乗るか否か選択を求められる。とても重要な決断にも関わらず、ブンブンは何もせず10秒待つ。すると、デフォルト設定の「乗る」で話が進み始めた。まあどう考えてもこれが正解っぽいし、大丈夫そうだ。
と思いきや、いきなりゲームのプロジェクトが失敗してしまう。「あれっ?選択肢間違えた?」と思っていると、主人公が「ちょっとやり直してくる!」と言い始め、先ほどの「乗るか乗らないか」の選択肢画面に到るまでの物語をもう一度繰り返す。ただ、最初の展開とは微妙に異なっている。そして例の選択肢に戻る。ブンブンは捻くれ者だから、また「乗る」を選択した。
すると「戻る」という選択肢しか用意されていない場面に飛ばされてしまうのだ。
なんということでしょう。ブンブンは映画の中で「ゲームオーバー」を経験したのだ。気を取り直して、「戻る」ボタンを押して、先ほどの選択肢は「乗らない」を選ぶ。すると、物語は再び回り始める。
VOD映画に対して観客が抱える、スマホというノイズに邪魔され映画に集中できないという問題を解決させるためにか、頻繁に選択肢が登場する。中には一択のものもある。観る者は次第に映画に没入していきます。途中途中ゲームオーバーになりながらも、確実にエンドロールを目指していきます。物語は『マトリックス』に寄せていることから、観客はトーマス・アンダーソンになったような気分になってきます。もちろん、薬を飲むか飲まないかの選択も観客が主体となってできます。
映画史上初!主人公と観客が対話する
そして、この作品最大の面白さの一つは、映画史上初めての試みでしょう。主人公と対話することができることにある。
選択肢型映画でしかできない演出ですが、主人公が段々と「自分は何者かに操作されている」ことに気づき始め、遂には、「お前だろ!」と観客を指差し始めるのだ。そして観客が選んだ選択に対して歯向かおうとしてくるのだ。『カイロの紫のバラ』や『主人公は僕だった』の世界観の当事者になれるのだ。こんな映画観たことがない。第四の壁を超えるのはよくあるが、その次元が違います。
エンディング後が勝負
そして余程運がいい人か、頭のいい人でないと本作はバッドエンド、父親殺し狂気エンディングに辿り着く。そしてエンドクレジットが終わると、何故か遷移画面に移る。そこの選択肢を押すと、ある地点までシーンを遡ることができるのだ、そして前回選択しなかった物語を楽しむことができるのだ。なら、そのまま全部の物語を観ることができるのでは?と思う。しかし、そこには大きな落とし穴がありました。電話番号をステファンが思い出すシーンでは、字幕で出てくる数字を打ち込む必要があるのだが、うっかり見逃してしまい、電話の主に繋がらず物語が進んでしまった。一度、バッドエンドまで行って、そこからまた戻ってやり直せば良いと思っていた。しかしながら、バッドエンディングから再度戻ると、前回は存在していた選択肢が消滅しているのだ。そして、そこからどう足掻いても電話番号入力画面に戻ることができませんでした。
本作は、家で映画を観る行為が持つ《巻き戻して再度同じシーンを観ることができる》という特徴に寄り添い強調するように見せかけて、《現実世界の時間は一方通行だ》ということを強烈に叩きつける作品となっていたのだ。だから、ブンブンは強く後悔した。虚構ではなく、現実の時間を巻き戻したいと。結局、存在するであろうハッピーエンドにたどり着けませんでした。
これは映画なのか?
本作は体験としては2018年を締めくくるには十分すぎるほどの凄さを持っている。ただ、映画として観た時に、定期的に映像遷移のために時間が止まってしまったり、いちいち選択を求めてくることで集中力を削ぐノイズだらけの作品に感じてしまい、映画経験としては厳しいところがある。しかしながら、Netflixがここ数年意欲的な映画やドラマを作り続けて、ようやく新時代の娯楽とは何か?VODで得られる経験価値とは何か?の極地が見えてきたと考えることができる。
とにかく今は激動だ。本作がしっかり分析されるまで数年はかかるでしょう。
なのでブンブンはこの作品に対して大好き!と叫ぶことしかできない。
ゴタゴタ書いていったが、サイコーの一言に尽きる作品でした。
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