たかが世界の終わり(2016)
JUSTE LA FIN DU MONDE(2016)
監督:グザヴィエ・ドラン
出演:ギャスパー・ウリエル、
レア・セドゥー、マリオン・コティヤール、
ヴァンサン・カッセル、ナタリー・バイ
評価:20点
昨日、アンスティチュ・
フランセ東京で
日本公開2017年2月11日の
グザヴィエ・ドラン最新作
「たかが世界の終わり」の
試写会が行われました。
アンスティチュ・フランセの
試写会は特殊で、
アンスティチュフランセの
映画ポイントカードを持っている
人なら事前に申し込み不要で、
当日並ぶだけで試写会に
参加できるのだ。
ただし、人数に制限が
あるので早い者勝ち。
ブンブンは30分前に来たのだが、
マスコミが多かったため、
ギャスパー・ウリエル登壇の
舞台挨拶は観ることができず、
本編だけ観ましたよ。
「たかが世界の終わり」あらすじ
若手作家ルイは疎遠だった家族に会うため、12年ぶりに故郷へと帰ってくる。
実は自分の死期が迫っているからだ。
しかし、家族と話すうちに
段々打ち明けられなくなってきて…
ドランが犯した重大な2つのミス
グザヴィエ・ドランは19才の時に
「マイ・マザー」でカンヌ国際映画祭に
出品されシネフィルの間で話題となり、
「胸騒ぎの恋人」
「わたしはロランス」
「トム・アット・ザ・ファーム」
と次々とホームラン作を放った。
「MOMMY」が審査員賞を獲り
神童としての地位を確立した
凄腕監督だ。
ドランは、
「MOMMY
」をオールタイム
ベストに入れるほど
ブンブンも好きな
監督なのだが、本作は
「トム・アット・ザ・ファーム
」の
アンチテーゼをやろうとして
大きな失敗をした。
冒頭の演出にある。
「トム・アット・ザ・ファーム」は
主人公と家族の関係を明かさぬまま
物語を進めていき、
観客に解釈させる作品であった。
しかし、「たかが世界の終わり」
では、冒頭に主人公が
長年疎遠だった家族に
自らの死を告げることで
復讐すると宣言している。
つまり、こちらは
観客に神の視点を
与えた状態で
登場人物の心理的
ゆらぎを演出するタイプの
作品だ。
しかし、映画を観ていくと、
やたらと登場人物の
クローズアップが多い。
登場人物の微妙な心の揺れを
表情に託し観客に解釈
させようとしているのだ。
どうも、冒頭の演出と
クローズアップが対立している。
既に観客は主人公ルイの心境を
知っているので、
第一印象に囚われて
ルイの表情の微妙な揺れに
集中できないのだ。
そして、本作でのルイは
なかなか本性を語らず、
どんどんと家族を
焦燥の淵に陥れる
家族関係を壊す
悪魔的存在として
描かれているため、
やはり、冒頭で
主人公の状況を
語らず、観客に
推測させた方が良いと
感じた。
このミスはあまりにも大きい。
DJ感覚鈍った?
また、ドラン映画お馴染みの
キレッキレナ音楽選出
だが、本作は絶望的なほどに
マッチしていなかった。
(Dragostea Din Tei)」の
使い方があまりにも
ダサくて驚愕でした。
確かに、主題歌
カミーユの
「Home Is Where It Hurts」
は良かったが、
いつものドラン映画のような
凄みは皆無でした。
正直、これがカンヌ国際映画祭
でグランプリとは驚きだ。
似たような一家会話劇なら、
同映画祭コンペ作である
クリスティ・プイウ監督の
「シエラネバダ
」に
獲らせるべきなのではと思った。
最後に…
こうもボロクソに批評した
ブンブンだが、
グザヴィエ・ドランが
ネクストステージに行くための
必要なステップだったとも
捉えられる。
いままで、感情をコントロールできない
自分を映画というアートで
表現してきたドランが、
いよいよオトナになろうとしている。
故に本作は今までの、
荒々しくも美しい描写を
かなり抑えている。
さて、ここから数作がドランに
とって勝負の時だ。
また新しい進化を魅せてくれることを
首を長くして待つとしよう。
来年
2月11日より新宿武蔵野館、
ヒューマントラストシネマ有楽町
他にて公開です。
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