【ネタバレ解説】「スイスアーミーマン」ただのラドクリフ死体映画ではない!人生の映画だ!

スイス・アーミー・マン(2016)
SWISS ARMY MAN(2016)

監督:ダニエル・シャイナート、
ダニエル・クワン
出演:ダニエル・ラドクリフ、
ポール・ダノetc

評価:90点

昨年、サンダンス国際映画祭を熱狂の渦に包んだ作品がある。それは、「スイス・アーミー・マン」。スイスのビクトリノックス社製万能ナイフのように、万能の機能を備え付けた「死体」を活用して無人島から脱出する話と聞いてブンブンは目を丸くした。アイデアが斬新だと。しかも、その「死体」を演じているのはハリーポッターでお馴染みダニエル・ラドクリフだ。彼は、エマ・ワトソンとは違い、ハリーポッター以後、角が生えるモンスター役など、ボンクラ映画ばかり出演し、キャリアパス的に芳しくない状態が続いていた。

そんな彼が本作で返り咲いた。サンダンス国際映画祭で監督賞を受賞したのだ!既に鑑賞した映画仲間からも「ダニエル・ラドクリフの演技が凄い」という声を多数聞いている。ってことで、9/22(金)にTOHOシネマズ 海老名で観てきました。

本作は、困ったことに何も知らずに観た方が良いネタバレ地雷原映画なので、これから観る予定の人は、このページを閉じて映画館へ行ってください。予告編も観ない方が良いぞ。

「スイス・アーミー・マン」あらすじ

男一人、無人島にありけり。彼は孤独と飢え故、自殺を考えていた。そんな彼の前に死体が流れ着く。この死体はドラえもんのように万能機能を備えた代物であった!

感想:下ネタがこんなに美しいとは!

本作は、予告編からでは想像できないほど、全編下ネタの連続だ。まずなんと言っても、1分に数回ペースで放屁シーンがあるのだ!放屁が多い映画と言えば、小津安二郎の「お早よう」を思い出すが、それの比ではないほど、呼吸する代わりに放屁をする映画になっている。そして、本作は更に驚いたことに、ウンコ、嘔吐、仕舞いには勃起、女装まで執拗に魅せてくる醜悪の巣窟となっている。

丁度、この「スイス・アーミー・マン」を観る日の午前中、職場の女上司に「これ興味あるの~感想教えて♪」と言われたのだが、いやー簡単にはオススメできないなーと思うほど観客の眼前には、キタナイモノしか映っていなかった。

しかし、しかしだよ、、、何故か下品に見えないのだ。逆に、放屁やウンコ、嘔吐なんてものが美しく見える不思議な映画だった。青と緑のコントラストがウェス・アンダーソン作品を思わせる美しさを放っていたからか?ダニエル・ラドクリフの演技が上手かったからか?確かにそれもあるだろう。ダニエル・ラドクリフの生気を失ったような演技はとても魅力的だった。ただ、ブンブンはこのサバイバルライフwith死体という物語の奥に隠されている「青春の蹉跌」に心揺さぶられたから醜悪なモノがダイヤモンドのように輝いて見えたのだろうという結論に至った。ということで、次の項からは、本作の下敷きにあるであろうイングマール・ベルイマン監督作「仮面/ペルソナ」と比較しながら、考察していくぞ!

対話の映画

「スイス・アーミー・マン」は予告編を観た限り、出落ちにしか見えない、勢いごり押し映画に思えた。ただ、実際に観てみると、男と死体の対話を通じて「人生」の仕組みを掘り下げていく作品だと言うことがわかる。まるでヌーヴェルヴァーグ映画かと思うほど、男が女々しく人生とは?恋愛とは?と語る。内気で、バスで一目惚れした女性に告白できなかった男が死体に想いを告げる。死体は、彼の抑圧された気持ちを解放するがごとく饒舌に語る。コミュ障で、なかなか心をさらけ出して話す事のできなかった人には胸が締め付けられるだろう主人公像、人生の窮地に陥った際、走馬燈のように過去の輝ける瞬間を顧み、「あの頃、告白していれば…」というifに哀しむ。

こういうシチュエーションの時、経験者ならわかるであろう、脳内にイマジナリーフレンズや自分の分身を作って対話をするだろう。自分の心の中で繰り広げられる対話を通じて、人生の辛さや青春の蹉跌を乗り越えようとする。

物語ベースは「仮面/ペルソナ」?

そう「スイス・アーミー・マン」は、この心理現象を、男と死体のサバイバルに置き換えた話と言えよう。そう考えた際、監督はイングマール・ベルイマンの「仮面/ペルソナ

」を参考にしたのでは?と考えることができる。

「仮面/ペルソナ」とは、「ファイト・クラブ」や「マルホランド・ドライブ

」といった自己分裂を扱った映画に影響を与えた作品。リヴ・ウルマン扮する言葉を話せなくなった女性と ビビ・アンデショーン扮する看護婦の心の交流を描いた作品だ。この作品がポイントは、リヴ・ウルマンは劇中ほとんど話さず、リヴ・ウルマン扮する女性の人生を看護婦が語るというところ。シネフィルの間では、二人の女性が同一人物説が出るほど解釈を巡って白熱議論されているカルト映画だ。

「スイス・アーミー・マン」はまさにポール・ダノにリヴ・ウルマンの役割、ダニエル・ラドクリフにビビ・アンデショーンの役割を担わせている。孤独にふさぎ込んだ、でも誰かに想いを告げたいと考える者が、もう一人の自分に語らせることで心の回復、癒やしを求める。

ラスト、それは男の妄想かもしれないと思わせておいて、でも実は万能死体は実在するかもと匂わせて終わる展開なんか観ると、かなり忠実に「仮面/ペルソナ」のような議論を呼ぶ作品を監督は作りたかったんだなーと思わずにはいられない。

ブンブン考察ラストの意味

そんな議論を呼ぶ作品だけに、ブンブンなりの結論を出さないといけない。

ラスト、万能死体は男の妄想として片付けられそうになる。しかし、男が死体を持って浜辺へ逃走する。浜辺に集まる人々の前で死体は動き出し、放屁にて海へと旅立っていく。

ブンブンは、これを観ても万能死体は男の妄想だったと言える。

男は自殺しようとした際に、浜辺で死体を見つける。孤独で死にそうな男にとって希望の光だ。しかし、死体は話さない。そこで自然と男は自分を分身させ、話し相手として死体を動かす。それによって、男は「生きよう」「人は死ぬ、いつか死ぬ。だが今日じゃない!」と死体に勇気づけられがむしゃらに島を脱出した。その時の男の脳内を観客は観ているのではないだろうか?放屁で爆走する死体ボートで島を脱出できるとは思えない。きっとボートかなんかを使って、死体と一緒に脱出したのでしょう。

また、死体の好きな女は共通している。後半、その女が人妻だと知って死体がぶち切れるのだが、それは男の本心なんじゃないだろうか。バスで一目惚れし、他人の女だということも分かっている。でも付き合いたい!愛を告白したい!ヤリたい!と思う気持ちが、赤裸々に死体を媒体に語られていく。届かぬ恋を媒体に頑張る男の様子は、野郎なら誰しも経験あることでしょう。

そして、命がけで地獄から生還した男は、現実社会を見る。死体(=もう一人の自分)は自分を勇気づけてくれたが、結局前へ出ることができない。それにショックを受けて、死体と創り上げた想像の世界に逃げ込んで終わる。実はハッピーエンドに見えて「ボーイズ・オン・ザ・ラン」のようなバッドエンドだったのではないだろうか。

最後に…

本作を観たとき、ブンブンはスコリモフスキの「早春

」とかマノエル・ド・オリヴェイラの「ブロンド少女は過激に美しく

」を思った。そうこれは童貞のイニシエーションラブ映画だ!一方的な愛で地獄を見た男、それでも残酷に人生は続いていく。その中で愚直に自分なりの解答を導き出す。ブンブンも似たような経験をしているだけに、本作は遠いようで限りなく近い映画でした。共感共感大満足、想像以上のホームラン作品に涙すら出てきたぞ!

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