『私がビーバーになる時』シニフィアンとシニフィエから見る対話不全の世界

私がビーバーになる時(2026)
Hoppers

監督:ダニエル・チョン
出演:ボビー・モイニハン、パイパー・カーダ、ジョン・ハムetc

評価:80点


おはようございます、チェ・ブンブンです。

2026年は何故かビーバー映画が熱い。ディズニー&ピクサー最新作『私がビーバーになる時』がイカれた映画だとXで話題となっていたので急遽映画館へ足を運んだのだが、まさかのノリが『FEVER ビーバー!』で笑った。確かにディズニー&ピクサーにしてはインモラルな内容でもあり評価の分かれ目ではあるのだが、個人的にはスペクタクルを通じて現代社会を風刺した作品として傑作だと感じた。

『私がビーバーになる時』あらすじ

「トイ・ストーリー」「モンスターズ・インク」「リメンバー・ミー」など数々の人気作品を生み出してきたディズニー&ピクサーによる長編アニメーション。ビーバー型ロボットに意識を転送して動物たちの世界に潜り込んだ女子大生が、動物界での思わぬ騒動に巻き込まれていく姿を描く。

人間の意識を動物ロボットに転送し、本物の動物たちと話すことができる技術が開発された時代。大切な森を守るため、ビーバー型ロボットに意識を転送した動物好きの女子大生メイベルは、もふもふの動物たちの世界に潜入できて大はしゃぎをしていたのもつかの間、動物たちが人間の世界を揺るがす、とんでもない計画を企てていることを知ってしまう。メイベルは、人間と動物の争いを阻止するため、ちょっとクセのあるビーバーたちと協力して極秘ミッションに挑む。

監督は「インサイド・ヘッド」でストーリーボードアーティストを務めたダニエル・チョン。日本語吹き替え版では主人公メイベル役を芳根京子が担当する。

映画.comより引用

シニフィアンとシニフィエから見る対話不全の世界

環境活動家である大学生メイベルは、都市開発により破壊されそうな池を守ろうとしている。大学教授も政治的に丸め込まれている中で、どうにかビーバーを池に呼び戻して自然を保護したいと考えている。そんな中、教授がロボットに魂を転送する技術を開発したことを知り、ビーバーロボットに乗り込んで森に潜入する。

『私がビーバーになる時』は一見、対話で共生の道を見つけようとするはなしに思える。しかし、観終わってみると徹頭徹尾、力で力をねじ伏せており対話など存在しないのだ。確かにメイベルと市長が手を取り合う場面はあるし、動物たちが連帯する場面もある。しかし、それは対話によってなされているわけではなく、脅威によって呉越同舟となるが故に手を取り合っているだけなのだ。そのため、状況によっては種族の代表であっても裏切られるし、それは文字通りの死に繋がる。まさしく、ドナルド・トランプ、ベンヤミン・ネタニヤフ、高市早苗と立ち止まったら自分の地位が危ういがために対話ではなく暴力的な強硬策で潰し合っていく状況をそのまま描いた作品となっているのだ。あまりに陽気に描かれているため、そういった政治戦を肯定的に描くプロパガンダとして捉えたくなるのだが、そうした状況を位相ずらして描くことでメタ認知させる効果もあると思っている。

そして、本作は対話不全を言語レベルに落とし込んでいる点が興味深い。ソシュールはシーニュという概念を定義した。言語は記号部分のシニフィアンと内容部分のシニフィエに分かれている。英語と日本語が言語体系の違いによって完全に言語が一致することがない。同様に我々が同じ日本語で話しても言語体系の違いによって全く意思疎通が取れないことがある。『私がビーバーになる時』では、メイベルと市長が平行線の議論を交わす場面から始まる。互いに譲歩しないため、全くもって進展はない。メイベルがビーバーロボットに入る。ここで人間・ビーバー間の対話が描かれているのだが、ビーバーからの言葉は「音(=記号)」としてしか伝わらない。翻訳機を使わねば意思疎通は図れないのだ。一方で、動物同士は共通言語、ここでは便宜的に英語で対話されている。恐らくビーバーはビーバー後、虫は虫語を話しているはずなのだが、集会ではまるで国連会議のように英語でもって議論を交わす。しかし、ここでも対話不全が描かれている。人間界から動物界へシーニュを用いた対話不全を関手させることで、普遍的な問題として取り上げていくアプローチに感銘を受けた。

P.S.『トイ・ストーリー5』の予告編観たのだが、安易なデジタルデバイス批判の物語になりそうなのと、物語の落としどころがSNSで古いおもちゃをアップしたらバズって、物理的なおもちゃにも居場所ができましたみたいな感じになりそうで不安である。そんな話だったらつまらないな……