レンタル・ファミリー(2025)
Rental Family
監督:HIKARI
出演:ブレンダン・フレイザー、平岳大、山本真理、柄本明、ゴーマン・シャノン・眞陽etc
評価:65点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
2010年代後半頃から、人間レンタル業が話題になっている。レンタルなんもしない人やレンタルおじさんがXでバズり、実際に事業として運用するファミリーロマンス社が「人間レンタル屋」を出版した。それをヴェルナー・ヘルツォーク監督が『FAMILY ROMANCE, LLC』として映画化した。この本は最近、日本映画としても作られている。今回、『37セカンズ』のHIKARI監督がこの独特な文化を映画化したわけだが、想像以上に評判が良い。ということで観てきた。
『レンタル・ファミリー』あらすじ
「ザ・ホエール」で第95回アカデミー主演男優賞に輝いたブレンダン・フレイザーが主演を務め、全編日本で撮影を敢行したヒューマンドラマ。長編デビュー作「37セカンズ」やドラマ「BEEF ビーフ」などで注目された日本人監督・HIKARIがメガホンをとり、東京で暮らす落ちぶれた俳優が、レンタル・ファミリーの仕事を通して自分自身を見つめ直していく姿を描く。
かつて歯磨き粉のCMで一世を風靡したものの、近頃は世間から忘れ去られつつあるアメリカ人俳優フィリップ。俳優業を細々と続けながら東京で暮らし、すっかり街になじんでいた。そんなある日、フィリップはレンタル・ファミリー会社を経営する多田から仕事を依頼される。レンタル・ファミリーとは、依頼人にとって大切な「家族」のような役割を演じることで報酬を得る仕事。最初のうちは、他人の人生に深く関わることに戸惑うフィリップだったが、仕事を通して出会った人々と交流していくうちに、いつしか彼自身の心にも変化が起こりはじめる。
レンタル・ファミリー会社を営む多田役で平岳大、レンタル・ファミリー会社の俳優として働く愛子役で山本真理、老優・喜久雄役で柄本明が共演。
役割の受容を脱構築するまで
アメリカ映画は「役割の受容」であると私は考えている。スーパーヒーロー映画のように、自分の能力や立場をどのように社会に使っていくのかといった役割を定義して全うしていく映画がアメリカには多いように思えるからだ。しかし、ここ近年ではそうしたアメリカ映画観を脱構築するような作品が制作されている。『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』では、ヨボヨボなインディ・ジョーンズが遅効性の運動の果てに冒険家という役割を降りて平凡な余生に帰っていく内容となっていた。『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』では、ジョーカーという役割を社会から与えられた一方で、その役割故に本当の自分が社会から認知されていないことによる葛藤を描いていた。どちらも評判が悪い作品であったが、アメリカ映画における役割の受容を脱構築した作品として興味深く観た。
『レンタル・ファミリー』はその系譜に位置づけられる作品であり、かつ成功した映画といえる。ブレンダン・フレイザー演じる俳優は、トミー・リー・ジョーンズやジャン・レノを彷彿とさせる日本に都落ちしたような俳優であろう。歯磨き粉のCMで一躍有名になりながらも、その後はパッとしない役者人生を送っている。ひょんなことからレンタル・ファミリー会社に入り、偽の家族を演じることとなる。
本作が面白いのは序盤において、役者でもあるにもかかわらず、レンタル・ファミリー業での演技に強い抵抗を提示する点にある。レンタル・ファミリー会社の社長にスカウトされるも一度断っている。そして、結婚式で花婿を演じる局面ではトイレに引き篭もる事態を引き起こしている。彼にとって、虚構の中で虚構を演じるのは問題ないのだが、現実に干渉する形で虚構を演じるのは加害的だと思っているのである。また、日本ではVTuberやアイドル文化など現実に干渉する形の虚構によるスペクタクルが受容されているイメージが強いが、そういう文化圏にいないためか、このような茶番に対して引いた目で見ている特徴もある。
このキャラクター性が映画全体を支えるものとなっている。役者として落ちぶれて、孤独で、異国日本で遅効性の言葉を紡ぎながら会話する男。日本のことを知っているようで、完全に知ることはできない状態で、自分をどのように提示すれば良いのか彼は葛藤している。日常生活も時と場所によって自分の中のペルソナを切り替えている。ある種、現実に干渉する虚構を演じているのだが、その同相に気づかない彼は狼狽している。そして、レンタル・ファミリーでの活動を通じて様々な偽りの人生を歩む中で自分はどうあるべきかを再構築していくのだ。つまり、アメリカ映画のように自分に与えられた役割を疑うことなく正義のあり方の領域で葛藤するのではなく、自分の与えられた役割が全うできない程に落ち込んだ者が、役割の位相をずらしながら再び自分の役割を定義していく構造となっているのである。
ヴェルナー・ヘルツォーク『FAMILY ROMANCE, LLC』が、不思議の国ニッポン映画止まりだったのに対し、その不思議さどのように人間心理に変化をもたらすのかについて緻密に考え抜かれた本作に感銘を受けた。
一方で、致命的な問題が2つある。
まず、心で心をケアする仕事としてのレンタル・ファミリーの対極を示すために、主人公は風俗通いをするのだが、そのアクションに全くもって説得力がない。果たして、あのようなタイプが積極的に風俗へ通うのだろうか。単なる、レンタル・ファミリーの本質を示すための対岸として記号的に配置したように思えてしまった。
また、映画の終盤で、突然衝撃の事実が発覚したり、修羅場映画に発展するのだが、宙吊りのサスペンスは使い捨てられ、いつの間にかすべてが円満解決してしまっている雑さがあった。本作では複数の案件を並行して受け持っているのだが、脚本に足元を掬われて瞑想してしまったように思えた。
全体的には好感持てる作品ではあったが、色々惜しい映画であった。










