『ゴダール・ソシアリスム』デジタルシネマの可能性について

ゴダール・ソシアリスム(2010)
FILM SOCIALISME

監督:ジャン=リュック・ゴダール
出演:カトリーヌ・タンヴィエ、クリスチャン・シニジェ、アガタ・クチュール、ジャン=マルク・ステーレetc

評価:85点


おはようございます、チェ・ブンブンです。

ここ最近、IVC社が出す円盤の切れ味が鋭く、毎月なにかしら購入している。今回はメルカリでプレミアがついていた『ゴダール・ソシアリスム』を買って再鑑賞してみた。

『ゴダール・ソシアリスム』あらすじ

2010年12月で80歳になった鬼才ジャン=リュック・ゴダールによる3部構成の映像コラージュ。地中海を航行する豪華客船内の人間模様(第1章「こんな事ども」)、選挙に立候補しようとするフランスの子供たちと彼らの日常を追うTVクルーの取材(第2章「どこへ行く、ヨーロッパ」)、そしてエジプト、オデッサ、パレスチナ、バルセロナなどを訪問しながら人類史を紐解く物語(第3章「われら人類」)が、鮮烈な映像と凄まじい音響によって綴られる。ロック歌手のパティ・スミス、ギタリストのレニー・ケイら個性的な面々が出演。

映画.comより引用

デジタルシネマの可能性について

『ゴダール・ソシアリスム』といえば、全編を2分ぐらいに圧縮した予告編が強烈だった記憶がある。イメージは情報量が多い。我々はイメージを前にすべてを知った気になるが、実はそれは幻影である。イメージは我々から想像力を奪うものであるとし、ジガ・ヴェルトフ集団時代以降のゴダールは積極的に黒画面を用いた。この予告編は、そんなイメージの特性を端的に表現したものであり、ただでさえハイコンテクストな本編を数分に圧縮したとて何もわからない。すべて見えているが何も見えていない様があの予告編で表現されているのだ。

今回、改めて観ると、ゴダール初の全編デジタル撮影ということもあり、デジタルシネマが何を表現できるのかと言った探求の映画となっている。まるで、MAD動画界隈、ボカロ界隈が、ゴリゴリにグリッジやらノイズを用いてDJシーンを盛り上げる感覚で、ゴダールも複数のテイストの映像を織り交ぜていく。ここで重要なのは、デジタルシネマにおいても映像の古さ/新しさが存在することを示している点にある。第1楽章において、船での旅路が描かれる。ノイズ混じりの汚いイメージとバキバキに漂白されたイメージが交差する。その間で、DVDの不具合かと思うギョッとする静止と再開が提示される。デジタルシネマはフィルムと比べて不変なのかと言われたら、そうではない。映像は劣化する。故にイメージには新旧の幅が存在することを示しているのである。

第2楽章では、親子の力関係といったミクロな視点と地方に住む母が議員に立候補する際の障壁を重ね合わせている。政治映画として、議員の給料を減らすのは是か非か、所有権の再分配に関する議論が行われる。第3楽章では、『戦艦ポチョムキン』を始めとした映画や絵画のコラージュとなっていき、混沌とするわけだが、ラストにFBIの著作権侵害の警告画面に「法が正しくないときには、正義が法に優る」といったテクストが提示される。我々はそのテクストを鵜呑みにしようとするのだが、意地悪にもゴダールはそれに対して「ノーコメント」と返す。本作はイメージの隙間にパレスチナ問題を挿入している。パレスチナを巡る問題は、世界各国の正義による歪みが原因となっている。メビウスの輪のように法と正義が捻れているため、安易な論の需要は問題となる。このような世界の複雑さをゴダールは詩的に物語っているのである。