涼宮ハルヒの消失(2010)
The Disappearance of Haruhi Suzumiya
監督:武本康弘
出演:平野綾、杉田智和、茅原実里、後藤邑子、小野大輔etc
評価:90点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
現在、映画館で『涼宮ハルヒの消失』がリバイバル上映されている。本作は私にとっても思い出深い作品となっている。高校時代、ヲタクの友人が定期的に「パトレイバー」や「東のエデン」といったアニメの録画DVDを貸してくれていた。「これ、めちゃくちゃ面白いから観てよ」と渡されたのが、『涼宮ハルヒの消失』であった。「涼宮ハルヒ」自体は秋葉原でコスプレイヤーが踊っている動画で知っていたのだが、アニメもライトノベルも触れてこなかった身として2時間42分もある作品に耐えられるのかと思ったのだが、これが面白かった。久しぶりに観直してみたのだが、改めて素晴らしい脚本の作品だなと感じた。
『涼宮ハルヒの消失』あらすじ
テレビアニメ化され人気を博した谷川流のライトノベル「涼宮ハルヒ」シリーズの劇場版で、原作第4巻をアニメ化。
「宇宙人や超能力者を探し出して遊ぶ」という目的で「世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団」(通称「SOS団」)を結成した涼宮ハルヒは、美少女ながらも変わり者の女子高校生。現実主義者の男子高校生キョンは、ちょっとした好奇心から「SOS団」のメンバーとなり、ハルヒの巻き起こす騒動に巻き込まれていく。クリスマスが近づいたある日、キョンが学校に行くと、いつもの日常とどこか違うことに気づく。後ろの席にいるはずのハルヒがおらず、さらに驚くべきことに、かつてキョンを殺そうとして長門に消滅させられたはずの朝倉の姿がそこにあった。
「AIR」の京都アニメーションが手がけたテレビアニメ版は2006年と2009年に放送され、その高いクオリティで評判を集めた。劇場版も引き続き京都アニメーションが制作を担当し、2010年2月に公開されてから半年以上のロングラン上映を記録。深夜アニメ発の劇場版としては当時異例のヒットとなった。2026年にはテレビアニメ放送20周年を記念した企画の一環としてリバイバル公開される。
やれやれ冷笑系主人公像の脱構築
本作は複雑な円環入れ子構造を用いながら、ライトノベルやノベルゲーにありがちである「やれやれ冷笑系主人公」を脱構築していく内容である。涼宮ハルヒが結成したSOS団に振り回される毎日を送っていたキョンだったが、ある日を境にハルヒの存在が消滅してしまう。それどころか、SOS団のメンバーも解散しており、学校中をかけ巡り、ようやく朝比奈みくるを見つけたものの、彼女は自分のことを知らないと語る。自分だけが時間の流れに取り残され、周囲から狂人に思われながらも、あれだけ怠そうに接していたSOS団のいた世界を渇望し行動し続ける。
映画は、現実的で一歩引いた位置から社会を見つめているキョンを強制的に社会と結びつけていく。その中で、いかにキョンが未熟かが露呈する。ハルヒのいない世界で、自分の知っている世界の痕跡を探そうと周囲に話しかける様は、通常のキョンとは異なり、人との距離感を失ったものである。特に女子生徒に対する発言は、デリカシーがなく暴力的ですらある。しかし、これこそが人間として大事なイニシエーションであり、他者とのコミュニケーションを通じ、傷つきながらも前へ進んでいく様が描かれていく。この現実の過程と時間系SFとの相性は抜群である。我々が過去を省みる時、それは非ユークリッド的空間である。記憶や関係性が非連続的に沸き立つ。過去の再現、現実のようにフラッシュバックするイメージを通じて自己と向き合い成長する。日常という円環、何も変わらないような時間の流れだが、確実に成長しているし、過去の自分に干渉することで新しい自分と出会う。本作は、幾重にも重なるキョンのアクションでもって「やれやれ冷笑系」から降り、当事者となる姿が表象されているのである。
また、少し古臭さを有しているWindows95を用いた不気味と好奇の宙吊りも興味深い。今となっては簡単に現実と繋がっている感があるが、Windows95の時代は、すぐにバグる、黒画面に白文字が無機質に並ぶ異様さがどこか怖さとアングラ空間に対する好奇心を掻き立てていた。突然起動する様、当事者でないと目の前に表示されているものがなにか分からない感じはWindows95でないと出せないであろう。無論、当時の高校にMacのモダンな透明フォルムのものが置かれていたり、OSがLinuxであることは考えにくいため、現実的な選択だったとは思うが、それでもPCの扱いに長けた作品だと感じた。










