労働者階級は天国に入る(1971)
La classe operaia va in paradiso
監督:エリオ・ペトリ
出演:ジャン・マリア・ヴォロンテ、マリアンジェラ・メラート、ジーノ・ペルニス、ルイジ・ディベルティ、サルヴォ・ランドーネetc
評価:90点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
ここ最近、映画批評家・大寺眞輔氏の新文芸坐シネマテークの切れ味が凄まじい。1970年代の忘れ去られた監督や作品を次々と紹介していて興味深いのだが、ついに幻のパルムドール受賞作『労働者階級は天国に入る』を持ってきた。エリオ・ペトリの作品は『殺人捜査』もそうだが、ケーブルテレビで遥か昔に放送されて以降、DVD化も劇場公開もされない。本作はカンヌ国際映画祭で『惑星ソラリス』や『スローターハウス5』『沈黙 SILENCE』といった競合を倒し最高賞を受賞した作品なのだが日本で全く知られていない一本である。長らく観たかった作品だけに、定時ダッシュして劇場へかけつけた。
『労働者階級は天国に入る』あらすじ
Un ouvrier d’usine consciencieux perd un doigt dans une machine. Bien que le handicap physique ne soit pas grave, cela l’entraîne à s’impliquer de plus en plus dans des groupes politiques et révolutionnaires.
訳:良心的な工場労働者が機械の作業中に指を失う。身体障害は重篤なものではなかったが、それがきっかけで彼は政治・革命団体への関与を深めていく。
労災の国のアリス
ルル・マッサは工場でしごできな労働者である。高速で回転し金属を加工する旋盤のギリギリを攻めながら、部品を取り出していき高い生産性を保っている。彼にとって仕事は誇りであった。一方で、この工場では3つの勢力により不穏な空気が流れていた。工場の外では労働組合と学生団体がそれぞれの立場で搾取の構造を批判し連帯を呼び掛けている。工場内部でも出来高制に不満を抱える労働者たちが時給制に切り替えたい想いを強めていた。しかし、しごできなマッサにとって出来高制はアイデンティティでもあったため、連帯を冷笑しイキり散らし、周囲を苛立たせていた。やがて同僚たちが彼を煽るようになる中で労災が発生。彼は指を切り落としてしまう。
映画は『ノーマ・レイ』を始めとする労働者の連帯を描いたリアリズムなドラマのように思わせるが3つのユニークな視点でもって唯一無二な一本となっている。
まず、本作は決して共産党側についているような作品ではない。機械化によるシステムに取り込まれる社会への批判として連帯する者たちを描いているのだが、その内情は複数の派閥にわかれている。そして、労働者の中でも権力側に寄り添っている者を主軸としながら、ニュートラルなポジションを維持し続ける。そして映画は権威主義を批判し、連帯する共産主義側にも懐疑の姿勢を取る。大寺氏の講義によれば、エリオ・ペトリ自身の政治的立ち位置が色濃く反映されている作品であるとのこと。元々、労働者階級であり共産党員であったエリオ・ペトリがハンガリー動乱以降、権威主義に懐疑の姿勢を取る。その中で共産党から一歩距離を置いたとのこと。そして、実際の撮影ではゴリゴリの共産党員であった主演のジャン・マリア・ヴォロンテや脚本家のウーゴ・ピロと激しく対立し、脚本も3つに分裂したした状態の中で制作されたのだそうだ。
単純な二項対立に落とし込まず、エリオ・ペトリは極めて映画的な手法で連帯の難しさを表現している。エンニオ・モリコーネの神経質な不協和音の中、システム化された工場内で労働者が機械を操作し、チーム一体となった運動を生み出す。その中で各々がメッセージを声高らかに叫ぶのだが、それは一切伝わらない。システマティックに一つの方向へ動きながらも心は通じ合っていない社会状況をアイロニカルに表現しており興味深く感じた。
そして、指を失って以降のマッサに流れる時間は非ユークリッド的であり、異様な青いライトで包まれる家庭内で家族の愛を求めつつも見放され、精神病棟のような場所ではプライド高く保とうとする、職場では燃え尽き症候群になり、対話不能な群の渦へと飲み込まれていく様子が描かれていく。まさしく《労災の国のアリス》といったところだろう。
国際的に分断している今こそ再評価されるべき作品であった。










