『そこにきみはいて』強制的異性愛と恋愛伴侶規範に苦しめられ

そこにきみはいて(2025)

監督:竹馬靖具
出演:福地桃子、寛一郎、中川龍太郎etc

評価:60点


おはようございます、チェ・ブンブンです。

YouTubeチャンネルのリスナーさんから「アセクシャルとかアロマンティックに興味あるならこの作品はいかがですか?」と紹介を受けて急遽『そこにきみはいて』を観た。本作は、『走れ、絶望に追いつかれない速さで』『四月の永い夢』の中川龍太郎が原案の物語を『蜃気楼の舟』の竹馬靖具が監督した作品であり、中川龍太郎自身も出演している。

『そこにきみはいて』あらすじ

「走れ、絶望に追いつかれない速さで」「四月の永い夢」などの映画監督で詩人としても知られる中川龍太郎が原案、「蜃気楼の舟」「の方へ、流れる」の竹馬靖具が監督・脚本を手がけ、名づけられなかった感情や誰にも理解されない痛みを繊細かつ大胆な詩的リアリズムでつづったドラマ。

海沿いの街を旅する香里と健流は、恋人というよりどこか家族のような関係だった。しかし入籍が近づいたある日、健流は突然、自ら命を絶つ。お互いにとって一番の理解者だと信じていた香里はショックを受け、健流と出会う前のように、他人に対して心を閉ざしてしまう。そんな中、香里は健流の親友だったという作家・中野慎吾のことを思い出し、彼のもとを訪ねる。健流の知らなかった一面を知るため、香里と中野は街をめぐる。

「あの娘は知らない」「湖の女たち」の福地桃子が主人公・香里、「ナミビアの砂漠」「せかいのおきく」の寛一郎が健流を演じ、兒玉遥、朝倉あき、筒井真理子が共演。原案を手がける中川龍太郎が自ら中野慎吾役を務めた。

映画.comより引用

強制的異性愛と恋愛伴侶規範に苦しめられ

恋愛感情がわからず合コンも苦痛に感じていた香里はあることをきっかけに健流と同棲するようになり、親密な関係となっていく。しかし、入籍を前に彼は自ら命を絶ってしまう。彼はなぜ命を落としたのか。心の穴を埋めるように彼の親友だった小説家の中野慎吾へ会いに行く。

本作は強制的異性愛と恋愛伴侶規範に縛られ苦しむ者と描いた作品と捉えることができる。強制的異性愛とは、アメリカのレズビアン・フェミニストで詩人のアドリエンヌ・リッチによって作られた理論である。彼女は「なぜ異性愛者になるのか」といった問いから論じた結果、社会的強制力による影響なのではと推察し、異性愛を政治的制度として認識する必要があると考えた。恋愛伴侶規範は、アメリカの哲学者エリザベス・ブレイクが提唱した理論であり、人生の中で、誰かと結婚し過ごすことが当たり前とされており、独身者や恋愛をしない人を人間として欠けた存在であるよう見なされてしまう様を捉える役割がある。

香里も健流も社会の中で恋愛とはこうあるべきだという柵に囚われており、その枠組へ抵抗しようとする気持ちと順応する気持ちとの間で引き裂かれそうになっている。特に序盤のシーンでは生々しい合コンシーンが描かれている。合コンなので当然ながら他人の恋愛観に土足で踏み込む。同情しているように見せかけてお持ち帰りしようとしており、拒絶すると蔑視の目を向けられる。普通であろうとするために素を魅せない。それが後輩の女子社員の反感を買うのである。

こうした光景を見ると、以前いた会社のことを思い出す。1社目ではおばちゃん社員から「いつ結婚するの?」みたいなことを頻繁に言われて嫌気が差していた。「今の人は恋愛に興味ないらしい」と話題を逸らすと「少子化ね……」みたいなことを嫌味っぽく言っており、国家という枠組みの中に囚われた恋愛観を押し付けているように思えた。

2社目では、社長面談で中途社員6名が集められてオンライン面談をしたのだが、「率直に結婚についてどう思う?」と訊かれた。この会社では同性婚などといった多様性を認める動きがあり、社長自らヒアリングすることで多様性を認めているアピールをしたかったようだったが、正直それは暴力的質問だと感じた。

このような厭さを捉えながら繊細に心の動きを描いた本作は、単調ではあるものの観て良かった。