『パルジファル』フィレンツエ派的構図が美しい

パルジファル(1981)
PARSIFAL

監督:ハンス=ユルゲン・ジーバーベルク
出演:アルマン・ジョルダン、マーティン・シュペアetc

評価:80点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

ハンス=ユルゲン・ジーバーベルクの『パルジファル』を観た。演劇的映画の印象が強いハンス=ユルゲン・ジーバーベルクだが、演劇から映画への拡張が巧い職人であることを確認した。

『パルジファル』あらすじ

Richard Wagner’s last opera has remained controversial since its first performance for its unique, and, for some, unsavory blending of religious and erotic themes and imagery. Based on one of the medieval epic romances of King Arthur and the search for the holy grail (the chalice touched by the lips of Christ at the last supper), it recounts over three long acts how a “wild child” unwittingly invades the sacred precincts of the grail, fulfilling a prophecy that only such a one can save the grail’s protectors from a curse fallen upon them. Interpreters of the work have found everything from mystical revelation to proto-fascist propaganda in it. Hans-Jurgen Syberberg’s production doesn’t avoid either aspect, but tries synthesize them by seeking their roots in the divided soul of Wagner himself. The action unfolds on a craggy landscape which turns out to be a gigantic enlargement of the composer’s death mask, among deliberately tatty theatrical devices: puppets, scale models, magic-lantern projections. The eponymous hero is sung by the specified tenor voice (Reiner Goldberg) but mimed on screen by a male and a female performer alternately, reflecting what the director takes to be the creator’s own sexual conflicts. Syberberg’s pacing, dictated by the majestic pace of Wagner’s score, is slow, but enlivened by constant subtle shifts in point of view, and memorable performances by actress Edith Clever as the villainess/heroine Kundry (sung by Yvonne Minton), orchestra conductor Armin Jordan as the remorseful knight Amfortas (sung by Wolfgang Schoene), and Robert Lloyd (the faithful retainer Gurnemanz).
訳:リヒャルト・ワーグナー最後のオペラは、宗教的テーマとエロティックなイメージを独特かつ、一部の人にとっては不快なほどに融合させた作品として、初演以来、物議を醸し続けている。アーサー王伝説の一つと聖杯(最後の晩餐でキリストの唇が触れた聖杯)探索を題材としたこの作品は、3幕構成の長編で、ある「野生児」が知らず知らずのうちに聖杯の聖域に侵入し、そのような者だけが聖杯の守護者たちに降りかかる呪いから救えるという予言を成就させる様子を描いている。この作品の解釈者たちは、神秘的な啓示から原始的ファシズム的プロパガンダまで、あらゆる要素をこの作品に見出してきた。ハンス=ユルゲン・ジーベルベルクの演出は、どちらの側面も避けることなく、ワーグナー自身の分裂した魂にその根源を求めることで、両者を融合させようとしている。物語は、作曲家のデスマスクを巨大に拡大したような岩だらけの風景を舞台に展開され、人形、模型、幻灯機の投影など、わざとみすぼらしい舞台装置が用いられる。主人公は指定されたテノール歌手(ライナー・ゴルトベルク)によって歌われるが、画面上では男性と女性の役者が交互にパントマイムを演じ、監督が作者自身の性的葛藤だと解釈したものを反映している。ワーグナーのスコアの荘厳なテンポに支配されるジーベルベルクのテンポは遅いが、絶え間ない微妙な視点の変化、悪女/ヒロインのクンドリー役の女優エディ・クレバー(イヴォンヌ・ミントンが歌う)、後悔する騎士アムフォルタス役のオーケストラ指揮者アルミン・ジョーダン(ヴォルフガング・シェーネが歌う)、そして忠実な家臣グルネマンツ役のロバート・ロイドの記憶に残る演技によって活気づけられている。

フィレンツエ派的構図が美しい

ニュー・ジャーマン・シネマもとい映画史の中で最も偉大でありながら最も顧みられない現代の映画作家として知られているハンス=ユルゲン・ジーバーベルグ。総じて長尺、難解、鑑賞機会が少ないため、日本でも有名な割には語られる機会が少ない。

彼の代表作のひとつである『パルジファル』は題名からもわかる通り、ワーグナー最後の作品の映画化である。全編オペラで構成されている今からすればライブビューイングに近い作品でありながらも、映画的イメージの探求に溢れた傑作だ。

舞台と映画の違いは視点の操作性にあるといえる。舞台の場合、客席から向けられる固定された視点により空間が認知される。客席ごとに見え方が異なるため、舞台演出家は視点が制御できない状態でいかに舞台を作り込むのかを考える必要がある。一方で、映画の場合はカメラと被写体の関係性により意図した構図を提示することができる。映画史においてもローレンス・オリヴィエが『ハムレット』で実践しており、急勾配な階段を反復して捉えることで生と死の境界線を意識させていたり、城の屋上を異界のような空間にすることで心象世界を創り上げているなどといった映画的な空間づくりに成功している。

『パルジファル』の場合、絵画における奥行きを意識した構図に運動を当たることで映画的な空間を生み出そうとしている。たとえば、巨大な本を前に女性たちが透き通った声で共鳴させる場面は、チマブーエやフラ・アンジェリコなどといったフィレンツエ派絵画を彷彿とさせる平面的空間の一部の奥行きが強調され、鑑賞者の眼差しを向けさせるものとなっており、下から立ち込める煙が神秘的空気を与えている。

また、岩の陰から覗き込むような映画的凝視ともいえるショットが随所に張り巡らされており、オペラを観ている中で映画の世界へと迷いこんでしまったかのように錯覚するような演出となっている。まさしくオペラもとい演劇の拡張としての映画の実践例として観ることができる。