『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』「お前にやられるなら本望だ」の元ネタ

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ(1984)
Once Upon a Time in America

監督:セルジオ・レオーネ
出演:ロバート・デ・ニーロ、ジェームズ・ウッズ、エリザベス・マクガヴァンetc

評価:6⑤点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

中学以来の再観で『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』を観た。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』あらすじ

マカロニウエスタンの巨匠セルジオ・レオーネの遺作となった作品で、ハリー・グレイの自伝的小説を原作に、ニューヨークのユダヤ系ギャングたちの栄光と破滅を、少年期、青年期、老年期の3つの時代を行き来しながら描いた傑作ドラマ。1920年代初頭のニューヨーク。ユダヤ系移民の少年ヌードルスは同年代のマックスと出会い、深い友情で結ばれていく。彼らは仲間たちと共に禁酒法を利用して荒稼ぎするようになるが、ヌードルスは殺人を犯し刑務所へ送られてしまう。1931年、出所したヌードルスはマックスらと再会し、裏社会に舞い戻るが……。ヌードルスをロバート・デ・ニーロ、マックスをジェームズ・ウッズが演じた。レオーネ作品には欠かせないエンニオ・モリコーネが音楽を担当。

映画.comより引用

「お前にやられるなら本望だ」の元ネタ

マカロニ・ウェスタンの巨匠セルジオ・レオーネが最期に放ったのは意外にもギャング映画であった。実はもうひとつ意外なものがある。よくアニメやネットミームで耳にする「お前にやられるなら本望だ」の元ネタは恐らく本作だということだ。終盤に、ロバート・デ・ニーロ演じるヌードルスのライバル・マックスが、スキャンダルで命を狙われている自分の人生を終わらすために殺しを依頼する場面にてこのセリフが使われている。だが、彼は断る。それはマックスに対する復讐ではなく、暴力的な世界を駆け抜けてくる中で醸造されたヌードルスの複雑な感情から来るものであった。

本作は時間軸を入れ替える構成により、老境に差し掛かった男の意識の流れを捉えることに成功している。仲間が殺される現場が映し出される。野外にもかかわらず、延々と電話の呼び鈴が鳴り突けている。場面が転換しても呼び鈴だけは空間を超えて伝わってくる。やがて受話器を取る。すると目が覚める。追跡されているヌードルスが経験した過去/トラウマが夢として再生されていることがわかるのだ。また、彼は寂れたユダヤ人レストランへとやって来る。横移動で内装を捉えていくのだが、部屋の一部は閉鎖されている。やがてカメラはトイレへと行きつく。今度はトイレから、再び横移動でレストランの外へと出ていくわけだが、その際には封鎖された扉は解放されており、店も活気づいている。ひとつの空間から、ふたつの時代を繋いでいくアプローチが取られている。このように、視覚的演出によって状況を説明することを得意とする本作はアクションにまで反映されており、木屑を生成する工場での攻防における心理戦は見事である。ターゲットを追い、工場へ入るも気配がない。轟音と共に木屑がブースに貯められている。周囲を見渡し、スイッチを入れる。すると、ブース内の木屑が舞い始め、朧げにターゲットの姿が浮かび上がる。出口を目指すターゲットを射殺する。このように目で状況を判断し、最適解で敵を追い詰めていく様をセリフなしで描いていくのである。

一方で、今の価値観からするとあまりにもミソジニーをトリガーにした描写が多いため、ジェンダー論の観点から再考されるべき作品ではある。一貫して、ことあるごとにレイプシーンがあり、女性に対してもどこか見下した眼差しが注がれる。これは、強盗中でも発生しており、強盗そっちのけでレイプする場面があるのだ。2025年秋に女性監督パトリシア・マズィが暴力映画のクリシェを用いて有害な男性性を批判した『サターン・ボウリング』が日本で公開されるのだが、本作と比較することで2020年代ジェンダー論の観点から『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』を語り直すことができるのではないだろうか。

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