『ミゼリコルディア』拡張された心理の森に潜む脆弱性

ミゼリコルディア(2024)
Miséricorde

監督:アラン・ギロディ
出演:フェリックス・キシル、カトリーヌ・フロ、ジーン・バプティスト・ドゥランド、ジャック・ドゥヴレイ

評価:95点


おはようございます、チェ・ブンブンです。

2025年最大の事件はアラン・ギロディ特集だろう。アラン・ギロディといえば、カイエ・デュ・シネマベストの常連監督であり、日本でも人気の高い監督ではあるが、激しい性描写の扱いのせいか日本では一般公開されたことのない監督である。実際、2017年頃にアンスティチュ・フランセでアラン・ギロディ特集が組まれた際に「ボカシを入れないといけないけれども、アラン・ギロディ監督はそれを望まないから劇場公開は難しい」といった噂を聞いた。今回、セルゲイ・ロズニツァ映画をはじめとするドキュメンタリー映画を主に配給するサニー・フィルムさんが特集を組んだ。ボカシ問題が気になったが、どうやら映倫を通してないらしく、少なくとも『ミゼリコルディア』ではボカシはなかった。R表記も「R18」といった形ではなく、注釈で「18歳未満にはハードな描写かも」的な少し変わった記載がされていたので、恐らく映倫を通さない形での公開だったのではと思われる(実際、映倫サイトで検索したところ、ヒットしなかった)。また、本作はカイエ・デュ・シネマベスト2024にて1位に輝いた作品であるが、2位との得点が約2倍となっており、ほとんどの選人が本作をベストに、しかも上位に選出していたものとなっている。若干、それに日和りつつ観たわけだが、なるほど、これはアラン・ギロディの集大成であり、『キング・オブ・エスケープ』を彷彿とさせる原点回帰の作品といえる内容であった。

『ミゼリコルディア』あらすじ

「湖の見知らぬ男」などで知られるフランスの映画作家アラン・ギロディが、奇妙な住民ばかりの村で起きた奇想天外な事件の顛末を描き、フランスでスマッシュヒットを記録したサスペンスドラマ。

石造りの家が立ち並ぶ村。かつて師事していたパン職人の葬儀に参列するため帰郷したジェレミーは、故人の妻マルティーヌの勧めで家に泊めてもらうことに。思いのほか滞在が長引くなか、村で謎の失踪事件が発生。マルティーヌの息子ヴァンサン、音信不通となっていた親友ワルター、奇妙な神父フィリップ、村の秘密を知る警察官ら、それぞれの思惑と欲望が交錯していく。

「グッバイ・ゴダール!」のフェリックス・キシルが主人公ジェレミー、「大統領の料理人」のカトリーヌ・フロがマルティーヌを演じた。2024年・第77回カンヌ国際映画祭プレミア部門に出品。同年のルイ・デリュック賞を受賞し、カイエ・デュ・シネマ誌のベストテン第1位に選ばれた。

映画.comより引用

拡張された心理の森に潜む脆弱性

パン職人が死んだ。彼の葬儀に参列するためジェレミーがやってくる。彼は故人の妻マルティーヌの家に泊まることとなるが、全然出ていかないものだから彼女の息子であるヴァンサンは不審な眼差しを向ける。実はジェレミーには別の目的があった。音信不通となっていたワルターに想いを寄せていたのである。ヴァンサンは、自分の母を寝取ろうとしているのではと怪しみ、奇妙な三角関係が発生する。そんな中、言い争いの末にジェレミーはヴァンサンを殺してしまう。マルティーヌや警察、そして神父がジェレミーを犯人だと怪しむ。果たして彼は切り抜けることができるのだろうか?

アラン・ギロディ作品は一貫して行為/中断を使ったサスペンスを得意とする。そして、本能や心理の場として森が扱われる。『ミゼリコルディア』の場合、森の中でいちゃつき、森の中で己の罪と対峙するのだが、一歩油断すれば遠くから神父や警察の眼差しが注がれていることに気づかされる。映画は、そのハッとする描写を事前に挿入することで、別の場面ではジェレミーと心をひとつにする。つまり「誰かに見られているのでは?」といったハラハラドキドキが滾ることとなるのだ。誰かに見られることで、本能の世界への没入を中断させられる。そしてジェレミーもまた中断のギミックを応用するといった展開は『キング・オブ・エスケープ』由来のものだろう。『キング・オブ・エスケープ』は夜道にストーカーする中年おじが、怪しげな群れを見つけ「追跡を中断」する。そして、群れへの追跡に切り替えたところ、レイプ未遂の現場を救う。その経験が本能を刺激し、彼女と駆け落ちするに繋がるのだが、追手がふたりを許さない。森で本能的行為に耽っているところを急襲、行為を中断されるのだ。『ノーバディーズ・ヒーロー』では娼婦をセックスをしようとするもいいところで邪魔が入ってしまう男と欲望を着実に実現させるテロリストと思しき存在の対比的な関係性によりユニークな家侵入ものが築かれていた。アラン・ギロディは欲望の行使が中断させられるところにサスペンスの重きを置いているのである。

本作ではジェレミーもまた「行為を中断させる側」にいる点が興味深い。たとえば、ジェレミーを怪しむヴァンサンは朝の4時にマルティーヌ宅へ侵入し、ジェレミーを監視する。それに嫌気をさしたジェレミーは、少し前の時間に外へ出て、ヴァンサンの車の後部座席に忍び込む。そして、ヴァンサンが運転すると、それを阻害するのだ。映画は反復して、寝室を映し、ヴァンサン殺人事件によって、どんどんジェレミーの起床時間が早まる。ないし、もはや寝ていないであろう状況を提示しながら攻防を魅せていく。

従来、他者からの侵入を許す本能蠢く場として「森」が使われていたのだが、本作ではそれが拡張され「寝室」が森に近い役割を果たす。夜中の2時にジェレミーが絶叫する。それを聞いてマルティーヌが飛び起きるのだが、「ジェレミーは私に真実を隠しているに違いない」と思った彼女は、夜な夜な寝室にそろりそろりと忍び込み、彼の無意識に語り掛けるのである。寝ている最中、ヒトは無意識なる世界にいる。寝言は己で制御できない。普段は飄々とした顔で、嘘と事実を手繰り寄せた真実で周囲を煙に巻き、全てを制御しているわけだが、夢の世界ではその制御の手綱は握られていない。この脆弱性を即時に突いてくるのだ。しかも、標的は彼女だけでない。警察もまた万能鍵で侵入し、無意識下の彼から事実を聞き出そうとするのである。修羅場映画において通常は、主体/コントロールできない他者との関係性によって宙吊りのサスペンスが生まれる。しかし、アラン・ギロディは主体/無意識下の主体/コントロールできない他者の三点で宙吊りのサスペンスを紡ぐ技法を開発しており感動したのであった。

※映画.comより画像引用