ユリシーズ(2024)
Ulysses
監督:宇和川輝
評価:10点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
第25回東京フィルメックスで珍しく日本映画を観た。とはいっても今年のメイド・イン・ジャパンは多国籍な日本映画が多く、本作はスペインと日本を舞台にし、ロシア語、スペイン語、英語、日本語が入り乱れる異色作であった。
『ユリシーズ』あらすじ
この映画は3部に分かれている。第1部では、マドリードで8歳の息子と2人きりで暮らすロシア人の母親に私たちは出会う。続く第2部では、一人の日本人男性がバスク人の若い女性と知り合う。2人は共に時間を過ごし、彼女は彼を友人たちに紹介する。そして第3部では、舞台は日本に移され、若い男性がお盆の時期に実家に帰省し、亡くなった祖父の霊を迎えるための準備を祖母と共に進めていく…。本作は、そのタイトルが示す通り、ジェームズ・ジョイスの『ユリシーズ』の形式的なアイデアを取り入れた作品で、更には『ユリシーズ』が大きく依拠しているホメロスの『オデュッセイア』を大まかに翻案したものだという。ただ、無論ここではギリシャの英雄の困難な帰郷の旅がそのまま語られているわけではない。むしろここでは「家」や「帰属」といった概念を巡って各々の物語が展開されており、世界の様々な場所での日常生活の断片が曖昧さを残したまま控えめな筆致で描かれている。本作はマルセイユ国際映画祭で初上映され、続いてサン・セバスチャン映画祭でも上映された。
※第25回東京フィルメックスより引用
ちょっと積分してみただけ
神の怒りにより僻地へと飛ばされた男がRPGゲームのようにモンスターと対峙、イベントを攻略しながら家路を目指す壮大な冒険譚であるホメロス「オデュッセイア」。これをダブリンの1日に微分し、神話から民話へと落とし込んだのがジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ」である。そこからタイトルと設定を拝借した本作は、ジョイスの世界を積分したような内容となっている。映画も1日というわけではない。場所もスペインと日本へまたがるものとなっている。「ユリシーズ」がイギリス人、ユダヤ人、ロマと外からやってくる人種に対する思索が中心となっているので、一見すると妙な構成ではあるが、実は理にかなった積分といえる。
第1部ではスペインに暮らしており、給食費の支払いの話から貧困に陥っていることがうかがえるロシア人親子のやり取りを通じて、故郷へ帰れない様を描き「オデュッセイア」との共鳴を狙っている。ここでは「ユリシーズ」をさらに微分し、舞台を家の中だけに限定し、時間の流れも停滞したものへと置換しようとしている。「ユリシーズ」
第2部ではリチャード・リンクレイター作品のような日本人とスペイン人の恋を感じさせる駆け引きが描かれている。これは「ユリシーズ」におけるブルームとマーシャ・クリフォードとの関係と対応するのだろう。
第3部では、舞台を日本へ移し、お盆に祖父の魂を呼ぶ、死んだ者の帰郷が描かれる。
確かに、「ユリシーズ」を読んでいると、演出意図は分かるものの、70分で3パートに分けてしまったことで散漫に感じてしまうものがある。また、中途半端に積分してしまった印象があり、ジェイムズ・ジョイスが「ユリシーズ」でやってのけた街の精密な描写というのが欠落してしまっている。雑な二番煎じとしかいいようがない。第3部において、音がテーマであり、玄関前に灯された火へ眼差しを向ける美しいショットがあるのだが、そこでYOASOBI「夜に駆ける」のピアノ旋律が紛れ込むのだが、意図があったとしてもあの場面では不適切なように思える。
全体として、文学作品のフレームワークを中途半端に活用し、中途半端に終わってしまった一本としかいいようのない作品であった。