農民(2023)
原題:Chlopi
英題:The Peasants
監督:ドロタ・コビエラ、ヒュー・ウェルチマン
出演:Kamila Urzedowska、ロベルト・グラチーク、ソニア・ミエティエリツァ、ミロスワフ・バカ、エヴァ・カスプシクetc
評価:60点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
ポーランド映画祭2024の目玉作品『農民』を観てきた。本作は、『ゴッホ~最期の手紙~』で油絵アニメーションのジャンルを開拓し注目されたドロタ・コビエラ、ヒュー・ウェルチマンコンビの新作である。ノーベル文学賞受賞作家、ヴワディスワフ・レイモントの同名小説を映画化した作品であるが、前作同様油絵アニメーションとなっており、さらにロトスコープの要素を強調した一本に仕上げた。一見すると「実写でも良いのでは?」と思うのだが、『ゴッホ~最期の手紙~』以上に手法が意味を持っている作品であった。
『農民』あらすじ
19世紀後半、ポーランドのある村―この村は噂話や争いの温床となっている。伝統への固執、根深い家父長制制度といった悪しき習慣が根付いており、美しいヤグナは歳の離れた大地主と結婚させられてしまう。 20世紀ポーランドを代表するノーベル文学賞受賞作家、ヴワディスワフ・レイモントによる『農民』を映像化した本作品。秋冬春夏の四季に分かれた四部作を、油絵を用いたロトスコープのアニメーションで色彩豊かに描いている。
※京都ヒストリカ国際映画祭より引用
ミレーの引用から見る油絵ロトスコープの効果について
産業革命により社会は豊かになった一方で貧富の格差が拡大した。そんな19世紀中頃に美術界では「写実主義」が物議を醸す。クールベが1850年に労働者を描いた「石割り人夫」を官展に出品したところ酷評された。当時のサロンをはじめとする美術界では、労働者を描くことはタブーであり、田舎の日常生活は小さく、美しく、都市生活者の現実逃避として描くことが美徳とされてきた。対してクールベやドーミエは、ドキュメンタリーのようにありのままの市井の人を描こうとし、画壇からは冷笑された。今では「写実主義」「バルビゾン派」として美術史の中で評価されているが当時は逆境出会ったのだ。
閑話休題、『農民』は終盤でミレーの「落穂拾い」を再現していることから、「写実主義」「バルビゾン派」をアニメで掘り下げようとしている。絵画は写真や映画と違って人力で描いているため、現実との距離感は遠い。そして一枚絵で表現するため、線で物語ることに限界がある。小説も同様であり、当時の凄惨さを表現しようとしても、書き手の取捨選択によって点と点が結ばれるため、現実における剥き出しの線を加工したものとなる。絵画、小説の限界に対して、いかにありのままの当時を捉えられるか?クールベやミレーは貧しき地方労働者を描いたが、彼ら/彼女らの生活する場所でも家父長制による凄惨なことが行われてきた。それをどう描くか考えた際に、油絵ロトスコープが効果を発揮する。
ロトスコープは実際に演技した人間をトレースし作られる。絵でありながら動きは実際のものである。「写実主義」の質感をそのままに、ミレーらが描けなかったであろう現実を捉えるハイパーリアリズムの実践といえるのだ。そこでは、家父長制によって結婚したくないのに男と結ばれ、強姦され、追放される女の肖像が凝縮されている。歌や儀式が文化を束ねる。そこから逸脱した時、市民が暴力でもって生贄を生み出して棄てる。資本主義とは異なるところにある凄惨さを生々しく捉えていくのである。
ただ、『農民』が悲劇的なのは、完成したのが遅すぎた。生成AIの時代がきてしまったのだ。それにより、本作のヌルヌル写実的に動く様が生成AIによって作られたもののように錯覚する現象が発生する。もちろん、エンドロールのメイキングで、これらの映像は生身で描かれたものだと分かるのだが、長い時間かけて理論化した技法がAI一発で陳腐なものとなってしまう様にグロテスクさを抱いた。なるほど、絵師界隈の間で生成AIに対する嫌悪が広がっている理由がなんとなく分かった。ライター界隈には中々分からないグロテスクさを『農民』から学んだのであった。