『アンチクライスト』ケアと加害と被害との狭間で

アンチクライスト(2009)
Antichrist

監督:ラース・フォン・トリアー
出演:シャルロット・ゲンズブール、ウィレム・デフォーetc

評価:40点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

イベントでラース・フォン・トリアーについて話すので、彼の加害性の部分から批判的に観るようにしている。『アンチクライスト』を再観したのだが、後の作品に影響を与えている一方で、かなり問題を抱えている作品だと感じた。

『アンチクライスト』あらすじ

「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のラース・フォン・トリアー監督が、ウィレム・デフォーとシャルロット・ゲンズブール主演で描くサイコスリラー。セックスの最中に幼い息子を事故で亡くした夫婦。愛する息子の死をきっかけに心を病んでしまった妻を療養させるため、セラピストの夫は彼女を森の山小屋へと連れて行くが……。2009年カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、過激な性描写などで物議を醸した問題作。

映画.comより引用

ケアと加害と被害との狭間で

ラース・フォン・トリアー映画の問題点として、自分の心理の問題を内なる他者として女性によって語る点がある。ここには、女性に寄り添っているようで自分の話である側面と女性に対する怖さや酷い目に遭わせたいミソジニーの側面がある。『アンチクライスト』はその両方を満たし、かつ理論としての弱さが際立つため、かなり評価が厳しい作品となっている。

赤子の事故死をきっかけに、精神衰弱に陥るシャルロット・ゲンズブール演じる妻をウィレム・デフォーが介護するのだが、段々と狂気じみてきて、巨大な石を足に埋め込み、固定をするといったショッキングな内容となっている。

失意の女性を男性がケアしようとするのだが、狂気を発揮して彼に暴力を振るう。制御不能で恐ろしい存在として女性が露悪的に描かれている。タイトル通り、悪魔的存在として扱われるのだ。森という自然、心洗われる場としても、制御不能な場としての意味を持つ自然の中で、ウィレム・デフォーはひたすら彼女と向かい合う。言わんことはなんとなく分かるが、女性に対する怖さや嫌悪が前面に出過ぎてしまい、ミソジニーで終わってしまっている感が強いのだ。

ただ、この映画があるからこそ『メランコリア』や『ハウス・ジャック・ビルト』で内なる世界との向き合いと監督自身の加害性とのバランスが調整されたともいえる。

また、ドグマ95時代のドキュメンタリータッチも有効活用されており、手ブレによって窓を映す場面では霊的空間が生まれており、現実と虚構の狭間の表現としてドグマ95の技術が応用されている特徴がある。

総じて、作品としては今や到底じゃないけれど褒められたものではない。むしろ批判的に観る必要がある作品だが、ラース・フォン・トリアーのフィルモグラフィー上重要といった位置づけになった。
※映画.comより画像引用

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